第132話 遺構の上の砦
第132話 遺構の上の砦
「ダント。お前、ダントだろ」
国境の町に着いた、次の日の朝だった。宿の前でそう声をかけてきたのは、荷車の横で、動かないらばを叱っていた男だ。
振り向いたのは、ボルクだった。ボルク・ダント。外塔の盾役で、体を岩みたいに硬くして、前で攻撃を受ける。そのかわり、硬くなっているあいだは動きが鈍い。
「……トマか」
「やっぱりだ。でかくなったなあ。いや、もとからでかかったか」
トマという男は、ボルクと同じ村の出らしい。いまは国境の軍に、荷を運ぶ仕事をしているという。らばは、二人が話しているあいだも一歩も動かなかった。
俺たちは、聖教国の都から四日かけて山を越えて、きのうの夕方に関を出た。関のすぐ外にあるのが、この町だ。フィンの右腕は、骨にひびが入ったまま、首から布で吊ってある。
ボルクとグレンは、荷馬車で迎えに来ていた。フィンのけがとエレノアのことは、俺が先に手紙で知らせてある。何をやってけがをさせたのかも、書いた。
ボルクは着いた俺の顔を見て、何も言わずにフィンの荷物を持った。グレンのほうは、言った。
「一人で突っこんだんだってな。昔の俺かよ」
言い返せることは、なかった。
宿の一階では、回復役のニアがフィンの腕をみていた。骨がずれていないか、朝と晩に一回ずつ確かめる。エレノアは、その横で包帯を巻き直す係だ。フィンは左手で匙を持って、粥を半分こぼしていた。こぼすたびに「いまのは匙が悪い」と言うが、誰も相手にしない。
「あと二日は、ここで休ませてください。荷馬車の揺れは、まだ早いです」
ニアがそう言ったので、出発は二日のびた。
トマから聞いた話が出たのは、その日の昼だ。ボルクが一階のテーブルで、ぼそぼそとしゃべった。
「この先の尾根に、古い砦があるんだと。軍は二年前の冬に、人を引きあげた。屋根が落ちて、直す金がないからって」
「空っぽの砦が、どうかしたのかよ」
グレンが訊いた。
「空っぽじゃない。一人、残ってる」
ボルクは、自分の手を見ていた。
「引きあげの命令が出ても、降りなかったそうだ。魔物が出るたびに、一人で門の前に立つ。盾を持った、若い男だって。トマは、名前も聞いてた」
「誰だ」
「ガレス」
エレノアの手が、包帯の途中で止まった。
ガレス・ヴァルド。学院のいちばん上の班、星冠第一班の盾役だった男だ。光の壁を面で張って、うしろの全員を守る。正統派の盾、と呼ばれていた。卒業してからは、軍に入ったと聞いている。ボルクは学院にいるあいだじゅう、同じ盾役として、その男と比べられた。向こうは面で守る。こっちは硬くなって耐えるだけだ、と。
「ガレスさんは、頼まれなくても最後まで残る人です」
エレノアが言った。同じ第一班で、回復役をしていた。
「頼んでも、手は借りない人でもありますが」
ボルクは行くとも行かないとも言わずに、窓の外の、雪をかぶった尾根のほうばかり見ている。
「見に行きてえなら、行きゃいいだろうが。でかい図体で、もじもじすんな」
グレンに言われて、ボルクは耳のうしろをかいた。
俺は、口を開く前に、一度テーブルを見回した。
「あしたの朝から半日、寄り道していいか。ボルクと、砦まで行ってくる」
「訊くのですね。今度は」
リシアは、窓ぎわで本を開いたまま言った。俺のほうは見ない。あの夜から、ずっとそうだ。
「訊く」
「……どうぞ。私は残ります。こちらのけが人が、左手で無茶をしないように。あなたのほうは、ボルクさんが見張ってくれるでしょう」
見張られる側に入っていることには、言い返さなかった。
次の朝、まだ暗いうちに出るときに、テーブルの端に手袋が置いてあった。リシアの手袋だ。前に一度、借りたことがある。持ち主は本から顔を上げない。俺は手袋を取って、上着のポケットに入れた。礼を言うきっかけは、なかった。
