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第135話 砦の陥落を防ぐ

第135話 砦の陥落を防ぐ


「十二です」


 夜明け前、帳面係のリオネルが言った。


 井戸から上がってくる暖かい風は、強くなったり弱くなったりをくり返している。強く来てから、次に強く来るまで。ゆうべは、四十数えるあいだがあった。夜中に三十一になって、いまは十二だ。詰まっていくのが、いいことだとは思えない。


 斜面の下では、ゆうべ燃やした枯れ松が、もう赤い芯だけになっていた。そのまわりで寝ていた雪牙の群れが、一頭ずつ起き上がっている。林の奥からも、灰色の背中が出てくる。左の尾根からも、右の谷からも。


「三十はいるぞ」


 崩れ口のわきの壁の上で、グレンが言った。


 ガレスが盾の革帯を締めた。尾根の砦を二年、一人で守ってきた盾役の男だ。ゆうべ一晩休ませた左腕は、まだ少しふるえている。


「こんな数は、初めてだ」


 裏の道のほうで、足音がした。


「半日というのは、ずいぶん長いのですね」


 リシアだった。うしろに、エレノアがいる。半日で戻ると言って出た俺が戻らないので、暗いうちに町の宿を出てきたという。


 言いわけは、あとにした。


「説明する暇がない。リシア、あの崩れ口を頼む。雪牙って獣が、あそこと門から入ってくる」


「あとで、まとめて聞きます」


 リシアは、崩れ口の内側へ歩いていった。物と物の境目に薄い膜を張るのが、リシアの力だ。斜めに寝かせた二枚の膜で、ぶつかってきたものを横へ逸らす。


 エレノアは、ガレスの前で足を止めた。学院のころ、ガレスと同じ班で回復役をしていた。


「ガレスさん」


「……エレノアか」


 エレノアの目が、ふるえている左腕に行った。ガレスは、その腕を体のうしろに回した。エレノアは何も言わずに、両手を広げた。光の輪が中庭に広がって、消えた。ガレスの腕のふるえが、止まった。


「頼んでいない」


「はい。頼まれていません」


 そこへ、最初の波が来た。


 門は、ゆうべと同じ形で受けた。ガレスが盾から光の壁を広げる。その足りない端に、盾役のボルクが立つ。ボルクは体を岩みたいに固めて、動かずに受ける。固まっているあいだは、半歩しか動けない。


 崩れ口では、リシアの膜に当たった雪牙が、横へ滑って石の壁に肩をぶつけた。抜けかけた一頭には、グレンが上から石を落とす。二つに一つは、外れた。


 俺は、井戸のふちにいた。俺の火は、ここでは使えない。この下にあるものは、入れた熱を増やして返してくる。かわりに、井戸の口に手をかざして、風を読んでいた。


 群れは、ずっと同じ強さで押してくるわけじゃなかった。井戸の風が強く来たときに、いっせいに前へ出る。風が弱まると、足が鈍る。こいつらは、この暖かさに引かれて動いている。


