第104話 依頼、黒い熱の気配
第104話 依頼、黒い熱の気配
布の包みが、まだ温かかった。
中に入っているのは、親指の先くらいの、小さなかけらだ。馬で三日もかけて運ばれてきた。それなのに、布の上から触ると、冷めかけのお茶くらいの温かさがある。
……おかしい。
「支部の受付の人が、渡してくれたんです」
リオネルが言った。朝の食卓には、俺とリオネルとユノの三人しかいない。ほかの連中は、まだ寝ているか、もう仕事に出ているかだ。
「依頼の紙を写してくるだけ、って話じゃなかったか」
「そのつもりでした。でも今回は、持っていけ、って」
リオネルは、包みの隣に紙を一枚置いた。今度は写しじゃない。依頼を出した人が、自分の手で書いた本物の依頼書だ。
東の魔境の奥。ここから馬で三日の、小さな採掘の集落。坑道の近くに、大きな魔獣が住みついた。討伐してほしい。
家畜が三頭、人が一人やられた。
報酬の欄には、集落のみんなでかき集めたらしい、中途半端な額が書いてあった。字は大きくて角ばっている。書くのに慣れていない人の字だ。紙の端には、泥のついた指の跡が一つ残っていた。
最後に、こう書いてあった。証拠として、先に倒した若い魔獣の、魔核のかけらを付けます。その魔獣は、死んで一晩たっても、裂いた腹から湯気が上がっていました。
紙のどこにも、朱の線は引かれていなかった。昨日リオネルと山ほど見た取り下げの印が、この一枚にはない。
「これ、取り下げになってないのか」
「まだ、です」
リオネルは、「まだ」を少しだけ強く言った。
「昨日、支部からの帰りぎわに、掲示板の依頼を全部見直したんです。熱い、とか、黒い、とか書いてあるやつを探して。……残ってたのは、これ一件だけでした」
リオネルは、自分の手のひらを見た。
「それを写してたら、受付の人が奥に引っこんで。戻ってきたら、この包みと依頼書を、僕の手に押しつけてきて。それで、次の方どうぞ、って。僕の顔は見ないで」
「証拠の品って、依頼を受けた奴にしか渡さないもんだろ」
「はい。本当は、そうです」
「俺たち、まだ受けてないぞ」
「はい」
あの受付の人、あとで、怒られなきゃいいが。取り下げを決めているのは、支部より、もっと上の誰かだ。怒られるくらいで済めば、の話だけど。
ユノが、いつのまにか包みのほうに身を乗り出していた。
手は出さない。テーブルの端に両手を置いて、顔だけ近づけている。今朝は、髪を結ぶのを忘れたらしく、前髪がひと束、目の前に垂れていた。本人は気にしていない。
ユノは指一本で、包みを日の当たらないほうへ、そっと押しやった。
「……日なただと、お日さまの熱が混ざるので」
それから、ユノは俺のほうを見た。
「……開けても、いいですか」
「ああ」
ユノが、布の端をつまんで、ゆっくり開いた。
かけらは、思っていたより黒かった。
魔核を割ると、ふつうは中に濁った色が何層にも重なって見える。これは違った。割れた面の奥まで、墨を塗ったみたいに真っ黒だ。表面には、細いすじが一本走っている。
ユノは顔を近づけたまま、動かなくなった。息も止めている。
「……熱が、外に逃げていきません」
小さな声だった。
「ふつうの魔核なら、放っておけば冷めます。でも、これは……抜けた分だけ、奥からまた戻ってきます」
ユノの声が、途中で詰まった。
「あの蜥蜴のと、同じです。……たぶん」
灰雨鉱窟で戦った、火を食う蜥蜴のことだ。
俺は黙って、かけらに指先を当てた。
熱い、というほどじゃない。ただ、冷めていない。試しに、俺の熱を、ほんの少しだけ流しこんでみた。
かけらは、それを吸いこんだ。それから、流した分より多い熱を、指に押し返してきた。
……戻ってくる、というより、ふくらませて返してくる感じだ。ユノの言い方とは、ちょっと違う気がする。どっちが正しいのかは、分からない。
指を離した。指の腹の奥に、むずがゆさが残った。子どものころ、村に持ちこまれた冷めない魔核を触ったときも、指の腹が同じようにむずがゆくなった。
黒熱。あのころ、みんなはそう呼んでいた。
「……この集落」
リオネルが、いきなり立ち上がった。椅子の脚が床をこする。