砦へ行ったのは、四人だった。俺とボルクとグレン、それに帳面係のリオネル。リオネルは、国境の砦を一度見ておきたい、と言ってついてきた。
トマが、途中まで荷車に乗せてくれた。らばは、町を出るまでに三回止まった。
「こいつ、坂の手前で必ず止まるんだ。坂が見えると、いやになるらしい」
「気持ちは分かる」
ボルクが言った。冗談なのかどうか、顔からは分からなかった。
トマと別れてからは、歩いた。尾根の道には雪が残っていて、日かげを踏むと靴の下で鳴る。
「学院のころ、あいつのうしろには、いつも誰かが立ってた」
ボルクが、前を向いたまま言った。訊いてもいないのに、だ。
「俺のうしろには、誰も立ちたがらなかった。遅いからな。硬くなってるあいだに、うしろのやつが置いていかれる」
「いまは立ってるだろ。十人以上」
俺は言った。
「……押しのけて前に出るやつばっかりだけどな」
それは、たぶん俺のことだ。黙って歩いた。
砦は、尾根のいちばん高いところにあった。石の壁の一部が崩れて、塔の屋根が半分ない。旗は、立っていなかった。門へ続く道の雪には、同じ大きさの靴の跡だけが、行って戻って、また行って戻って、何重にも重なっている。
その手前で、俺は足を止めた。
道のわきの雪が、そこだけ消えている。
丸く、消えていた。荷車が二台入るくらいの円だ。円の中だけ、土が白っぽく乾いて、枯れ草が寝ている。まわりは、くるぶしまで雪があるのに。
湯でも湧いているのか、と最初は思った。それにしては、においがしない。水も、流れていない。
円のいちばん低いところに、石で組んだ穴が口を開けていた。水を逃がす溝の出口らしい。そこから、湯気が細く上がっている。
穴のふちに、手を近づけた。暖かい。
もう少し近づけると、今度は指先が冷えた。手の熱が、穴の奥へ引かれていく。
知っている感じだった。聖教国の神殿の地下で、壁に触ったときと同じだ。あの地下には、まわりの熱を集める黒い石が、柱に埋めてあった。
俺は、手を引いた。リシアの手袋をポケットから出してはめて、もう一度近づける。手袋ごしでも、指先から熱が引かれた。
下で、何かが熱を集めている。集めすぎた分が、この穴から漏れて、雪を消している。近づきすぎると、今度はこっちの熱を持っていかれる。
「リオネル。この石の積み方、見てくれ」
リオネルは、もう帳面を開いていた。穴のふちの石は、四角く切って、すき間なく積んである。砦の壁の石とは、色も大きさも違う。砦のほうが、ずっと雑だ。
リオネルは、帳面の頁を何枚か戻した。神殿の地下で描いた、壁の絵の頁だ。それを穴の横に並べて、しばらく黙っていた。
「……切り方は同じです。積み方も、たぶん。砦より、こっちのほうがずっと古い」
「砦の下に、何かあるってことか」
グレンが、穴をのぞきこんだ。
「何かの上に、あとから砦を建てたんだと思います。知っていて建てたのか、知らずに建てたのかは、分かりませんが」
……聖教国で急いで追いかけた手がかりには、逃げられたのに。
「おい」
グレンが、あごで上を指した。
崩れた壁の、いちばん高いところに、人が立っていた。
一人だ。低い冬の日を背にして、黒い影になっている。左の腕に、大きな盾。こっちを見下ろしたまま、声もかけてこない。風で外套の裾だけが動いていて、それがなければ、壁の上に置いた石の像と見分けがつかなかった。
ボルクは、乾いた円のふちに立って、それを見上げていた。口が、少し開いている。
らばのことを話していたときとは、違う顔だった。
「あいつ、まだ立ってるのか」
お読みいただき、ありがとうございます。
帰り道の寄り道で、ボルクの昔なじみの話から、雪の尾根の砦へ。らばは坂が嫌いです。
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