表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
15/27

第14話

第14話 爆炎が食われる


炎は、獣を焼かなかった。

押し寄せた《爆炎》は、開いた口の中へ——いや、黒い殻のひと裂きごと、ひと鱗ごとへ、吸い込まれていった。坑道を赤く灼いた奔流が、見る間に細っていく。打ち消されたのでも、押し返されたのでもない。たぐり寄せられるように、獣のほうへ、すべて流れ込んでいく。火の粉ひとつ、跳ね返ってこなかった。焦げる臭いさえ、しなかった。

炎は、消えたんじゃない。連れていかれたのだ。坑道を照らしていた赤い光が、内側へ吸われるにつれて、あたりが、また暗く、冷えていく。獣のいる一点だけが、明るく、熱を孕んでいく。火を放った側より、火を浴びた側のほうが明るいという、見たこともない光景だった。

炎を浴びた殻が、変わっていく。黒かった鱗が、熱を吸って、赤黒く——焼き締めた鉄のように、底のほうから鈍く光りながら、硬くなっていく。地割れのように走っていたひびが、内側から灼けて、一本ずつ、ふさがっていくように見えた。傷を負うどころか、火を浴びるたび、こいつは仕立て直されている。赤黒く締まった鱗の隙間からは、もっと暗い熱が、奥で脈打っているのが透けて見えた。表面の赤とは違う、底のほうの、黒ずんだ熱。見てはいけない色だと、勘が告げていた。

獣のまわりの陽炎が、ひとまわり大きくなった。さっきまでより、坑道の空気が、重く、熱い。誰かの、唾を呑み込む音が、やけに大きく聞こえた。誰も、すぐには声を出せなかった。最強の一手が通じなかったという事実が、坑道の温度といっしょに、じわじわと皆へ染み込んでいく。


「……は?」

グレンが、間の抜けた声を漏らした。突き出した掌は、まだ宙にある。自分の放った最大の炎が、獣を焼くどころか、跡形もなく飲まれた——その事実が、すぐには像を結ばない顔だった。

「そんな、はずが、あるか」

もう一度、炎を練りはじめる。さっきより、急いで、雑に。二発目の《爆炎》が、獣へ叩きつけられた。

同じだった。火は吸われ、殻はまた一段、赤黒く締まった。

いちばん強いはずの手札が、二度、空を切った。空を切るどころか、相手を肥やした。火力こそが格だと、生まれたときから信じてきた男の足元が、その二発で、音もなく抜けていく。グレンの顔から、血の気が引いた。掌の上で、三度目の炎を練ろうとして——練れずに、指が震えていた。

自分の手を、信じられないものでも見るように、見下ろしている。生まれてからずっと、この掌は、誰より強い武器だった。家の名が、それを保証してきた。その武器が、今は、相手の餌にしかならない。グレンの顔にあったのは、屈辱より先に、足場をまるごと外された者の、行き場のない色だった。

後ろで、上位生たちがざわめき出した。「効いてない」「なんでだよ」「あれ、本当にただの火喰いか」——声が、上ずっている。「だから退けと言ったろ」「お前が前へ出たんだろうが!」責める声と、責められる声が、坑道の中で跳ね返る。崩れかけていた退避の足並みが、そこで完全に乱れた。さっきグレンを止めようとした一人が、今度は誰よりも先に、後ろへ下がろうとしていた。


ほら見ろ、とは思わなかった。言ったところで、あの殻は引っ込まない。今は、それより先に、やることがある。

俺は、獣を見ていた。

違う。これは、火に耐えているんじゃない。

火属性に強いだけの魔物なら、炎を弾くか、効きが鈍いだけだ。焼けはしないが、太りもしない。だが、こいつは弾いていない。飲んでいる。浴びた火を、一滴残らず内側へ引き込んで、殻の下へ溜め込んでいる。だから、焼くほど硬くなる。熱を受けるほど、強くなる。火は、傷じゃない。こいつにとっては、餌だ。

あの焦げた鉱石と、同じだった。外から熱を受けて、内へ戻し、溜める。封鎖の奥で聞いた、あの呼吸。こいつは、その性質が、殻と牙を持って、生きて歩いているものだった。

「揺れて、ます」ユノが、震える声で言った。「奥のほう……あいつの中に、熱が、どんどん溜まってます。さっきより、ずっと」

やはり、そうだ。火は、効かない。効かないどころか、いちばん撃ってはいけない手だった。グレンは、この獣がいちばん欲しがるものを、続けて二度、くれてやったことになる。

