地下の真実
第125話 地下の真実
こつ、こつ、と、ノエルが床を指の関節でたたいていた。
祈りの間の、乾いた円の縁だ。たたく場所を少しずつずらしては、首をかしげる。最後に、円の真ん中の平たい石をたたいた。
こつ、ではなかった。こん、と、少しだけ低い音がした。
「下が、ある」
ノエルはそれだけ言って、立ち上がった。
ここへ来たのは、昼すぎだ。施療所から宿に戻った俺たちのところへ、エレノアが訪ねてきた。
「きのうは、祈るだけで終わってしまいました。今度は、自分でちゃんと見たいのです」
祈りの間に入れるのは位の高い者だけだから、エレノアが一緒なら止める人はいない。ついてきたのは、リシアとリオネルと、呼んでもいないのに腰を上げたノエル。フィンはまだ寝ていたし、ニアは施療所のあの子の様子を見にいったきりだ。
祈りの間の真上の部屋に、きのう会った白い髭の年寄りの姿はない。案内の若い神官に訊くと、朝から具合が悪くて休んでいる、とだけ答えた。それ以上のことは、若い神官も聞かされていないらしい。
いま、エレノアは手燭を持って、祈りの間に降りてきた階段の下に立っている。顔の色は、宿に来たときより白い。
「下、というのは」
エレノアが訊いた。
「この石の下だろうな」
俺はしゃがんで、平たい石の縁を見た。
祈りの間の床は、どこもすり減っている。何百年も、人が膝をついて祈ってきた床だ。石と石の継ぎ目は丸くなって、角が残っているところは一つもない。
真ん中の平たい石だけ、縁の角が立っていた。指でなぞると、引っかかる。
「この石だけ、新しい」
「新しい、ですか」
リシアが、俺の横にしゃがんだ。手袋をした指で、同じ縁をなぞる。きのう熱を吸われて、しばらく指が曲がらなかった俺に、リシアが貸してくれた手袋だ。手首のボタンが、一つとれていた。俺が無理に指を通したせいかもしれないが、リシアは何も言わない。
「あとから、はめこんだんだ。床と同じ古さなら、ここだけ角が残るわけがない」
「つまり、ふた、ということですか」
「たぶんな」
リオネルが、帳面を開いた。きのう測った円の大きさと、石の大きさを見比べている。
「円の真ん中と、部屋の真ん中が、手のひら一つぶん、ずれています」
リオネルは、数字をもう一つ書き足した。
開けるには、石を持ち上げるしかない。
俺は腰の刃を抜いて、石の縁のすき間に差しこんだ。ひと抱えほどの石だ。重いに決まっている。てこにして、少しずつ浮かせるつもりだった。
刃を差しこんで、体重をかけようとした。そのとたん、石が動いた。
向こうへ、すっと滑った。下に何か仕掛けがあるのか、思ったよりずっと軽い。刃がすき間から抜けて、俺は前につんのめった。
「……軽いな」
重いと決めてかかって、刃まで抜いた俺の立場がない。
石が滑ったとき、縁の白い粉が舞って、しゃがんでいたリシアの手袋にかかった。
「……手袋、汚れました」
リシアが言った。
石の下から、暖かい空気が上がってきた。乾いていて、少しだけ、焦げた鍋みたいなにおいがする。石の段が、下へ続いていた。
段の両はしに、白い粉が積もっていた。白い髭の年寄りの神官の、布靴の縁にこびりついていた粉と同じだ。段の真ん中だけ、粉がない。何度も、誰かが踏んでいる。
エレノアが、手燭を段の下へ向けた。
「神殿の図面には、祈りの間より下はありません」
「図面に描いてないだけだろ」
俺は先に降りた。今度は、壁には触らない。手は、外套の中に入れておいた。
段は、二十もなかった。
降りた先は、天井の低い、細長い部屋だった。リオネルは頭を下げて歩いている。背の高いフィンなら、頭をぶつけていた。壁は、四角く切った石をすき間なく積んである。上の祈りの間とは、積み方からして違う。
部屋の奥に、石の柱が一本立っていた。
柱の真ん中に、黒いものが埋めこんである。こぶしより、ひとまわり大きい。見た目は、ただの黒い石だ。
柱のまわりの床だけ、上の円と同じように白く乾いていた。手燭の火が、柱のほうへ傾く。
「……同じだ」
