第110話 格上でも、無力
第110話 格上でも、無力
渡された木の札には、「十四」と焼き印が押してあった。
窓口の上の板には、「九」と書いた札が掛かっている。
「……五人か」
「五人です」
隣で、リオネルが帳面を胸に抱えたまま言った。
帰り道の二日目の朝だった。集落から馬で一日のところにある町で、ノアの手紙を受け取った町だ。ギルドの支部の向かいに、石でできた役所が建っている。その一階の奥が、町の人の届け出を受ける窓口になっていた。
来ようと言い出したのは、俺だった。ギルドの上がどこなのか、俺は知らない。知っていそうなところが、役所くらいしか、思いつかなかった。この町の役所には、王都への届けを受ける窓口も入っている、と、ゆうべ宿の主人が言っていた。取り下げの紙の裏に押してあった四角い印が、王都のどこかの部署のものなら、ここで何か分かるかもしれない。
役所の入り口で、リシアに呼び止められた。
「顔、こわいですよ」
「生まれつきだ」
「いつもより、です」
言い返す前に、リシアは入り口の石段に腰を下ろしていた。中で待つ気は、ないらしい。
細長い部屋に、木の長椅子が二列並んでいる。奥に、腰の高さの台と木の柵があって、柵の真ん中に、顔が一つ入るくらいの小さな窓が開いていた。部屋の隅では、鉄のストーブが燃えている。煙突のつなぎ目から、細い煙が少しずつもれていた。誰も気にしていない。ストーブのすぐ横の長椅子だけ、誰も座っていなかった。たぶん、煙のせいだ。
ほかの連中は、宿の前で待たせた。役所に十二人で押しかけても、長椅子が足りない。
リオネルの帳面には、上の判で取り下げられた依頼が十一件、日付と場所ごとに書き写してある。最後の頁には、四角い印を写した紙が挟んであった。俺の懐には、ノアの手紙が入っている。
「次の方」
窓の向こうから、平らな声がした。
いま呼ばれているのは、九番の札を持った年寄りの男だった。杖をついて窓口まで歩いて、柵に片手をかけた。
「鶏はな、七羽なんだ。九羽じゃない。去年の冬に二羽、いたちにやられた」
「届けは、九羽で出ています」
「だから、それが間違ってるって言ってるんだ」
「では、いたちにやられたという届けを、先に出していただけますか」
「いたちに届けを出させろってのか」
しばらく、そんなやりとりが続いた。年寄りは、最後に、何か紙を一枚受け取って、首をかしげながら出ていった。結局、鶏の数がどうなったのかは、分からなかった。
俺がギルドの支部へ行けば、近ごろは名前を言う前に奥の部屋へ通される。見舞金を断られたときも、奥の部屋でだった。
待っているあいだ、リオネルは、帳面を開いたり閉じたりしながら、口の中で何か言っていた。窓口で言うことを、また練習しているらしい。俺は、天井の板の数を、端から数えていた。十七枚目あたりで、どの板を数えたのか分からなくなった。
札が、一つずつ進んだ。
十番から十三番までは、早く済んだ。十一番の男は、ただ判を押してもらいに来ただけで、すぐ帰った。十三番は、窓口の前まで来てから、書類を家に忘れたことに気づいて、帰っていく。
ストーブの煙が、天井のほうで薄く広がっていた。
「十四番の方」
窓の向こうにいたのは、四十前後の男だった。黒い袖カバーをつけて、髪をきちんと分けている。机の上には、ペンが一本と、インク壺と、ふたの開いた判子の箱が、まっすぐ並んでいた。
「ご用件を」
「取り下げられた依頼のことで、調べてほしいことがあります」
リオネルが、帳面を柵の窓から差し入れた。
「ギルド外塔の者です。この六年で、辺境の依頼が十二……いえ、十一件、上の部署の判で取り下げられています。依頼を出した村のほうは、自分では取り下げていないと言っています。そのうちの一つの集落で、先日、魔獣に襲われた人が大けがをして、家が一軒、根元から潰れました」
宿で何十回も練習したとおりだった。つかえたのは、数のところだけだ。それも、すぐに言い直した。