「火を撃つな!」

俺は叫んだ。坑道じゅうに届くように。「そいつは火を食って、熱を溜め込んでる。燃やすほど硬く、強くなる。誰も、これ以上、火を当てるな!」


「——では、火を、撃たなければいい」

リシアだった。乱れた列の中で、ただ一人、声も足も乱していない。俺の言葉を取り落とさず、ゆっくりと、確かめるように継ぐ。「火が餌なら、餌をやらなければいい。あなたが言っているのは、そういうことね」

「ああ」

飲み込みが、速い。皆が混乱で頭を白くしている中で、こいつだけが、まだ前を向いて考えていた。視線が、俺と獣のあいだを、一度、往復する。何かを測るような目だった。それが何なのかを問う暇は、なかった。それでも、たった一人でも、同じものを見ている相手がいる。その事実が、灼けた坑の中で、妙に、足を支えた。見える目を独りで抱えているのと、誰かと分け合えるのとでは、同じ景色でも、重さが違った。

正しい、と思う。だが、それだけだ。

火を断ったところで、この赤黒く灼けた殻を、どうやって止める。俺の熱は、足せない。足せば、餌になる。手持ちの剣で叩いて通る殻にも、見えない。ユノの言う熱は、殻の下に溜まる一方だ。火を撃たない、というのは、負けない方法であって、勝つ方法じゃない。退いて仕切り直せるなら、それでいい。だが——


退路が、なかった。

いつのまにか、獣が動いていた。火を食って活気づいた巨体が、ぬるりと身をよじり、来た道の——あの細い坑道の口の前へ、長い胴を横たえている。出口は、いまや、あの灼けた殻の、向こう側だ。

上位生の一人が、それでも逃げ場を求めて壁ぎわを走り、行き止まりに突き当たって、立ちすくんだ。閉ざされた旧坑の中に、獣の溜め込んだ熱がこもりはじめている。息をするたび、喉の奥が乾いていく。冷たかったはずの坑が、火を焚いてもいないのに、夏の鍛冶場のようになっていく。ニアが、過呼吸になりかけた一人の背に手を当て、無理やり呼吸を整えさせていた。ボルクは、皆と獣のあいだに、黙って体を入れている。汗が、こめかみを伝い落ちる前に乾いていく。鎧の金具に触れた者が、小さく呻いて手を引いた。金属が、もう熱を持ちはじめている。

逃げ場のない坑の中で、熱は、行き場をなくして、ただ濃くなっていく。このままでは、戦って斃すより先に、全員が、この閉じた窯の中で、ゆっくり焼かれる。火を撃たない、では足りない。何か、こいつから熱を奪うか、逃がすかしなければ——そこまで考えて、その先が、出てこなかった。手立てが、まだ、見えない。


見えていた通りだった。退けと言った。火はまずいと、勘が叫んでいた。何もかも、当たっていた。

当たったところで、何ひとつ、変わらなかった。正しさは、当たったあとでは、ただの後始末の名前にすぎない。間に合わなければ、見えていないのと、変わらない。正しかったという事実に、一片の救いもなかった。むしろ、見えていたぶんだけ、何もできなかった自分が、くっきりと残る。

悔しさを抱える間さえ、なかった。


獣の、赤黒く灼けた頭が、ゆっくりと、もたげられた。

そして、一人を選んだ。

さっき、二度も熱をくれてやった男——まだ掌を突き出したまま、抜けた足元の上で動けずにいる、グレンを。

四肢が沈み、灼けた巨体が、低く構える。溜め込んだ熱を、今度は前へ吐き出すように。足元の岩が、ぎ、と鳴った。重みが、後ろ脚へ集まっていく。

逃げろ、と叫ぶ声が、何人かの口から上がった。だがグレンの足は、抜けた地面に根を張ったように、動かない。

視界の端で、リシアが、動いた。退避の列を、半歩、外れて。何をする気なのか、止める間も、確かめる間も、なかった。

そして、火喰い蜥蜴が、グレンめがけて、地を蹴った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