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第9話

第九話 湿り坑道



鉄殻兎の素材を回収するのも、外棟の仕事だった。


俺は、倒した鉄殻兎から、魔核を、取り出した。鉄の外殻を、関節から、外して。


——熱い。


抜いたばかりの魔核が、しばらく熱を持つのは、普通のことだ。けれど、これは。普通より、少し、熱すぎた。手の中で、じわりと、脈打つような、熱。


あの夜の、冷めない魔核ほどじゃ、ない。でも、同じ、種類の熱だ。


「カイラさん」


俺は、その魔核を、見せた。


「この魔核、普通より、熱いです。鉄殻兎が、こんなに熱を持つのは……たぶん、おかしい」


カイラさんは、魔核を、手のひらで、転がした。少し、眉を、寄せる。


「……記録しとく。場所と、温度。ユノが言ってた、奥の異常と、関係あるかも、しれん」


そう言って、革袋に、魔核を、しまった。


笑われると、思っていた。でも、カイラさんは、笑わなかった。



実習は、まだ、続く。


一行は、第一層から、第二層へ、降りていった。


第二層は、第一層とは、空気が、まるで、違った。


降りるにつれて、冷たくなって、そして——湿ってくる。壁が、じっとりと、濡れている。天井から、水が、ぽたり、ぽたりと、落ちる。足元には、薄い、水たまり。


光る石も、まばらになって、暗い。どこかで、絶えず、水の滴る音がする。その音が、壁に反響して、坑道の奥行きが、つかめなかった。


上位生たちの足取りも、さっきより、慎重になっている。グレンですら、口数が、減っていた。


そして、行く手が、白かった。


霧だ。坑道の奥が、薄い霧で、煙っている。一歩進むごとに、視界が、狭くなっていく。


「ちっ。なんだよ、この、じめじめした層は」


グレンが、舌打ちした。


火属性の彼には、いちばん、苦手な環境だろう。


案の定、グレンが、苛立ちまぎれに、炎を、放った。霧を、吹き払う、つもりらしい。


炎が、霧を、一瞬、明るく、押しのける。


けど、それだけだった。炎が消えれば、霧は、すぐに、また、戻ってくる。それどころか、火の熱で、濡れた壁から、新しい湯気まで、立ち始めた。


「逆効果だ、それ」


俺が言うと、グレンが、睨んできた。


「うるせえ。じゃあ、火種に、何が、できるってんだ」



できること。


俺は、霧を、見た。


霧は、空気中に、浮いた、細かい水だ。だから、視界を、奪う。グレンの炎は、それを、力ずくで、吹き飛ばそうとして、すぐに、戻られる。熱が、散ってしまうからだ。


なら、吹き飛ばすんじゃ、ない。


俺は、火を、出さなかった。自分の、まわりの空気そのものを、ほんの少しだけ、温める。じわり、と、広く。


温まった空気の中で、細かい水の粒が、ゆっくりと、蒸発していく。


俺の、まわりの霧が、すうっと、薄れた。視界が、戻る。


グレンが、何をやってるんだ、という顔で、見ていた。火も、出していないのに、と。けれど、俺のまわりの霧が、晴れていくのを見て——その顔が、少し、変わった。


「……すご」


ユノが、小さく、声を、上げた。


「でも、これだけじゃ、足りない。まわりが温まったぶん、また奥から、霧が、流れ込んでくる」


俺が言うと、隣で、リシアが、ふっと、息を、吐いた。


「——なら。わたしの、出番ね」


リシアが、手を、かざす。


「《薄膜はくまく》」


俺たちの、進む先。その左右に、うすい膜が、立った。霧の、流れ込む道を、区切るように。


膜の内側には、奥からの霧が、入ってこない。俺が、蒸発させた、視界の通った空間が、そのまま、保たれる。


「囲うんじゃ、なくて。流れを、せき止めるのね。——これで、いい?」


「ああ。上等だ」


鉄殻兎を止めたときと、同じだった。俺が、熱を、動かして。リシアが、境界を、作る。


二人で、霧の中に、まっすぐな、道を、一本、通した。


カイラさんが、その様子を、見ていた。それから、記録板を、取り出して。今度は、ためらいもなく、何かを、書きつけ始めた。


「火属性が不利な層で、火種と薄膜が、視界を確保、と。——使えるじゃないか、あんたら」


その言葉に、リシアの背筋が、ほんの少し、伸びた。誇らしさを、隠そうとして、隠しきれて、いない。


俺も、まあ、悪い気は、しなかった。


後ろを、振り返ると。ボルクが、重い荷を背負ったまま、こくり、と、うなずいた。ニアも、小さく、笑っている。


おかしな話だ。火種と、薄膜と、頑丈なだけの男と、耳のいい子と、手当ての上手な子。一人ずつなら、誰も、たいしたことのできない、落ちこぼれ。


なのに、五人、揃うと。なぜか、少しずつ、前に、進めていた。



霧の道を、進んでいくと。


ユノが、また、足を、止めた。


さっきより、ずっと、強く。何かを、感じている顔だ。小さな手が、自分の胸を、ぎゅっと、つかんでいる。


「ユノ」


俺は、しゃがんだ。前に、そうしたように。


「何が、感じる」


「……分かんない。でも、すごく、強い。奥の、もっと奥。魔力が、揺れてるんじゃ、なくて——燃えてる、みたい。火、じゃないのに、燃えてる。うまく、言えない……ごめんなさい」


「謝るな。よく、教えてくれた」


火じゃ、ないのに、燃えてる。


その言い方が、胸の奥で、嫌な音を、立てた。鉄殻兎の、熱すぎる魔核。あの夜の、冷めない魔核。芯から焦げた、木片。——全部、どこかで、つながっている気が、した。


一年前の、あの感覚に、似ていた。何かが、おかしい。誰も気づいていないけど、確かに、おかしい。あのとき、俺は、それを、うまく、伝えられなかった。そして——。


その先は、今は、考えないことにした。考えている、暇は、なかった。


「カイラさん。ユノが、奥に、強い異常を、感じてます。さっきの魔核より、ずっと、大きいやつを」


カイラさんの顔から、さっきまでの、軽さが、消えた。


「……上位生に、伝える。場合によっちゃ、ここで、撤退だ」


その、ときだった。


霧の、向こう。坑道の、ずっと奥から。


ずる……ずる……と。


何か、重いものを、引きずる音が、聞こえてきた。


泥のような、粘ついた、足音。


それは、ゆっくりと。こっちへ、近づいて、きていた。

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