俺の声は、思ったより小さかった。北の防衛線で、熱を吸う魔物を倒したとき、その胸から出てきた石と同じだった。
「あれは、何なのですか」
エレノアが、入口から訊いた。
「よくは知らない。まわりの熱を集める石だ、ってことしか」
「指揮官の小屋に置いたら、窓の霜まで溶かしていました」
リシアが付け足した。エレノアは、黒い石から目を離さなかった。
石のまわりは暖かい。その熱を、どこから集めてきているのかは分からない。きのう階段の壁に触ったとき、俺の手の熱も吸われた。
ノエルが、柱の手前で目を閉じた。指は鳴らさなかった。ただ、耳を澄ませている。
「何か、聞こえますか」
リシアが訊くと、ノエルは目を開けた。
「……あとで」
それきり、何も言わなかった。ノエルの「あとで」が、本当にあとで来たことは、あまりない。
リオネルは、自分の小さな角灯を床に置いて、もう帳面に何か描いていた。柱の形と、石の積み方と、黒い石の大きさ。ペン先が紙をこする音が、部屋の中でやけに大きく聞こえる。きのう帳面に穴をあけたペン先は、新しいのに替えてある。
エレノアは、まだ入口から動いていない。
エレノアのいる入口まで戻ると、段を降りたところの右手に、鉄の扉が一枚あった。扉は段の陰に引っこんでいて、降りてくる向きからは見えなかった。
扉だけが新しい。錆もほとんどない。取っ手を引いてみたが、動かなかった。鍵穴のまわりだけ、差した油で黒く光っている。扉の真ん中に、木の札が一枚、釘で打ちつけてあった。
『上層の許しなく、立ち入りを禁ず』
その下に、丸の中に閉じた目を描いた印が押してある。神殿の紋だ。神殿から出る紙には、みんなこの印が押してある、とリオネルが前に言っていた。
エレノアは、札の字を見ていた。
字は細くて、右へ傾いている。
見覚えのある字だった。きのう、エレノアが胸に抱えてきた紙の字だ。『神意の乱れによるもの。聖女候補の祈りにより、鎮まった』。祈る前から、答えが書いてあった、あの紙。
エレノアは手燭をリシアに預けて、法衣の胸もとから、その紙を出した。札の横に並べると、リシアが手燭を近づけた。
同じ字だった。右への傾き方も、止めのはね方も。
リシアが、何か言いかけてやめた。
エレノアは、しばらく紙と札を見比べていた。唇が一度だけ動いたが、声にはならなかった。
「この紙は、祈りの間を受け持つ方から渡されました」
誰に言うでもなく、エレノアが言った。
「受け持つ方の字、ですか」
リシアが訊いた。エレノアは首を横に振った。
「いいえ。あの方は、もっと太い字を書きます。この字の人が、あの方に紙を渡したのだと思います」
「受け持つ方に指図ができるのは」
「神殿の上層だけです。私が直接お会いしたことのある方は、ほとんどいません」
「なら、札を打ったのも、たぶんそのあたりだ」
「……そうなります」
「私は、何年もこの神殿にいました。祈りの間の下に部屋があることも、この扉のことも、知りませんでした」
知らなかったのは、たぶん本当だ。エレノアの指が、札の字をなぞりかけて、途中で止まった。
リオネルのペンが止まった。ノエルが、くしゃみを一つした。柱のまわりの白い粉が、リオネルの角灯の明かりの中で舞った。
「上に戻ろう」
俺は言った。
「ここに長くいると、どこから熱を吸われるか分からない」
誰も、反対しなかった。ノエルがいちばん先に段へ向かって、リオネルは帳面を閉じながら、最後にもう一度だけ柱に目をやった。
上の部屋の年寄りが今朝から休んでいるのは、たまたまだろうか。あの布靴の白い粉を、もう一度近くで見ておけばよかった。
段を上がる前に、エレノアは一度だけ振り返った。柱の黒い石と、鉄の扉の札と、自分の手の中の紙を、順に見た。
紙を持つ指に、力が入っていた。紙の端が、少しだけ、しわになった。
「知らなかった、では済まないのですね」
お読みいただき、ありがとうございました。
床の下には、図面にない部屋がありました。
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