第105話 十二人、出る
第105話 十二人、出る
三日たっても、鍋が冷めない。
俺の馬の鞍の後ろで、かたん、かたんと鳴っている。中に入っているのは、依頼書と一緒に支部へ届いていた、黒いかけらだ。触ると、ぬるい湯くらいしかない。なのに、じかに布で包むと、一晩で布が茶色く焦げる。熱さのわりに、焦がす力だけが強い。だから鉄の鍋に入れて、鞍に当たらないように板を一枚はさんで吊ってある。
最初の晩、みんなの手を温めようとして、鍋に少しだけ熱を入れた。鍋は、入れた分より、ずっと熱くなった。それからは、触っていない。
「その鍋、夜はあったかいから助かったよね」
すぐ後ろの馬から、サラが言った。
「みんな、足を寄せて寝てたし。ボルクなんか、抱えて寝ようとしてたよ」
「してない」
先頭のボルクが、振り向きもせずに言った。
中身を知っていて足を寄せるのも、どうかと思う。言うと長くなるので、黙っておいた。
村を出て、三日目の昼だった。十二人そろって同じ依頼に出るのは、これが初めてだ。いつもは、二人か三人ずつで回している。
俺が乗っているのは、出発の朝に親父が「こいつは性格が悪い」とだけ言った馬だ。どこが悪いのかは言わなかったし、三日乗った今も、俺にはまだ分からない。
振り返ると、馬の列が、来た道のずっと後ろまで続いていた。最後のほうは、木の陰に入って見えない。
……こんなに、いたか。
前のほうで、ボルクの馬が止まった。
「川だ」
細い川が、道を横切っていた。表だけが、うすく凍っている。馬が乗れば割れて、割れたふちが刃物みたいにとがる。そのまま進めば、馬の脚が切れる。
「回り道は」
「半日です。上流の橋まで」
リオネルが、地図から顔を上げずに答えた。
半日。依頼書の「人が一人やられた」のところだけ、字が小さかったのを思い出した。半日あれば、もう一人やられるかもしれない。
カイルが馬を下りて、川のふちにしゃがんだ。手袋を外して、氷に指先を当てる。
ぴし、と音がした。
氷に、まっすぐな線が二本走った。馬一頭が通れるくらいの幅で、向こう岸まで。線と線のあいだの氷だけが、指でつまめるくらいの粒になって、流れに運ばれていく。両側の氷には、ひびひとつ入っていない。
「どうぞ」
手袋をはめ直しながら、カイルはそれだけ言った。
「……え、カイル、落ちなかった」
フィンが、本気で驚いた声を出した。カイルは、聞こえないふりをした。学院のころは、割りすぎて自分ごと川に落ちていた奴だ。
ボルクが、馬に乗ったまま最初に川へ入った。三歩目で、馬の前脚が底の泥にずぼりと沈んだ。馬が首を振り上げて、ボルクが鞍の上で大きく傾く。
ボルクは黙って馬を下りた。すねの半ばまで水に沈んだまま、手綱を引いて渡りはじめる。冷たいはずだが、足は止まらない。
それを見て、後ろの連中も一頭ずつ馬を下りた。
リシアだけは、馬を下りずに渡った。ボルクの馬が沈んだところの一歩手前で、馬に小さく跳ばせて、そこを越えた。
向こう岸では、サラが待っていた。最初に上がったボルクのすねに、手のひらを当てる。湯気がふわっと上がって、ついでに、焦げたにおいがした。
「あ、ごめん。強かった」
ボルクは何も言わずに、一歩下がった。
「はい、次。並んで並んで」
俺も並んだ。
隣に、リシアが馬を寄せて、下りてきた。どこも濡れていない。
「お前、濡れてないだろ」
「並んでいるだけです」
理由は、訊かないでおいた。
集落の外れに着いたのは、日が傾きはじめたころだった。
集落は十軒あるかないかで、どの屋根にも雪が厚くのっているのに、坑道へ続く道だけが、やけに広く踏み固められていた。その手前に、家の跡があった。
潰れた家は、内側へ折れるように倒れていて、屋根の下から、四本の柱の根元だけがのぞいていた。
煤はない。焼けた壁もない。柱の根元だけが、黒い炭になっている。
家の跡のまわりだけ、雪が積もっていなかった。
跡のそばに、そりが一台止めてあった。毛布をかけた男が一人、横になっている。右の脚に板を当てて、布で巻いてあった。そりの横に、女の人と、小さな男の子が立っていた。
「……依頼を出した方ですか」
馬を下りたリオネルに、女の人はうなずいた。
