↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
101/140

第101話 その依頼、涼しい顔で

第101話 その依頼、涼しい顔で


「四人、ですか」


 隊商の親方が、俺たちの後ろを覗き込んだ。後ろには、峠道と、止まったままの荷車しかない。


「四人です」


「後から、残りの方が」


「来ません。ほかの連中は、別の依頼に出てます」


「噂だと、もっと若い人たちだって」


「噂は、遅いので」


 親方は、つばの裂けた帽子を手の中で一度だけ回した。まだ何か言いかけて、やめた。値段の話だろう、と俺は思った。四人でその値段か、と。


 荷車は七台あった。塩を積んでいるらしく、幌の隙間からこぼれた白い粉が、車輪の轍に沿って細く積もっている。三日前から、ここで止まっているという。


 理由は、峠の上にいた。


 切り通しの真ん中に、岩が一つ転がっている。荷車一台半ほどの幅しかない道の、半分以上を塞ぐ大きさだった。両側は赤土の崖で、大人三人分の高さがある。岩の背には苔が生えていて、その隙間に砂利が詰まっていた。


 その背が、ゆっくり上下している。


「あれに、護衛が二人やられました」


 親方が、顎で荷車の陰を示す。腕を布で吊った男が二人、樽に腰かけていた。手前の男の脛当ては、内側へへこんだまま戻っていない。


「役所には、二度届けを出したんです。峠の番所にも。返事は、まだありません」


「昼間は、動かないんですか」


「動きません。こっちが近づくと、急に。夜は……こっちも寝てるので、分かりません。朝になると、少しだけ向きが変わってる」


 夜のうちに、餌でも探しているのかもしれない。道の真ん中を選んで伏せているのも、たぶん偶然ではない。


 ボルクが足元を見下ろして、顔をしかめた。


「この靴、まだ鳴るんだよな」


 一歩ごとに、きゅ、と音がする。先月の市で、店主に勧められるまま買ったばかりらしい。誰も、返事をしなかった。


 ユノは荷車の横に立ったまま、切り通しのほうを見ていた。距離は二十歩はある。手には干した杏の袋を持っていて、一つ口に入れては顔をしかめている。


「……酸っぱい、です」


「買ったの、お前だろ」


「はい」


 ユノはもう一つ口に入れて、それを噛みながら言った。


「喉の下。前から数えて、三枚目の板です。そこだけ、揺れが遅い」


「遅い、って」


「脈が、そこだけ殻の近くを通ってます。……たぶん」


 親方が、俺とユノを見比べていた。


 俺は腰の袋から、解体用の刃を出した。刃渡りは掌を二つ並べたほど。素材屋の息子が持っていても、誰も気にしない種類の刃物だ。


「剣は、使わないんですか。ハルヴェルさん、でしたか」


 依頼書の署名を、覚えていたらしい。


「これで足ります」


 足りなかったら、そのとき考える。


 ボルクが、道の真ん中をまっすぐ上っていく。靴が、きゅ、きゅ、と鳴る。リシアはその一歩左後ろを、何も言わずについていった。俺は、左の崖際を行く。打ち合わせは、していない。峠の形を見れば、どこに立つかは決まる。


 岩の前で立ち止まると、ボルクは握った拳の甲で、岩の背を二度叩いた。戸口を叩くのと、同じ叩き方だった。


 それから、きゅ、きゅ、と十歩下がって、そこで止まった。


 後ろで、親方が短い声を出した。


 苔の下から、脚が四本出てきた。背の甲殻がまるごと起き上がり、さっきまで見下ろしていた岩の背が、荷車の幌を越える高さまで一息に上がる。首が伸びた。首の下には、灰色の板が何枚も、鱗のように重なって並んでいる。伏せているあいだ地面についていたせいか、板はどれも泥で黒く濡れていた。


 目は開いていた。いつから開いていたのかは、分からない。俺は、眠っていると思っていた。


 獣が、坂を下りはじめる。一歩ごとに足元の砂利が跳ね、三歩目で、それは突進になった。


 ボルクは、動かなかった。


 右の崖に近いほうの前脚が、ボルクの二歩手前で、何もないはずの地面を踏んだ。光の加減でやっと見えるくらいの、薄い膜が一枚、そこに斜めに寝かせてあった。リシアの膜だ。蹄に近い硬い足先が、膜の傾きに沿って、外へ滑る。巨体が右へ傾き、頭がボルクの正面を外れて、右の崖に突っ込んだ。


