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第12話

第12話 封鎖された旧坑道


握れなかった手を、無理やり握った。

指は、思ったより素直に動いた。一年前は、ここで止まったままだった。今は違う。違うはずだ。俺は道具の柄を握り直し、奥の暗がりから目を離さずに、息を整えた。


「……ここから先、少し様子がおかしいわね」

カイラ・ローデンが、坑道の壁に手を当てたまま言った。ギルド実習の担当教官で、紙の上の評価より、その場の手触りを信じる人だ。撤退路の確認に来たはずが、足は奥へ向いていた。

第二層の湿った霧は、いつのまにか引いていた。代わりに、足元の泥は乾いて固くなり、灰のような粉も、もう落ちてこない。掘り尽くして打ち捨てられた区域——使われなくなって長い、第三層の旧採掘区だ。

壁ぎわには、錆びて灯らなくなった魔道灯が、等間隔に残っている。動かない灯りの列だけが、奥へ続く道筋を示していた。

天井を支える梁は黒ずんで撓み、片隅には、空のまま錆びついた手押し車が一台、レールから外れて転がっていた。人がいた気配だけが残って、人はもういない。掘るものがなくなれば、坑は捨てられる。それは分かる。分からないのは、捨てられた坑が、なぜまだ温いのか、だった。

「立入制限のはずだろ、ここ」

上位生の一人が、足を止めずに言った。怖がっているふうではない。掘り尽くした古い坑なんて見るものもない、という顔だった。別の一人が、後ろで小さく笑った。補助枠の外棟が、古い坑に怯えているとでも思ったらしい。

「制限札は、確かにあったわ。だいぶ古いけれど」

カイラはそう返しただけで、止まらなかった。ほかに撤退路がない。それを確かめるまでは引けない、という横顔だった。


「……奥の魔力、揺れてます」

小声で言ったのは、外棟で耳のいいユノだった。壁に手のひらをあて、奥へ顔を向けている。

「さっきより、強い……揺れて、こっちに、漏れてくる、みたいで」

見えているのに、言葉が追いつかない。その感じは、俺も知っている。だから、ユノの語尾が消える前に、耳を澄ました。

漏れてくる、という言い方を、俺はまた聞きとめた。掘り尽くした坑から、魔力が漏れる道理はない。魔核は魔物の中にあるものだ。打ち捨てられた岩肌が、ひとりでに揺れたりはしない。


奥へ進むほど、空気のぬるさが増した。火の気は、どこにもないのに。

崩れた壁の一角に、それはあった。

黒く焦げた鉱石の塊。いくつかは砕けて、欠片になって足元に散っている。鉱山に、焼けた石はおかしい。誰も火を入れていない場所で、石だけが焦げている。

割れた断面を、灯りに近づけて見た。焦げは、表面から内へ進んだものじゃない。芯のほうが黒く、外へ向かうほど色が薄い。内側から焼けた石だ。俺の火が木を焦がすときと、同じ向きだった。気づいて、手の中のものが、急に座りの悪いものに思えた。

俺は一つ、拾い上げた。手のひらに、それは伝わってきた。表面は冷たいのに、芯のほうから、ほんの少し高い熱が、押し返すように戻ってくる。

熱は、高いほうから低いほうへ流れる。手のひらより冷たい石が、手のひらへ熱を返してくることはない。

これは、知っている。

あの夜、村に持ち込まれた、いくら抜いても冷めなかった魔核。魔核処理を生業にする母も、扱いあぐねていた、あの石。あれと、同じ手触りだ。

そして——一年前、ロイが浴びた、あの熱だ。

焦げた中心に、もっと黒い、輪のような陰りが浮いていた。何の模様なのかは、知らない。ただ、見てはいけないものを見た気がして、しばらく目を離せなかった。

頭の隅で、父の声がした。スキル名で戦うな、現象を見ろ。勝ち方より、先に死に方を潰せ。退き時を読むのは、火力じゃない。あの教えは、たぶん、こういう石のためにあった。


「これ、ただの熱い石じゃない」

俺は、言った。一年前は、言えなかった。言っても拾われないと、口を開く前に諦めていた。今は、言うと決めていた。

「中から熱が戻ってくる。普通の鉱石は、こんな熱の持ち方をしない。奥に、もっと大きいのがある。引いたほうがいい」

「ただの熱鉱石だろ」

さっきの上位生が、振り返りもせずに言った。鉱山の奥には熱を持つ鉱脈がある、入坑前にそれくらい習っただろう——という声だった。「一つ星の火種が、温い石にびびってるのか」

拾われない。一年前と、同じだ。

だが今度は、ひとり、足を止めた者がいた。

カイラが戻ってきて、俺の手の石を覗き込み、自分の指でも触れた。何も言わず、しばらくして、腰の帳面に短く何かを書きつけた。

「異常報告として、記録しておく」

記録は、残る。残るだけだ。一つ星の言葉では、その場の判断までは動かない。それも、知っている。

それでもカイラは、書いた。一年前、俺の声を拾った大人は、ロイ一人だった。今は、もう一人いる。たったそれだけのことが、妙に長く、手の中に残った。


グレンだけは、何も言わなかった。火属性の名門に生まれ、《爆炎》を持つこの男は、いつもなら火に関わる話に真っ先に口を出す。今日は、焦げた石を見たまま黙っていた。何を考えているのかは、読めなかった。


「あなた、その石を、ずっと握っているのね」

隣でリシアが言った。結界貴族の名門に生まれて、薄膜が割れるたびに失敗と記録される、俺と同じ外棟の一つ星だ。普段なら、ここで棘のある一言が続く。

今日は、続かなかった。

代わりにリシアは、半歩、俺の隣に寄った。半歩だけ。奥の暗がりと俺のあいだに、薄い膜でも張るような立ち方だった。

「……何か、来るの」

問いの形をしていたが、答えを急かしてはいなかった。

「まだ、分からない」

俺は短く言った。嘘ではない。確かめたわけじゃない。だが、手の中の石は、ずっと冷めなかった。


奥の道が、一度、大きく曲がっていた。

曲がった先に、それはあった。古い封鎖札——立入を禁じる札を、何枚も縄で渡して塞いだ、坑道の口だ。半分は朽ちて落ち、縄も切れかけている。札の向こうは、灯りの一つも届かない、ただ黒い穴だった。

「ここから先は、封鎖区域。撤退路の確認は、ここまでよ」

カイラが、初めてはっきりと足を止めた。「戻るわよ」

ユノが、札の向こうへ手を伸ばしかけて、止めた。

「……ここ、です。揺れているの、この奥」

俺は、黒い穴を見ていた。手の中の石の熱が、ふいに、ほんの少しだけ強くなった気がした。気のせいかもしれない。気のせいだと、思いたかった。

そのとき、穴の奥から、音がした。

息の音だった。

ゆっくりと、何か大きなものが、空気を吸い込む音。ただ吸うのではない。火を——熱そのものを、奥へ奥へと吸い寄せていくような、長く、湿った呼吸だった。一度。間を置いて、もう一度。生き物が息をする、その間隔だった。

手の中の焦げた石の熱が、その呼吸に合わせて、引かれていく。

前にいたボルクが、反射のように、皆をかばう位置へ半身を入れた。

誰も、声を出さなかった。温い石を笑った連中も、今は黙って、黒い穴のほうを見ていた。

奥に、いる。

あの熱を内側に溜め込んだものが、この封鎖の向こうで、息をしている。

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