「ガレス! 風が弱いあいだは、光を消せ。腕を休めろ。来るときは、俺が言う」


 ガレスは、振り向かなかった。


「消せば、入られる」


「入ってこない。見てろ。……いまだ、消せ」


 光の壁が消えた。


 門の前の雪牙は、入ってこなかった。鼻を上げて、うろうろしている。


「来るぞ。張れ」


 光が戻る。風が強くなって、群れがぶつかる。はじかれる。


「消せ」


 三度、四度とそれをくり返すうちに、大きく上下していたガレスの肩が、少しずつゆっくりになっていった。二年のあいだ、夜どおし張りっぱなしにしてきた光だ。


 空が白くなってきた。


「日が昇れば、引く」


 ガレスが言った。毎朝、そうだったのだろう。


 山の端から、日が出た。雪牙の群れが、斜面の途中で足を止めた。


 終わった、と俺は思った。井戸から手を離して、立ち上がりかけた。


「レンさん。まだです」


 リオネルの声が、うわずっていた。


「間が、数えられません。切れないんです。ずっと、来ています」


 井戸の口から、風が吹き上げた。


 暖かい、ではなかった。熱い。中庭のすみに残っていた雪が、音を立てて水になる。門の外の、雪が丸く消えた穴のほうでも、白い湯気が柱になって上がった。


 斜面の群れが、全部、こっちを向いた。


 三十ではきかない数が、門と崩れ口の両方へ、同時に走ってくる。風が切れないから、光を消して腕を休めるひまは、もうどこにもなかった。


 リシアの膜が、二枚とも大きくたわんだ。一枚が破れて、張り直される。崩れ口の石の上に、リシアが片膝をついた。


 門では、光の壁の真ん中が、内へふくらんでいた。一頭や二頭の重さじゃない。うしろから、うしろから押している。


 外した。日が昇れば終わる、というのを、俺はそのまま信じた。


「ガレス、崩れ口が抜ける!」


 グレンが怒鳴った。


 ガレスの首が、崩れ口のほうへ動いた。それから、ボルクへ。それから、自分の盾へ。


 門を離れれば、門が抜ける。離れなければ、崩れ口が抜ける。


 ガレスが口を開いた。


「ダント。門の真ん中に立ってくれ」


 ダントは、ボルクの家の名だ。ボルクが、目だけをガレスに向けた。


 ガレスが、人に頼んだ。


「アルヴェイン。崩れ口の内側に、膜を二枚、重ねて張ってくれ。私の光の、すぐうしろにだ」


「……あなたの光は、門にありますが」


 リシアが言った。


「いまから、延ばす」


 ボルクが力を抜いて、門の真ん中へ三歩動いた。固まり直す。ガレスは盾から光を切らさないまま、門と崩れ口のあいだに残った石の壁へ駆け上がった。いちばん高いところに立って、盾を斜面に向けて突き出す。


「《城壁展開》」


 光が横へ走った。


 門の柱から石の壁の前を通って、崩れ口の向こうの端まで、戸板四枚ぶんだった光の壁が、その五倍の長さに延びていく。そのかわり、薄い。向こうの雪が、透けて見える。


 薄い光に、群れがぶつかった。


 門のところで、光が大きくへこんだ。破れる、と思った。


 破れなかった。


 へこんだ光が、門の真ん中で固まっているボルクの体に、ぴたりと張りついていた。岩みたいな肩と胸の形に、光が重なっている。そこだけ、色が濃い。


 崩れ口でも、光がへこんだ。リシアの膜から、半歩ずれたところだ。光の向こうに、牙の先が透けている。


「リシア、右だ! へこんだところの、うしろに当てろ」


 リシアの膜が右へ動いた。へこんだ光が膜に当たって、止まる。そこだけ、白く明るくなった。


 井戸の風は、切れていない。ただ、息をつくみたいに、ほんの少し弱まる瞬間がある。手のひらで、それを待った。


「ガレス。次に俺が言ったら、押せ。……いまだ!」


「ダント、半歩前へ」


「半歩ならな」


 ガレスが盾を前へ突き出した。光の壁が、半歩ぶん外へ出る。ボルクが固まったまま、足の裏だけで半歩ずれて、ついていく。リシアが、膜を一枚ぶん前へ張り直した。


 風が強まる。群れが押し返してくる。こらえる。


「いまだ!」


 もう半歩。


「いまだ!」


 もう半歩。


 四度目で、先頭の雪牙が足を滑らせて、うしろの背中に乗り上げた。そこから群れの全体が、斜面を崩れるように下がっていった。牙の欠けた大きい一頭だけが、最後まで門の前でふんばっていた。それも、横倒しになって動かなくなった。


 群れが日の当たる斜面をばらばらに下りきったころ、井戸の風が、ふっと止んだ。口に手をかざすと、ぬるい空気がゆっくり上がってくるだけだ。なぜ止んだのかは、分からない。


 ガレスは、石の壁の上に座りこんでいた。エレノアが下から光を広げると、今度は何も言わなかった。


 リシアが、膝の雪を払いながら俺の横に来た。


「説明を、うかがいましょうか。半日のところから」


「……長くなる」


「でしょうね」


 グレンは壁の上で仰向けになって、腹が減ったと空に向かって言っている。


 昼前に、裏の道かららばの鈴が聞こえた。


 荷運びのトマだった。ボルクと同じ村の出で、ガレスに麦を運んでいる男だ。らばは、裏の坂の途中で止まって動かない。トマは、らばを置いて歩いてきた。


 手に、封をした紙を持っていた。


「軍からだ。……ガレス。先に言っとく。俺は、中を知ってる」


 ガレスは、右手で紙を受け取った。左腕には、まだ盾がついている。封は、歯で切った。


 読んでいるあいだ、顔は動かなかった。読み終えると、紙を俺のほうへ向けた。読め、ということだろう。


『尾根の砦は、これを廃する。守りは、ふもとの関に寄せる』


 その下に、一行。そこだけ、インクの色が新しい。


『近くに、外塔という民間の腕利きがいる。古い砦に人と金をかける理由は、もうない』


「砦をやめるのは、先月から決まってた」


 トマが言った。


「理由のところは、三日前に書き足したそうだ。外塔が国境へ来るって話が、上まで届いてた」


 砦をやめると決めたのは、軍だ。俺たちは、その理由にされた。


 ボルクが、口を開けて、閉じた。


 門の前で、雪がきしんだ。横倒しになっていた牙の欠けた大きい雪牙が、起き上がっていた。


 ガレスの左腕が、先に動いた。盾が上がる。その横に、ボルクが黙って体を入れた。


 ガレスの盾の光が、固まったボルクの体に重なって、二重に光った。


 通達の紙を持ったガレスの右手は、少しだけ、止まっていた。

お読みいただき、ありがとうございます。

頼まなかった男が、家の名を呼んで頼みました。そして届いた紙が一枚。

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