聖教国、入国
第121話 聖教国、入国
「手を、こちらへ」
門の脇の机に、皿くらいの大きさの鑑定盤が置いてあった。白い服の門番が、その縁を指で軽くたたいた。
「国の外からお越しの方は、皆さまお願いしております。手を置いて、少しだけ力を出してください。届けの顕現名と同じかどうか、見るだけですので」
後ろで、フィンが小さく「うわ」と言った。
俺たちの前に並んでいた商人は、盤に手を置いたあと、脇の小屋へ連れていかれた。届けに書いた顕現名と、盤に出た字が、一文字だけ違っていたらしい。商人は「昔の届けのまま、書き直してないだけです」と何度も言いながら、荷馬車ごと小屋の陰へ消えた。門番の声は、最後まで穏やかだった。
俺の番が来た。
雪の山道を三日歩いてきた手は、まだかじかんでいた。盤の上に、右の手のひらを置く。十五の春に、村の集会所で触った盤と同じくらい、冷たかった。
手のひらの真ん中に、小さな火をともした。あの日と同じ、すぐ消える火だ。
盤が、ぼう、と灰色に光った。
《火種》。F等級。
門番は帳面に何か書きつけて、俺の名前の横に、ペンの先で小さな丸を一つつけた。何の丸なのかは、言わない。F等級の客につける印だろう、と思った。ペンの先が紙をこする音が、しばらく耳に残った。
「ようこそ。神の定めのままに」
F等級に「ようこそ」と言われたのは、たぶん初めてだ。
リシアの番が来た。盤が光って、門番はまた帳面に書いた。リシアの名前の横には、丸はつかなかった。
残りの四人も続いた。フィンは手を置く前に、上着で手のひらを三回ふいた。雪道で二回転んで、二回とも手をついた手だ。
「六名様ですね。お待ちしておりました」
門番は、帳面の上で指を一本ずつ折って数えた。お待ちしておりました、と言われるほどのことは、まだ何もしていない。
セルフィア聖教国の、いちばん大きな神殿の街だ。神殿に付属する古い施設を浄化してほしい、と名指しで呼ばれて、十二日かけてここまで来た。
門をくぐると、道まで白かった。
白い石を敷いた広い通りが、まっすぐ奥の神殿まで続いている。両側の家も、壁が白く塗ってあった。屋根の上で、鐘が鳴りはじめる。
前を歩くノエルが、耳をふさぎかけて、やめた。代わりに、指を一本ずつ折りはじめる。鐘の数を数えているらしい。
通りの人たちは、みんな首から細い紐を下げていた。紐の先に、指くらいの札がついている。すれ違った男の札には、顕現名と等級が彫ってあった。縁が銀の札もあれば、何もない札もある。
「首、かゆくならないんでしょうか」
「七回目だ。いまので」
リシアとノエルが、同時に言った。鐘が鳴りやんでも、ノエルは折った指を、すぐには開かない。
通りの角に、施療所があった。戸の前に人が並んでいる。腕を布で吊った男。咳をしている年寄り。子どもを抱いた女。
前のほうに並んだ人の札は、だいたい縁が銀に光っていた。後ろへ行くほど銀が減って、最後のほうは何も塗っていない木の札だった。銀の縁の札をさげた年寄りが一人だけ、列の真ん中で待たされていたが、理由は分からない。
子どもを抱いた女は、列のいちばん後ろにいた。子どもの頬が、遠目にも赤い。
ニアが、足を止めた。
何も言わずに列のほうへ歩いていって、腰の水筒を外し、女に差し出した。
「札のない方は、列にお触れにならないでください」
戸口の白い服の係が、やわらかい声で言った。女は水筒を受け取らずに、子どもを抱き直した。ニアは水筒を腰に戻して、こっちへ歩いてきた。途中で一度だけ振り返った。
フィンは、角の屋台で焼き菓子を買っていた。一口かじって、顔をしかめる。
「甘っ。砂糖、かたまりで入ってない?」
ノエルが一つもらって、ひと口かじって、黙った。
