第113話 消えた報告の行き先
第113話 消えた報告の行き先
「九日と、二十四日です」
床に座ったまま、リオネルが言った。
「十一件とも、どっちかなんです」
グレンが来て、四日目の夜だった。二階のいちばん奥の記録部屋には、いつものように依頼の写しが扇の形に広げてある。俺は戸口に立って、その扇を踏まずに入れる場所を探していた。
ランプの芯が、少し曲がっていた。炎が片側にかたよって、天井の隅に細い煤の筋がついている。前からついていたのか、今夜ついたのかは分からない。
リオネルは、昼からずっとここにいたらしい。膝の横に、サラが置いていった茶の器がある。口をつけた跡はなくて、表面に薄い膜が張っていた。もう片方の膝の上には、封を切っていない封筒が一通のっている。
扇の端の写しを二枚、そっと重ねてどけて、そこに座る。板が、ズボンごしに冷たい。
「何が、九日なんだ」
「取り下げの印が、押された日です」
写しが一枚、裏返して差し出された。四角い印の写しがある。四角の中に、横線が二本と、釣り針みたいに曲がった線が一本。この六年で、外塔の誰かが受けられたはずの依頼を、十一件、黙って消してきた印だ。
その横に、小さく日付が写してあった。印を押した日だ。
前に写したときは、印の形しか見ていなかった、とリオネルは言った。今日の昼、もう一度支部へ行って、原本の裏を全部見せてもらったらしい。右手の中指の横が、インクで青黒くなっていた。
「年も、月も、ばらばらです。でも、日だけは、九日か二十四日しかない」
写しが、次々に裏返されていく。六年前の春、九日。四年前の夏、二十四日。去年の秋、九日。先月、二十四日。
俺は、扇の端の一枚を自分で拾った。
家畜の不審死。補給村から、歩いて半日の村。六年前、支部の掲示板に「取り下げ」と朱で書かれて貼ってあった。十八だった俺は、それを剥がし忘れだと思って見過ごした。あのときは、紙の裏なんか見なかった。登録証を握ったまま、隣に貼ってあった討伐の依頼の、報酬の額を先に読んでいた。
裏返した。二十四日、と書いてあった。
「……王都の役所の、判を押す日なんだろ。月に二回、まとめて押すとか」
すぐには、答えが返ってこなかった。リオネルは、壁ぎわの箱から紐でくくった束を出して、ほどいた。
「ふつうの王都の判が、何日に押されてるか、比べたくて」
外塔が、依頼の報酬を上げてくれと頼んだときの控えだ。報酬を上げるにも、王都の判が要る。押してあるのは、部署の名前がちゃんと字で入った、別の印だった。
リオネルは、控えを一枚ずつめくって、日付を指でなぞった。昼に一度見たはずなのに、もう一度確かめている。
「三日。十一日。十七日。二十八日。……王都の判は、日がばらばらです」
「じゃあ、四角いほうの部署だけ、のんびりしてるんだ」
「十一回とも、九日か二十四日に、のんびりするんですか」
俺は、黙った。六年間、月に二回、同じ日にだけのんびりするやつがいたら、それはそれで、ずいぶん几帳面だ。
戸が、叩かれもせずに開いた。サラが、毛布を二枚抱えて立っていた。
「ねえ、グレンさんのいびき、ここまで聞こえる?」
「聞こえない」
「下の倉庫で寝てるでしょ。棚がね、いびきに合わせて鳴るの。かたかたって。上の段に、鍋がまだ一個残ってて」
「鍋をどけろ」
「どけたら、今度は何が鳴りだすか分かんないじゃない」
サラは、それだけ言うと、毛布を抱えたまま行ってしまった。少しして、廊下の一段下がったところで、誰かがつまずく音がした。
リオネルは、開けっぱなしの戸を閉めに立たなかった。代わりに、壁に貼った紙の前に立った。支部の掲示板にある、便の表を写したものだ。王都から各地へ、手紙や書類を運ぶ便が、いつ出て、いつ戻るか。それが方角ごとに並んでいる。
「判を押す日じゃないなら、何かを待ってから押してるんだと思ったんです」
そう言ってから、リオネルは少しだけ目をそらした。
