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第114話 北方へ

第114話 北方へ


 扉には、太い鎖が三重に巻いてあった。


 その真ん中に、俺のこぶしより大きい錠が下がっている。錠の上の板には、黒い字で「閉鎖」とだけ書いてあった。


「……閉まってますね」


 リオネルが言った。見れば分かることを、自分に言い聞かせるみたいな声だ。


 北の関の町に着いて、二日目の昼だった。本拠から馬で十日。来たのは、俺とリオネルとフィンとリシアの四人で、ほかの連中は本拠に残してきた。


 町のいちばん北に、石の大きな門がある。それが北の関だ。門の向こうは、見渡すかぎり白い氷原で、そこから先には、もう人が住んでいないらしい。


 王都から北へ送られる手紙や荷物の袋は、この門の手前で、一度開けられる。誰かが、ここで中身を見ている。袋を調べる番小屋があって、記録庫はそのすぐ裏だった。


「帳面さえ見られれば、袋を開けてる人の名前くらいは分かるはずなんです」


 十日のあいだ、リオネルは、馬の上で何度もそう言っていた。


「十日で、十回は聞いた」


「……十二回です」


 数えていたらしい。


 石段のいちばん上で、茶色い犬が丸くなって寝ていた。俺たちが上っても、目を開けなかった。


 番小屋の窓口から出てきたのは、片足を少し引きずった年寄りの兵だった。


「記録庫か。秋の終わりに閉めたよ。上からの言いつけでな」


「中の帳面は」


「荷車が三台来て、全部積んで、南へ行った。どこへ持っていったかは、知らん」


 年寄りは、窓口の板に肘をついて、大きなあくびをした。それから、俺たちの顔を、順に見た。


「あんたら、外塔の連中だろ。朝から、兵の宿舎で噂になってたよ」


 それきり、奥へ引っこんでしまった。


 俺は、扉の鎖に手をかけてみた。手袋ごしでも、鉄の冷たさが指に刺さった。熱を入れれば、この錠の中の金具くらいは焼き切れる。ただ、開けたところで、中は空っぽだ。


「十日かけて、閉まった扉を見に来たってことか」


 フィンが言った。まつ毛の先が白く凍っていて、まばたきが重そうだった。


「……すみません」


「謝られても困るんだけど。俺が言いたいのは、帰りも十日ってことだけで」


 錠を見たまま、リオネルは何も言わなかった。手帳を胸に抱えている。その腕に、力が入った。


 リシアは、石段の犬の横にしゃがんでいた。手袋のまま、犬の背中に積もった雪を払っている。犬は、やっぱり起きなかった。


 宿へ戻る途中、ギルドの支部の前まで来たところで、北の門のほうから、馬が一頭走ってきた。


 乗っていたのは、毛皮の外套を着た若い兵だった。馬の口のまわりに、息の霜がこびりついている。兵は、馬から飛び降りると、転がるみたいに支部へ入っていった。


 少しして、支部の掲示板に、紙が一枚、貼られた。


 氷原の防衛線。でかいのが一体、柵に寄ってきている。人が足りない。戦える者は来てくれ。


 字はがたがたで、最後の行だけ、紙の端からはみ出しかけていた。いちばん下に、署名がある。


 防衛線指揮官、セイル・ノルディア。


 横で、フィンが噴き出した。


 口を押さえて、背中を丸め、しばらく肩だけを震わせている。通りかかった町の人が、気味悪そうに、少し遠回りしていった。


「……何がおかしい」


「だって、セイルだよ。学院で、俺たち、あの人に一回も勝てなかったじゃん。レン以外」


「だから何だ」


「そのセイルから、来てくれって。頼まれる側になってるんだよ、俺たち」


 フィンは、目のはしを指でこすった。笑いすぎてにじんだ涙が、まつ毛のところで、白く固まっていく。


 俺は、笑えなかった。調べに来た先で、閉まった扉を見せられた。その帰りに、北の防衛線から呼ばれる。できすぎている。


「……こっちが嗅ぎまわってるのが、もう向こうに漏れてるのかもしれない」


「向こうって、誰ですか」


 リシアが訊いた。


「分からない。だから、気味が悪い」


 リオネルは、署名に顔を近づけていた。


「セイルさんの字です。学院の試合のとき、星冠の人たちが出した届けを、何枚も写したことがあるので」


