↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
122/140

浄化任務の中身

第122話 浄化任務の中身


「祈りが、届かなくなったのです」


 白い髭の年寄りの神官は、そう言って、両手を膝の上で組み直した。


 入国した次の日の昼前、俺たちは神殿の奥の、小さな部屋に通されていた。窓がなくて、壁の燭台が三つ、まっすぐな火を立てている。俺たち六人と、きのうの若い神官が、長椅子に並んで座っていた。


 年寄りの灰色の布靴の縁に、白い粉が乾いてこびりついていた。布がそこだけ、白くこわばって見えた。


 今朝、宿の朝飯の粥は、水で薄めすぎていて、匙を入れると器の底の模様が見えた。フィンは二杯おかわりをして、二杯とも文句を言った。薄すぎたせいか、ここに座ってから、フィンの腹が一度鳴った。ノエルは粥に手をつけずに、宿の窓辺で、外の鐘を指で数えていた。


「祈りの間で、何年も祈りを捧げてまいりました。ところがこのひと月、祈っても、何も返ってこない。空気が重く、花がすぐにしおれる。神のお怒りか、穢れか。そこで、北で熱の乱れを鎮めた方々に、清めていただこうと」


「熱の乱れ、ですか」


 俺が訊くと、年寄りは穏やかにうなずいた。


「祈りの間は、少し暖かいのです。それだけのことです」


「穢れを清めるなら、私たちより、祈る方をもっと呼ぶべきではないのですか」


 リシアが、静かに訊いた。


「祈る者は、この神殿にいくらでもおります。足りないのは、手のほうです」


 手のほう、が何のことなのかは、誰も訊き返さなかった。依頼書の報酬が、妙に良かったのを思い出した。


「くわしいことは、下でご覧になれば分かります」


 年寄りはそれだけ言って、若い神官に目で合図した。若い神官は、きのうと同じ銀の帯をしめていた。今日は、ずり落ちないように結び目を二重にしてある。


 祭壇の裏に、下へ降りる石の階段があった。人ひとりがやっと通れる幅で、段の真ん中だけが、何百年も踏まれてきたみたいに、浅くくぼんでいる。フィンは降りる前に、腰の糸束から一本だけ引き出して、階段の入口の金具に結んだ。「帰り道、迷わないように」と言ったが、階段は一本道だった。いちばん後ろを、帳面を胸に抱えたリオネルが降りてくる。


 降りはじめて十段もいかないうちに、空気が変わった。冬なのに、首のうしろが汗ばんでくる。壁の石が、水をかけたわけでもないのに濡れて光っていた。


 前を行く若い神官が、足を止めて振り返った。


「暖かいですね。……下へ降りるのは、初めてです。祈りの間には、位の高い方しか入れないので」


 若い神官は、壁の水滴を指でぬぐって、その指をしばらく見ていた。


 フィンが、低くなった天井に頭をぶつけた。


「いって。……誰だよ、こんな低く作ったの」


「昔の人は、小さかったんですよ」


 ニアが言った。たぶん、違うと思う。フィンは頭をさすりながら、腰を落として歩きはじめた。


 いつのまにか、すぐ前をリシアが降りていた。狭い階段で、わざわざ俺の前に入る理由は一つもない。


 もっと前のほうで、ノエルが一度だけ足を止めて、壁に耳を寄せた。すぐにまた降りはじめた。


 階段の途中で、壁に手のひらを当ててみた。


 表は、濡れて冷たい。なのに、その奥から、温かさがじわじわ上がってくる。


 触れているあいだに、手のひらの熱が抜けていった。熱を入れるつもりはなかった。壁のほうに、吸われた。慌てて手を離した。もう一度触れようとして、手が途中で止まった。


 指が、思ったように曲がらない。東の集落で、崩れた家の跡に手を当てたときと同じだった。北の氷原の、霜をまとった丸太とも。


 右手を脇の下に突っこんだ。リシアが振り返りかけて、やめた。


 近くに、何かいる。


 北の防衛線では、「白いの」と呼ばれていた魔物が、触れたものから熱を吸っていた。あれと同じものが、この下にいるのかもしれない。腰の刃の柄を、左手で握った。


 階段の下に、丸い部屋があった。


 天井が低く、壁ぎわに石の長椅子がぐるりと並んでいる。真ん中の床に、平たい石が一枚はめこんであった。その上に、花が何束も置いてある。どれも茶色くしおれて、花びらが縮れていた。