「……ほんとうは、ノアさんの返事がいつ来るか知りたくて、この表を写したんですけど」
西の港への便は、毎週出ている。南の街道への便も、毎週だ。
リオネルの指が、いちばん下の行で止まった。
北の関への便。王都を出るのは、五日と二十日。片道九日。
五日に出て、九日かけて着いて、九日かけて戻る。俺は指を折って数えはじめて、月の終わりが三十日なのか三十一日なのかで、手が止まった。
「表に、戻る日も書いてあります。八日と、二十三日」
「……先に言え」
俺は、手の中の一枚をもう一度見た。二十四日。
「戻ってきた、次の日です」
リオネルの声は、思ったより小さかった。
「十一件とも」
俺は、何も言わなかった。気がつくと、手の中の一枚の角を、親指で押さえていた。
床に座り直すと、リオネルは膝の上の封筒を手に取った。封の蝋に、研究院の印が押してある。
「ノアさんからです。昼に届きました」
「なんで、開けてないんだ」
「……外れてたら、と思って」
ノアに手紙を出したのは、集落から帰る途中の町だった。訊いたのは、一つだけだ。研究院で「重要度低」の付箋をつけられて、棚から消えた九件の報告。その原本が、いつ消えたのか。
封が、切られた。リオネルは、中を一度読んで、もう一度、頭から読み直した。それから、便箋を俺のほうに向けた。ノアの字は、細くて、行がまっすぐだった。
『保管庫の番の方の帳面を、見せてもらいました。九件それぞれ、最後に棚にあるのを確かめた日を、下に書いておきます。次に数えたときには、もうなかったそうです。』
その下に、九つの日付が並んでいた。
いちばん最後に、一行あいて、『王都は、今週はずっと晴れています。』と書いてあった。この前の手紙では、雨が続いていた。天気のことを書かないと、手紙を終われない人らしい。
手紙を持ったまま、リオネルはまた立ち上がって、壁の便の表の前へ行った。九つの日付を、上から一つずつ、北の関の行と見比べていく。
五日。二十日。二十日。五日。北へ便が出る日だ。
最後まで、一つも、外れていなかった。
リオネルは、しばらく手紙から指を離さなかった。それから、元の折り目に合わせてたたもうとして、一回ずれた。たたみ直したら、またずれた。三回目で、あきらめた。開いたまま、その場に座りこんで、膝の上に置いた。
「あの印の写しは、どこにある」
「長持ちの底です。冬服の下に入れてあります」
その町の役所で、先週、窓口の役人に小声で言われた。あの写しは、あまり人に見せて回らないほうがいい、と。あの役人は、印の写しを見たあと、まっすぐ置いてあったペンを、もう一度まっすぐに直していた。
「あの役人、なんで、あの印を知ってたんだろうな」
リオネルは、答えなかった。
親指の下で、写しの角が、うすく茶色くなっていた。表だけではなく、裏まで同じ色だ。紙の中から、色が変わっている。指先から、勝手に熱が出ていたらしい。自分では、そんなつもりはなかった。
「焦がさないでください。それ、写しです」
リオネルが、俺の手から一枚を抜き取った。
下の倉庫から、かたかたと、棚の鳴る音がかすかに聞こえた。
床の写しが、日付の順に重ねられていく。六年前の春から、先月まで。途中で、補給村の近くの、あの一枚が重なった。俺は、それが束の中に沈んでいくのを、最後まで見ていた。いちばん上に、ノアの手紙がのった。
俺は、膜の張った茶の器を、リオネルの手の届くところへ寄せた。リオネルは、気づかなかった。
「表の、北の関の行に、小さく書いてあるんです」
リオネルが、壁の紙を見上げた。
「北の便の袋は、関の向こうで一度、開けられるって。誰が開けるのかは、書いてありません」
それから、俺の顔を見た。
「北方に、何かの窓口があります」
お読みいただき、ありがとうございます。
今回は、記録係リオネルの回でした。
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