招いた理由
第126話 招いた理由
朝飯のテーブルに、革の袋がどさりと置かれた。
袋の口から、金貨の縁がのぞいている。フィンが手を伸ばしかけて、リシアににらまれて引っこめた。
「浄化のお務め、確かに果たされたと承りました。お約束の報酬です」
袋を置いたのは、案内役の若い神官だった。銀の帯の結び目は、今日は三重になっている。袋は、神官が両手で抱えてやっと運べるくらいの重さらしかった。外塔の馬を全部買い替えても、まだ余りそうだ。
「果たしてないぞ」
俺が言うと、若い神官は困った顔をした。
「上の者から、そう伝えるように言われております。こちらも、お渡しするようにと」
若い神官は、封をした紙を一通、袋の横に並べた。封の蝋には、丸の中に閉じた目の印が押してある。神殿の紋だ。
きのうの夕方に地下から上がってきたとき、冷えているはずの祈りの間は、まだ暖かかった。消してくれと頼まれた熱は、何一つ消えていない。床の乾いた丸い跡も、しおれた花も、地下の柱に埋まった黒い石も、そのままだ。それで、報酬は満額らしい。
フィンが、袋から金貨を一枚つまんで、端をかじった。
「本物だ。ちゃんと本物だ」
「かじらなくても分かります」
リシアが言った。フィンは、歯形のついた金貨をそっと袋に戻した。宿のおかみが、焼きすぎて端の黒いパンを、皿ごとテーブルに置いていった。
「これ、焦げてるよ」
「焦げてるとこが、うまいんだよ」
おかみはフィンにそれだけ言って、台所へ戻っていった。
封を切ったのは、リオネルだった。紙を広げて、黙って読んでいく。途中で一度、眉が動いた。最後まで読むと、紙を俺のほうへ滑らせた。
「読んでください。……途中からです」
きちんとした、四角い字だった。
『外塔の皆さまの、このたびのお働きに、深く感謝申し上げます』
ここまでは、ふつうの礼状だ。その先が違った。
『レン殿が祈りの間で灯された火が石のほうへ倒れて消えたこと、ノエル殿が指の音で床の下を聞き分けられたこと、またリシア殿が、北の防衛線では同じ石が窓の霜まで溶かしたとお話しくださったこと。いずれも、たいへん見事でございました』
俺は、紙から目を上げた。テーブルの端に立っている若い神官が、目に入った。
その神官が、おそるおそる訊いた。
「何か、失礼なことが書いてありましたか」
「いや。丁寧すぎるくらいの礼状だ」
テーブルのまわりが、静かになっていた。宿の台所で、鍋のふたが一度だけ鳴った。
リシアが、手に持っていた匙を置いた。
「……窓の霜」
「私がそれを言ったのは、きのう、地下の部屋で一回だけです。あのとき地下にいたのは、レンと、リオネルさんと、ノエルさんと、エレノアさん。それから、私です」
俺は、若い神官を見た。
火が石に倒れたのは、おとといだ。ノエルが指を鳴らしたのも、同じ日だ。そのとき、この神官は祈りの間の入口に立っていた。火を見て、一歩あとずさっていたのを、俺は覚えている。
「おとといのことは、あんたが上に話したのか」
「は、はい。見たままを話すように、とおっしゃるので。……あの、何か、まずかったでしょうか」
若い神官は、帯の結び目を指でいじりながら答えた。隠しているようには見えなかった。
「きのうのことは」
「きのう、ですか。きのうは、祈りの間で、皆さまが地下から戻られるのを待っておりました。下には、降りておりません」
それも、たぶん本当だ。きのうは、この神官を祈りの間に残して降りた。礼状を読んで目を上げたとき、漏らしたのはこいつだと思った。半分しか当たっていなかった。
「少し、外で待っててくれ」
若い神官は、帯の結び目をいじりながら、宿の戸の外へ出ていった。戸が閉まるのを待ってから、俺はテーブルに向き直った。
じゃあ、誰がリシアの声を聞いた。
「ノエル」
俺が呼ぶと、ノエルは黒い端のパンをちぎる手を止めた。きのう地下で何かを聞いて、「あとで」と言ったきりだった。