「坂の上から、馬の列が見えたので。この人が、どうしても自分で迎えるって言うから、そりでここまで運んできたんです。途中で、眠っちゃいましたけど」
それから、そりの男を見た。
「やられたのは、この人です。生きてます」
生きてます、のところで、声が少しだけ大きくなった。
ニアが馬を下りて、男の額に手のひらを当てた。それから、ずれていた毛布を肩まで引き上げる。
「息はちゃんとしてます。脚より、体が冷えてるほうが心配です。家の中へ入れてあげてください」
「どこだ」
ボルクが、そりの綱を拾った。女の人が、隣の家を指さす。ボルクは、そりを引いて歩きだした。女の人は、その横についていきながら、こっちを振り返った。
「夜中に、床があったかくなったんです。最初は、床下で猫でも寝てるのかと思うくらいで。うち、猫なんかいないのに。そのうち裸足で立てないくらい熱くなって、朝には、柱が根元から炭になってました」
「どんな魔獣でしたか」
リオネルが、帳面を開いて声を張った。
「牛より、ずっと大きかったって。暗い中で、背中だけが、ぼうっと赤かったって。この人が言うには、ですけど」
男の子は、ついていかなかった。ポケットから干し肉を出して、ボルクが置いていった馬に食べさせようとしている。馬は、においをかいで顔をそむけた。男の子は、あきらめずに、もう一度差し出した。
俺は、手綱を近くにいたラグに預けて、家の跡に近づいた。雪のない地面にしゃがんで、手のひらを当てる。
温かい。土の表面じゃない。もっと下から、じわじわ上がってくる温かさだ。
手を離そうとした、そのときだった。
手のひらから、熱が抜けた。入れるつもりはなかった。地面のほうに、吸われた。
次の瞬間、雪のない場所のふちで、雪がじゅっと溶けた。黒い土が、ぐるりと一歩ぶん外へ広がる。溶けたところから、湯気が上がった。
手を、引っこ抜くように離した。
手のひらが、冷たかった。握って、開く。指が、思ったように曲がらない。
いつもは熱を出す側の俺が、熱を取られた。
鞍の後ろで、鍋が、かたんと鳴った。
「レン」
後ろで、リシアの声がした。半歩、こっちへ来ていた。
「大丈夫だ。……もう、触らない」
立ち上がって、冷えた右手を、脇の下に突っこんだ。
「何それ」
後ろでフィンが言った。俺は、手を突っこんだまま背を向けた。
左手で、崩れた屋根の板を一枚どけた。柱の並びが、やっと見えた。
四本のうち三本は、残りの一本のほうへ倒れている。その一本だけは倒れずに、根元から地面へめり込んで、縦に割れていた。
「……魔獣が、ぶつかったのか」
「でも、柱に、ぶつかった傷がありません」
リシアが言った。言われて、柱をよく見た。確かに、ない。爪の跡も、へこみもない。根元が黒い炭になっているだけだ。
じゃあ、何が倒した。もう一度、柱を見た。三本は、めり込んだ一本のほうへ寄りかかっている。分からない。
リシアが、足もとの黒い土を、靴の先で軽く掘った。何も出てこない。それでも、しばらく掘っていた。
魔力の揺れを読むユノは、まだ馬の上にいた。家の跡ではなく、集落の奥の、坑道のある山のほうを見ている。
雪をかぶった木が、山のすそまでぎっしりと並んでいる。夕方の空を背にして、木のてっぺんの線だけが、くっきり見えた。
俺は、後ろを振り返った。みんなの顔を、一人、二人と数えて、三人目でフィンと目が合った。変な顔をされたので、やめた。
森のずっと奥で、木の上の雪が落ちはじめた。
奥の一点から始まって、白いかたまりが枝から枝へばさばさと滑り落ち、まわりの木へ、輪になって広がっていく。風は吹いていない。
「雪崩? 雪崩?」
フィンが、二回言った。
「あ」
男の子が、干し肉を持ったまま言った。
「……あそこの、地面の下です」
ユノが、小さな声で言った。雪が落ちはじめたところを、まっすぐ見ていた。
森の奥で、地面が一度、沈んだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
十二人そろっての初めての遠出でした。ボルクのすねは、たぶん無事です。
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