そのまま、階段を駆け上がっていった。二段飛ばしだ。すぐに、二階の記録部屋の戸が開く音がした。
ユノは、まだかけらから顔を上げない。
入れかわりに、ボルクが、寝ぐせ頭のまま階段を下りてきた。テーブルの上の黒いかけらに気づいて、何も考えずに、指でひょいとつまみ上げる。ユノが、あ、と手を浮かせた。
「あっつ」
すぐに置いた。それから、ユノの顔とかけらを見比べて、「焼き芋か」と訊いた。
「違います」
ユノは、顔も上げずに答えた。ボルクは、黒パンを一切れつまんで、あくびをしながら、また二階へ戻っていった。階段の途中で、「芋じゃねえのかよ」と一人でぼやく声がした。
あっつ、か。さっき触ったとき、俺は、温かいとしか思わなかった。俺の指が鈍いのか。それとも、俺が流した熱が、あの中で増えたのか。
俺は、依頼書を読み直した。集落の名前。坑道。家畜が三頭、人が一人。
「人が一人」のところで、目が止まった。そこだけ、ほかの行より字が小さい。
やられた、としか書いていない。死んだのか、けがで済んだのか。
表の戸口のほうで、誰かが洗い桶を置く音がした。サラだ。干したばかりのシーツが、風で落ちたとかで、文句を言っている。
「だから、あっちの枝に干すなって言ったのに」
相手の返事は聞こえない。誰もいないのかもしれない。
階段を下りてくる足音は、上がっていったときより、ずっと遅かった。
リオネルは、紙を一枚持っていた。指の腹が、棚のほこりで灰色になっている。
昨日の、取り下げの写しの一枚だった。
東の辺境、採掘の村。井戸の水が、汲んでしばらくたっても冷めない。原因を調べてほしい。朱の線。取り下げ。
リオネルは、さっき立ち上がったときのまま斜めになっている椅子に、直さずに座った。それから、二枚の紙をテーブルに並べた。
依頼を出した集落の名前が、二枚とも同じだった。
「半年前です」
リオネルが、井戸の依頼の日付を、指で押さえた。
「この集落、半年前にも一度、知らせてたんです」
俺は、何も言わなかった。
半年前は、井戸の水が冷めなかった。今は、死んで一晩たった魔獣の腹から、まだ湯気が上がる。
……育ってる。
頭の中で、日数を数えた。この依頼書がここに届くまでに、三日。俺たちが向こうに着くまでに、また三日。そのあいだに、二人目が出てもおかしくない。
昨日、あの井戸の写しを最初に手に取ったのは、俺だった。冷めない井戸、と読んで、そのまま次の一枚へ手を伸ばした。集落の名前なんて、見てもいなかった。
見ていたところで、昨日の時点で何ができたわけでもない。
それなのに、気がつくと、爪の先で集落の名前を一文字ずつなぞっていた。
「なあ。受付の人、怒られると思うか」
口から出たのは、なぜかそれだった。
リオネルが、こっちを見た。何の話か分からない、という顔だった。
「……分かりません」
ユノは、布の端だけをつまんで、かけらを包み直していた。最後の角を折りこむとき、指が止まった。布の上からでも、熱かったらしい。その指先を、ユノは自分の耳たぶに当てた。
それから、顔を上げた。前髪の向こうから、まっすぐこっちを見ている。
「半年前に、ちゃんと処理していれば——」
ユノは、そこで口を閉じた。唇を軽くかんで、言い直した。
「今のうちに、行きましょう。せめて、これ以上は」
これ以上は、の先は言わなかった。いつもの「たぶん」も、今度は付いていなかった。
俺は立ち上がって、二枚の紙を重ねて折り、懐に入れた。
「リオネル。支部が開いたら、受けるって言いに行くぞ」
「はい」
出る前に、もう一度、包みを見た。
包みの布の、かけらが当たっているところが、ほんの少し茶色くなっていた。ユノが包み直したときには、まだ、こんな色はなかった。
焦げる手前の色だった。
指を当てかけて、やめた。
俺は台所から鉄の小鍋を取ってきて、布の結び目だけをつまみ、包みをその底に落とした。
鍋の底で、かけらが、じり、と小さく鳴った。
お読みいただき、ありがとうございます。
届いたのは、冷めない小さなかけらが一つ。次はいよいよ、みんなで外へ出ます。
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