神殿の前の広場で、若い神官が待っていた。白い服に、銀の細い帯をしめている。手に、折りたたんだ紙を持っていた。折り目が、何日も持ち歩いたみたいに白くすり切れている。
「外塔の皆さまですね。名指しでお呼びしたのは、こちらです」
神官は、紙に目を落としてから、顔を上げた。
最初に見たのは、リオネルだった。顔より先に、リオネルの手の、インクで黒くなった帳面に目が止まる。
「リオネル様」
それから紙を見て、リシア、ニア、ノエル、フィン、と順に名前を呼んだ。
……顔より先に、持ち物を見た。
俺は、外套の裾を引いて、腰の刃の上にかぶせた。柄に何重にも革を巻いて、そこだけふくらんでいる、解体用の刃だ。
神官の目が、俺の腰に来た。止まった。何もないところを見て、また紙を見た。紙を二度見てから、ようやく俺の顔を見た。
「……レン・ハルヴェル様、で、お間違いないですね」
六人のうちで、名前を確かめられたのは、俺だけだった。読みは、当たっていたらしい。
「ああ」
外套の裾を戻すと、刃の柄が、いつもの場所でふくらんでいた。リシアが、その裾を横目で見た。何も言わなかった。
あの紙に書いてあるのは、顔じゃない。持ち物だ。インクで汚れた帳面と、革を巻きすぎた刃の柄。そんなものを書けるのは、俺たちのすぐそばで、何日も見ていたやつだけだ。
「え、俺、名前言ったっけ」
フィンが、焼き菓子をくわえたまま素で訊いた。神官はにこにこしたまま、答えなかった。
「北の防衛線でのお働き、うかがっております」
神官は、紙を胸の前で二つに折った。
「清めていただきたいのは、神殿の奥の、古い祈りの間です。くわしくは明日、上の者から。今日は、宿へご案内します」
「その紙、どなたが書いたものですか」
リオネルが訊いた。
「上の者から、渡されたものです」
答えになっていなかった。リオネルは黙って帳面に一行書いて、ペンを耳にはさんだ。
「あの、施療所の」
ニアが、めずらしく自分から口を開いた。
「列のいちばん後ろの子は、いつ診てもらえるんですか」
「今日のうちには、診てもらえますよ。神の定めた順番ですから」
神官は、少しも心配していない声でそう言って、笑った。ニアは「そうですか」とだけ言って、腰の水筒の栓を、指でそっと確かめた。
神官が、先に立って歩き出した。リシアが、俺の横に並んだ。
「さっきの門の丸、見ましたか」
「ああ、見た」
「私には、つきませんでした」
リシアは、札のない自分の胸元に、一度だけ手をやった。
「F等級だからだろ」
「本当に、そう思っていますか」
答えなかった。気がつくと、盤に置いた右の手のひらを、ズボンの腿でぬぐっていた。冷たさは、もう残っていない。それでも、ぬぐっていた。
広場を抜けて、細い通りに入った。前を行く神官の銀の帯が、歩くたびに少しずつ下がっていく。誰も、それを教えなかった。
角を曲がったところで、フィンが焼き菓子を持ったまま立ち止まった。
「なあ、レン。あれ見て」
通りの突き当たりの壁に、大きな絵が描いてあった。
白い衣を着た、背の高い人の姿だ。両手で、丸い盤を頭の上に掲げている。近づくと、盤の縁の模様まで、十五の春に村で触った盤と同じだった。壁の根元には、しおれた花が一束、置きっぱなしになっている。茎に結んだ小さな札は、雨で字がにじんで読めなかった。
絵の下に、小さく字が刻んであった。
鑑定神。
盤を掲げる指の、爪の形まで描いてある。
顔だけが、なかった。
塗りつぶした跡はなかった。誰の顔でもない白い丸が、盤の下から、こっちを向いていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
今回から第2シリーズの第2部が始まります。外塔の六人は、白い街に足を踏み入れました。
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