「きのうの、あとで、の続きだ」
ノエルは、ちぎったパンを皿に置いた。
「……扉の向こう」
「鉄の扉か」
「息が、一つ多かった。俺たちのほかに」
フィンが、意味が分からないという顔で、ノエルと俺を交互に見ている。
「それ、こわいやつじゃんか」
フィンが小声で言った。誰も、それには答えなかった。
「鍵のかかった扉の向こうで、誰かが、俺たちの話を聞いてたってことか」
俺が訊くと、ノエルは「たぶん」とだけ言って、パンに戻った。黒い端だけ、皿のすみに寄せている。おかみに見つかったら、また何か言われるだろう。
エレノアか、と一瞬思った。神殿の聖女候補で、きのう俺たちと一緒に地下へ降りた人だ。ただ、ノエルが数えた息に、エレノアの分はもう入っている。扉の向こうの一人は、エレノアじゃない。エレノアが上に話したかどうかは、まだ分からない。
俺は、礼状をもう一度最初から読んだ。四角い字は、最後の一行まで少しも乱れていなかった。
この国の門をくぐった日、俺は鑑定盤に手を置かされた。門番は、俺の名前の横にだけ、小さな丸をつけた。この依頼を出した神殿の年寄りの神官は、祈る者はいくらでもいる、足りないのは手のほうだ、と言った。
「……招かれた理由は、浄化じゃなかった、ということですか」
リシアが言った。膝の上で、ナプキンを小さく四つにたたんでいる。
「たぶんな」
扉の向こうで聞いていたことを、わざわざ礼状に書いてよこした。見ているぞ、ということか。
こっちが見せたものは、思ったより多い。
気がつくと、テーブルの下で、右手の指先に火を出しかけていた。出す前に、握りこんだ。出しかけた熱が、テーブルの裏の木に少しだけ移っていた。
ただ、全部ではない。リシアは地下で、一度も膜を張っていない。物と物の境目に薄い膜を張るあれを、向こうはまだ見ていないはずだ。俺の火も、祈りの間で豆粒ひとつ出しただけだ。
リオネルが、帳面の頁を一枚、ゆっくりめくった。そこには、柱の形と、鉄の扉と、その扉に打ちつけてあった札の字が描いてある。札の字だけは、右へ傾いたくせまで、ちゃんと写してあった。
リオネルは、礼状の四角い字を、札の字の隣に写しはじめた。ペン先が、角で一度引っかかった。写し終えると、二つを見比べて言った。
「レンさん。この礼状と、扉の札は、書いた人が違います」
「ああ」
札を書いたやつと、礼状を書いたやつ。少なくとも二人が、俺たちのことを知っている。
フィンが、袋の口を結び直しながら言った。
「で、このお金、もらっていいの?」
「くれるって言うんだから、もらっとけ」
フィンは、それで納得したらしい。重い袋をよろけながら抱えて、ニアのほうへ見せにいった。ニアは、袋ではなく、フィンの口もとを見ていた。「歯、欠けてませんか」とだけ訊く。フィンは自分の前歯を指でたたいて確かめた。
戸が開いて、若い神官が顔をのぞかせた。帯の結び目を、まだいじっている。
「あの、上の者に、何かお伝えしますか」
少し考えた。地下の、と言いかけて、飲みこんだ。伝えたいことは、いくつもある。地下の黒い石。鉄の扉。右へ傾いた字。どれも、口に出せば、こっちが何を見たかを向こうに教えることになる。
「礼状は受け取った、とだけ伝えてくれ。それ以外は、何も言わなくていい」
「は、はい」
若い神官は、何か言いたそうな顔をしたが、結局頭を下げて戸を閉めた。宿の戸が、小さくきしんだ。
俺は、礼状をたたんで、上着の内側にしまった。しまう手が、一拍だけ止まった。リオネルの帳面を、もう一度見た。それから、自分の手のひらを見た。
三日前、この国の門で、鑑定盤に置いた手だ。
「試されてたのか。……まあ、いい。こっちも見させてもらった」
お読みいただき、ありがとうございました。
丁寧すぎる礼状には、書かれるはずのないことまで書いてありました。
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