 赤土が、崩れて降る。獣の肩がボルクの肩を掠め、ボルクの靴が砂利を削って、二歩分、後ろへ滑った。


 首が、崖に刺さったまま伸びきっている。首の下の板が、左の崖際にいる俺から、斜めに見えた。前から一枚、二枚、三枚目。


 三枚目の板の縁に、熱を入れた。火は出ない。板の縁だけを、内側から温める。


 じゅ、と音がして、泥の水が湯気になって上がった。割れない。


 もう一度、と思ったとき、獣の頭が崖から抜けた。


 抜けた勢いのまま、首が、こっちへ振れる。


 俺は一歩下がって、背中を崖にぶつけた。下がれる場所は、それで終わりだった。……痛い。


 顎が、目の前で閉じた。掌一枚ぶんの距離で、歯と歯が噛み合う音がした。息が、生臭い。首の下の板が、今度は真正面にある。三枚目の縁だけが、湯気を出し切って、白っぽく乾いていた。


 そこに、もう一度入れる。


 ぱき、と、薪が割れるような音がした。


 板が縁から浮き、その下に、殻ではない白っぽい皮が見える。皮の下で、何かがゆっくり動いていた。


 刃を握ったまま、鉄に熱を通す。灰色だった鉄が、赤に変わっていく。柄の革が焦げる匂いがした。


 浮いた板の隙間に、刃を差し込む。抵抗は、ほとんどなかった。


 獣の脚が、一本ずつ、折れるように畳まれていく。首が、俺の足元に落ちた。首の下から煙が細く一本だけ上がり、肉の焼ける匂いが赤土の匂いに混じる。


 刃を抜いて、赤く残った鉄が暗くなるまで、そのまま下げておいた。背中が、赤土で汚れている。


 一度目は、乾かすために入れた。……ことにしておこう。


 振り返ると、親方が、帽子を半分だけ脱いだところで止まっていた。脱ぐのか、かぶり直すのか、決めかねているような手つきだった。


 荷車の陰では、腕を吊った奥の男が、樽から腰を浮かせていた。


「おい、あれが――」


 親方が、その男の脇腹を肘で突いた。男は黙って、代わりに舌打ちをした。何に対してなのかは、分からない。脛当てのへこんだ手前の男は、自分の脛当てを、じっと見ている。


 ボルクが、道の真ん中から戻ってきた。立ち止まって、片足で地面を一度踏む。


 きゅ。


 さっきより、気の抜けた音だった。


「……まだ鳴る」


 足を上げて、裏を見る。砂利を削ったせいで、底の縁が白く擦り切れていた。鳴るうえに、擦り切れている。荷車の横から、ユノが杏を一つ差し出した。ボルクは、首を横に振った。


 リシアが、俺の背中の赤土を見て、それから手元を見た。


「革、焦がしましたね」


「巻き直す」


「前も、そう言ってました」


 そうだったかもしれない。覚えていない。


 ユノは、荷車の横から一歩も動いていなかった。杏の袋の中身だけが、さっきより減っていた。


 親方が、ようやく帽子をかぶり直して、俺のほうへ歩いてきた。途中で一度、獣の死骸を振り返る。


「……報酬を」


 革袋が手渡された。俺は、中を確かめずに腰へ下げた。


 親方は、何か言いたそうにしていた。口から出たのは、別の言葉だった。


「塩は、要りませんか。一袋、余分に積んでるんです。湿気ると、売りものにならないもので」


 俺はリシアを見た。リシアは、肩をすくめた。結局、塩を一袋もらった。


 峠を下りはじめたころには、陽が、赤土と同じ色になっていた。


 後ろから、荷車の車輪がようやく動き出す音がする。七台分。一台だけ軸が鳴っていた。油を差せと言いに戻るには、もう遠かった。


 ボルクとユノは、少し先を歩いている。ボルクが擦り切れた靴底の話をしていて、ユノはたぶん聞いていない。杏を一つ、ボルクの口に押し込んで、黙らせていた。


 俺とリシアは、その後ろを並んで歩いた。塩の袋が肩に食い込む。余りものだと言うわりに、袋はずしりと重い。歩くたびに、袋の底で塩が擦れる音がした。


「持ちましょうか」


「いい」


「そうですか」


 リシアは、それ以上言わなかった。代わりに、袋の底に片手を添えてきた。少し、軽くなった。


 腰の刃に、指が触れた。焦げた革の下に、いちばん古い巻きが一層、硬くなって残っている。


 インクの染みた革だ。あの日、机の上でインク壺が倒れて、巻きかけの革が吸った。机には登録の紙が広がっていて、みんなが、名乗る名前の字を決めかねていた。


 峠の下の宿場に、灯りがひとつ、ふたつと点きはじめていた。


「……あれから、何年になる」


 知っていて、訊いた。


 リシアは、指を折っていった。片手では、足りなかった。

お読みいただき、ありがとうございます。

今回から新しいシリーズの開幕です。まずは少し先の、あの四人のある一日から。

感想・ブックマーク・評価をいただけると、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。