 学院の最後の試合で、俺はセイルに勝った。あの試合のあいだ、あいつが急ぐところを、俺は、一度も見ていない。


 フィンが、まだ笑いの残った顔で、俺を見た。


「で、行くの?」


「帰りの十日が、少し延びるだけだ」


「延びるだけ、ね」


 リシアは、もう宿のほうへ歩き出していた。馬を出しに行くつもりらしい。


 宿で、昼のスープを急いで飲んだ。胡椒がひどく多くて、フィンが三回むせた。リオネルは、スープに一度もさじを入れなかった。手帳を開いて、閉じて、また開いていた。


 北の門を抜けると、まわりから、音がなくなった。


 氷原は、思っていたほど平らではなかった。雪の下に、氷のでこぼこが隠れている。しばらく行かないうちに、フィンの馬が足を滑らせた。馬は、なんとか踏みとどまった。フィンは、横からずり落ちて、雪の上に尻もちをついた。


「……見るなよ」


 見ていた。全員。


「雪、ズボンの中まで、入った」


 誰も、何も言わなかった。


 気がつくと、リシアの馬が、俺の馬の左に並んでいた。風は、ずっと左から吹いている。そこから先は、顔に当たる風が、少しだけ弱くなった。リシアは、前を見たままだ。何も言わない。


 防衛線に着いたのは、日が傾きかけたころだった。


 丸太を並べた柵が、氷原を横切って、左右にずっと続いている。ところどころに見張りの台があって、柵の内側では、いくつも焚き火が燃えていた。その数のわりに、兵は少ない。焚き火の半分には、誰も当たっていなかった。


 門のすぐ横の柵だけ、様子がおかしかった。


 丸太が三本、真っ白になっている。表面に霜がびっしりついて、三本とも、縦に割れていた。割れた隙間には、荷車が一台、横倒しにして押しこんである。穴をふさぐ丸太が、もう残っていないらしい。


「寒さで割れたのか」


 馬を降りて、手袋を外し、割れた丸太に手のひらを当てた。そこから、熱を入れる。


 表は、すぐに温まった。霜が、手の形に溶けていく。なのに、奥へ送った熱だけが消える。丸太の芯が、熱を飲みこんでいる。


 東の集落で、雪の積もらない地面に手をついたときと、まったく同じ手ごたえだった。


「三晩続けて、あれが柵に寄ってきて、触ったところを凍らせていく」


 うしろから声がした。


 白い外套。腰の剣。踏んだあとの雪が、ガラスみたいに固く光っていく。学院のころと同じだった。


 セイルは、俺たち四人の顔を、一人ずつ見た。俺のところで、まばたき一つぶん長く止まった。


「来てくれたのは、君たちか」


「たまたま、関の町にいた」


「たまたま」


 セイルは、その言葉を、一度だけ繰り返した。


 リオネルが、半歩前に出た。


「あの、関の記録庫のことで、何かご存じではありませんか。秋の終わりに閉まったそうなんですが」


「記録庫?」


 セイルが、首をかしげた。


「……何の話だ。私は、人手が欲しかっただけだ」


 うそをつく顔には見えなかった。もっとも、こいつのうその顔なんて、見たことがあったかどうか。


「ここに来たのは、ほんとにたまたまです。記録庫は、空振りでしたし」


 リオネルは、言いながら、手帳の留め紐を指に巻きつけていた。セイルは、聞き返さなかった。


「あれって、何なんだ」


「見れば分かる」


 セイルは、それだけ言って、柵の向こうへ目をやった。


 遠くの氷原で、雪が一筋、ゆっくり盛り上がった。こっちへ向かって、まっすぐ伸びてくる。柵から百歩ほどのところで、ぴたりと止まった。


 いちばん端の見張り台で、松明の火が、ふっと消えた。風は、少しも吹いていなかった。


 俺は、手袋をはめ直そうとした。熱を入れた右手だけが、雪に突っこんだあとみたいに冷えていた。火を扱う手が、こんなふうに冷えたのは、東の集落以来だ。指が、うまく曲がらなかった。


 セイルが、俺の手を見た。それから、白い息を、一度だけ長く吐いた。


「……待っていた。正直に言えば」

お読みいただき、ありがとうございます。

舞台は北の氷原へ移りました。

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