「きのうの夕方に、替えたばかりだと聞いています」


 若い神官の声は、さっきより小さかった。


 部屋には、古い蝋と、乾いた花のにおいがこもっていた。ニアが腰の水筒を外して、一口飲み、顔をしかめた。


「……ぬるいです」


 今朝、宿の井戸でくんだ水だった。階段の上で飲んだときは、まだ冷たかったのに。


 生き物の気配は、なかった。壁にも、天井にも、何も張りついていない。いるのは俺たちだけだ。


「レン、何と戦う気だよ」


 フィンに言われて、まだ刃の柄を握っていたことに気づいた。手を離した。


 真ん中の平たい石のまわりだけ、床が白く乾いていた。ほかの床は、壁と同じように湿っている。乾いた円は、大人が両手を広げたくらいの大きさで、その縁には、白い粉が薄く浮いていた。


 右手を脇から抜いて、しゃがんで、乾いたところにかざした。触らない。かざすだけだ。


 真ん中に近い指先は温かい。手首のほうは、ひんやりした。まわりのぬくもりが、真ん中へ引かれていく。


 吸っているのに、暖かい。……変だ。


 確かめるために、乾いた円の真ん中の上、膝の高さくらいの空中に、豆粒くらいの火を一つ出した。


 ふつうなら、火は上の部屋の燭台みたいに、まっすぐ上に立つ。


 この火は、生まれたとたんに床の石のほうへ、ぐにゃりと倒れた。倒れたまま細くなって、石に届く前に、消えた。煙も残らなかった。


「……今の、何」


 フィンが言った。階段の下では、若い神官が一歩あとずさっている。俺は答えなかった。答えを、まだ持っていない。


 下から上がってくる熱を、この石が真ん中へ集めているのかもしれない。集めきれない分が、部屋にしみ出している。だから暖かい。……たぶん。


 出発の前、リオネルは本拠の地図に、熱のおかしな場所を赤い糸で結んでいた。その糸の先が、ここだった。


「リオネル。北の氷原の丸太と、東の集落の家と、同じだ。書いておけ」


 リオネルは、もう書いていた。しゃがんで、指を浮かせたまま乾いた円の縁をなぞっては、帳面に数字を書きつけている。帳面の端には、倒れた火の形が小さく描いてあった。


 冷えた右手を、また脇の下に戻した。リシアが、それを見ていた。


「また、吸われたんですか」


「ちょっとだけだ。すぐ戻る」


「ちょっと、の顔ではありません」


 リシアは、それ以上は何も言わずに、自分の手袋を片方外して、俺の右手に押しつけた。北の防衛線でも、同じことをされた。押しつけられた手袋に、指を通した。それでも、指はまだ半分しか曲がらなかった。俺は、リシアの顔は見なかった。


「これは、穢れなのでしょうか」


 階段の下から、若い神官が訊いた。


「……分からない」


 本当に、分からなかった。分かっているのは、祈りでどうにかなる種類のものではない、ということだけだ。


「浄化って、これのことだったのか」


 フィンが、しおれた花をつまんで言った。花びらが、指のあいだで粉になって落ちた。


 乾いた円の縁の白い粉を、指でこすってみた。ざらりとして、指の腹に白く残る。上で見た、年寄りの布靴にこびりついていた粉。あれと同じに見えた。


 布がこわばるほど、あの年寄りはこの円のそばに、何度も長く立っていた。


 それで、少し暖かいだけ、ね。依頼書のゼロがひとつ多いわけだ。


 階段の下で、若い神官が、首にかけた小さな聖印に手をやりかけて、途中で止めた。


 ノエルが、部屋の真ん中まで歩いていく。


 乾いた円の手前で止まって、目を閉じる。指を、一度だけ鳴らした。


 乾いた音が、丸い壁に当たって返ってくる。ノエルの唇が、数えるように小さく動いた。もう一度、鳴らす。今度は、床のほうに耳を傾けるように、首を少しかしげた。


 ノエルの眉が、寄った。


 目を開けて、足元の平たい石を見る。それから、自分の指を見た。鳴らしたばかりの親指と中指が、小さく震えていた。ノエルの指が震えるのを、俺は初めて見た。


「……ここ、前にも似た音を聞いた」

お読みいただき、ありがとうございました。

「少し暖かいだけ」の部屋は、ちっとも少しではありませんでした。

感想・ブックマーク・評価をいただけると、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。