帳面を受け取ると、役人は、一枚ずつめくった。日付を見て、場所を見て、次をめくる。急いでもいないし、読み飛ばしてもいない。
最後の頁で、手が止まった。
四角い印の写しだった。四角の中に、横線が二本と、釣り針みたいに曲がった線が一つ。
役人は、その写しを、ほかの頁よりほんの少しだけ長く見ていた。それから、ペンの位置を指で直した。ペンは、最初からまっすぐ置いてあった。
……知っている印なのか。
確かめようはない。役人の顔は、最初と何も変わっていなかった。
「拝見しました」
役人は、帳面を閉じて、窓からリオネルに返した。
「取り下げの判断は、依頼を受けた側、つまりギルドと、その上の部署のなさることです。この窓口で、そこへ照会をかけることはできません」
「では、どこへ行けば」
「照会には、関係する部署からの、正式な依頼が要ります」
「関係する部署というのは」
「研究院でしたら、研究院の中から。ギルドでしたら、ギルドの本部から」
「その依頼の書き方だけでも、教えてもらえませんか」
役人は、机の引き出しから、紙を一枚出して、窓から差し出した。上のほうに、細かい字で決まりごとが書いてある。いちばん下に、依頼する部署の名前を書く欄と、判を押す欄があった。
「こちらの書式で、部署の長の判をいただいてください」
リオネルは、紙を受け取って、しばらく黙って見ていた。判を押す欄に、押せる判がない。
研究院の中の人なら、ノアがいる。そのノアが上に回した報告は、「重要度低」の付箋をつけられて、ノアの机に戻ってきた。ノアの手紙に、そう書いてあった。
「その研究院の中で、止められたんです」
リオネルの声が、少しだけ高くなった。
「でしたら、なおのこと、こちらでは何もできません」
役人は、少しも声を変えずに言った。
「調査の権限を持たない民間のギルドが、口を出す話ではありません」
俺は、柵に手をかけた。
「人が一人、脚をやられて、まだ歩けないんだ」
口から出てから、言うつもりはなかったことに気づいた。
「それに、家が一軒なくなった。春まで屋根もない。見舞金も、出ないって言われた」
言いながら、家を潰された集落の母親が、残った板を数え直していた指を思い出した。三枚目のところで、何度も止まっていた。
「お気の毒です」
役人は、本当にそう思っているような声で言った。
「見舞金のことでしたら、ギルドの支部へお問い合わせください。向かいの建物です」
入り口のほうを振り返ると、開いた扉の向こうに、向かいの支部の看板が見えた。石段に座ったリシアの背中も、少しだけ見えた。
俺は、懐に手を入れかけて、やめた。ノアの手紙を見せても、たぶん同じだ。
代わりに、名前を出した。
「外塔のレン・ハルヴェルだ。この件は、俺の名前で頼みたい」
リオネルが、横で、少しだけこっちを見た。
役人は、俺の顔を、窓ごしにはじめてまっすぐ見た。
「存じています。学院の試合で、北の騎士を破った方ですね」
「なら」
「ですが、どなたのお名前でも、同じことです」
判子の箱のふたが、そっと閉まった。
うしろの長椅子で、十五番の札を持った女が、咳払いをした。リオネルが帳面を胸に抱え直すと、紙の端が、腕の中でくしゃりと鳴った。俺は、柵に置いていた手を下ろした。
役人の指が、ペンのほうへ伸びかけて、途中で止まった。それから、閉じた判子の箱のふちに置かれた。
役人は、ほんの少しだけ、身を乗り出した。うしろの十五番には、届かないくらいの声だった。
「それから、さっきの最後の頁の写し。あれは、あまり人に見せて回らないほうがいい」
「……知ってるのか、あの印」
役人は、答えなかった。すぐに身を引いて、また、最初と同じ平らな顔に戻った。
「お強いのは結構ですが、ここは腕力の話ではありません」
俺は、それ以上言い返さなかった。
お読みいただき、ありがとうございました。
役所の窓口で、札を握って待つ回でした。鶏の数がどうなったのかは、作者にも分かりません。
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