第108話 また、消えた
第108話 また、消えた
魔獣の腹から出てきた魔核は、黒かった。
拳を二つ合わせたくらいの大きさで、表面が焼けた炭みたいにひび割れている。ふつうの魔核なら、取り出したばかりは赤っぽく透けて見える。これは、どこから見ても真っ黒だ。
夜が明けたばかりの雪原は、溶けた泥が夜のうちに凍って、靴の裏でがりがり鳴った。横倒しになった魔獣の体からは、もう湯気も上がっていない。
ゆうべ、魔獣が四度目に吠えたあと、グレンの火と俺の熱が、同じ瞬間に背中へ入った。示し合わせた覚えはない。魔獣は、前脚を折って、雪の上に顔から突っこんだ。それきり、起きなかった。
地面に熱を吸われた右手の指は、まだ半分しか曲がらない。
俺は解体用の刃を置いて、魔核の上に左手をかざした。
ぬるい。凍えるような夜を越したのに、まだぬるい。それでも、引っぱられない。熱を吸われるときの、あのいやな感じが来ない。
「もう、何もしないな、これ」
「死んでるからですか」
横で帳面を開いていたリオネルが言った。
「たぶん」
「くそ、まだ縮んでる」
うしろの焚き火で、グレンが自分の靴を火にかざしていた。ゆうべの泥で濡れた革を、乾かしているらしい。近づけすぎて、靴の先が、くるっと上を向いていた。
「火から離せ」
「離したら乾かねえだろうが」
グレンは、靴をさらに火に近づけた。
「これ、ノアさんに送ります」
リオネルが、帳面を閉じた。学院にいたころ、評定の場で、俺たちのために自分の名前で報告を読み上げてくれた研究官だ。今は、王都の魔核研究院にいる。
「町の支部から、急ぎの便で出します。報告も書いて、一緒に。半年前の井戸の件も、つけます」
魔核は、布で三重に包んで、鞍に吊ってきた鉄の鍋に入れた。依頼書と一緒に届いた黒いかけらが、前から入っている。その上に、そっと重ねた。リオネルが、鍋ごと自分の鞍に吊り直した。
「ねえ、その鍋、いつ返ってくるの」
サラが、鍋を指さした。
「分からん」
「台所の、いちばんいいやつなんだけど。帰ったら、あれでスープ作りたいんだけど」
「やめとけ」
「洗えば平気でしょ」
返事は、しなかった。
昼前に、リオネルは町へ向けて出た。グレンも一緒だった。乗ってきた馬が勝手に帰ってしまったので、リオネルの馬のうしろに乗せてもらうらしい。
「町で返事を待ってから、戻ります。一週間は、みてください」
馬が歩きだしてから、グレンが首だけで振り返った。
「おい。次は、ちゃんと呼べ」
「呼んでない」
「だから、呼べっつってんだろうが」
何を言っているのか、よく分からなかった。訊き返す前に、馬は坂を下りはじめていた。グレンの靴の先が、最後まで上を向いていた。
ノアなら、何とかするだろう。
それから一週間、俺たちは集落に残って、潰れた家の跡を片づけた。
ボルクは、胸のやけどをニアに毎朝看てもらいながら、屋根の板を一人で三枚ずつ運んでいた。その横で、指を二本布で巻かれたラグが、左手でスープを飲んでいる。ボルクが板を下ろして息をついた隙に、その上へこぼした。ボルクは、何も言わずに、その板ごと運んでいった。リシアは、膜の上に板をまとめて載せて運ぼうとして、二回落とした。三回目からは、手で運んでいた。
スープは、潰れた家の母親が、毎日昼に大鍋で持ってきた。毎日、少ししょっぱかった。三日目に、フィンが「塩、入れすぎじゃない?」と言って、ニアに足を踏まれた。次の日のスープも、同じ味だった。
ユノは、毎朝、片づけを始める前に、坑道のある山のほうを少しのあいだ見ていた。何を見ているのかは、訊かなかった。ユノのほうからも、何も言わない。四日目からは、俺も隣に立って、同じほうを見るようにしてみた。雪をかぶった木が並んでいるだけで、俺には何も見えない。
屋根の下からは、いろいろ出てきた。割れた皿。片方だけの子どもの靴。綿の飛び出た枕。どれも焦げてはいなかった。
片づけが終わるころには、家の跡は、雪のない四角い地面になっていた。四本あった柱のうち、三本は根元で折れていた。上の部分は外へ運び出した。
一本だけ、折れずに残っている。上から押しこまれたみたいに、膝が隠れるくらいの深さまで土に沈んでいた。真ん中から縦に、指が入るくらいの幅で裂けている。
八日目の夕方、リオネルが一人で戻ってきた。
外套の裾に、町までの道の泥が、乾いて白くこびりついている。リオネルは、馬から下りると、まず鞍の鍋を外して、俺に渡した。空だった。
「魔核は、ちゃんと送りました。ただ、町で鍋を開けたら、包んだ布が三枚とも、魔核の形に茶色くなってました。内側の布ほど濃くて、いちばん内側なんか、ぱりぱりです。触ったら、ぬるいくらいだったのに」
……死んでても、焦がすのか。
リオネルが、外套の胸から封筒を一通と、紙を一枚出した。封筒には、研究院の封がついている。
「ノアさんからです。それと、支部から」
封を切った。便せんが二枚入っていた。細くて、まっすぐな字だった。
『魔核と報告書、確かに受け取りました。私が受け付けて、目も通しました。王都は、ここ十日ほど雨が続いています。』
『翌日、報告書が私の机に戻ってきました。表に付箋が一枚。「重要度低」とだけ書いてあります。貼ったのは、研究院の中の、私とは別の部署です。その部署の誰に訊いても、知らないという返事でした。』
『半年前の井戸の報告書も、探しました。同じ付箋が、同じ字で貼ってあります。この半年のあいだに、同じ付箋のついた報告書が、ほかに九件見つかっています。九件とも、保管庫にしまってあるはずの原本が、なくなっていました。』
九件。
前に、リオネルが外塔の記録部屋の床に並べていた写しを思い出した。途中で、誰かに取り下げられた依頼の写しは、十一枚。ノアの見つけた九件と、何件かぶっているのか。ここでは、確かめようがない。
二枚目のいちばん下に、もう一行あった。そこだけ、インクの色が少し薄くて、字が崩れている。あとから書き足したらしい。
『これは、私の一存では止められない規模かもしれません。』
「支部のほうは」
「町の支部で、あの家の見舞金も頼んでみたんですけど、通りませんでした」
リオネルが、紙を広げた。
「重要度が低い件には、出ないそうです。支部の台帳にも、この件の横に『重要度低』と書き写してありました」
「誰が、低いって決めた」
「この紙には、書いてありません」
リオネルは、紙をたたみ直した。角を、何度もそろえていた。
隣の家の戸が開いて、潰れた家の母親が出てきた。両手に、乾かした屋根板を抱えている。リオネルがその前まで行って、紙のことを話した。ゆっくり、短く。
母親は、板を抱えたまま、最後まで黙って聞いていた。
「そうですか」
それだけ言って、抱えていた板を、雪の上に下ろした。
「じゃあ、春までに、屋根だけは何とかしないとね。これで、何枚あるかしら」
母親は、板の枚数を数えはじめた。一枚、二枚。途中で分からなくなって、最初から数え直した。
男の子は、家の跡のそばで、拾った釘を一本ずつ雪に刺して並べていた。こっちの話は、たぶん聞いていない。釘の列は、もう家の幅を越えていた。足りなくなると、瓦礫の中から、また一本抜いてくる。
母親の指が、三枚目のところで、また止まった。
「リオネル。もう一回、書け。今度は、俺の名前も入れろ」
「はい」
リオネルは、すぐに答えた。外塔で六年やってきた俺の名前だ。付箋一枚より軽いってことは、ないはずだ。
リシアが、いつのまにか俺の横に来ていた。何か言うのかと思ったら、何も言わなかった。俺の手の中の手紙を一度だけ見て、それから、俺が見ている母親のほうを見た。
手紙をたたもうとして、右手の指がうまく曲がらなかった。左手でたたみ直して、懐に入れた。
家の跡まで歩いて、土に沈んだ柱の前で止まった。縦の裂け目に、左手をかざす。
かすかに、引っぱられた。
足もとを見た。まわりの土は、夕方の冷えで、白く霜をかぶっている。柱の根元のまわりだけ、手のひら一枚ぶん、霜がついていなかった。
最初の日、俺の手から熱を吸ったあとの雪と、同じ溶け方だった。
俺は手を下ろして、その柱を、しばらく見ていた。
お読みいただき、ありがとうございました。
戦いのあとの、静かな一週間の話でした。グレンの靴は、たぶんもう元に戻りません。
続きが気になると思っていただけたら、ブックマークや評価で応援いただけると励みになります。




