手紙
ティムとクッキーのその後。
ムーンのほうで連載している箱庭シリーズとの兼ね合いで、Twitterにアップしたものと異なる場所があります。
夕食のあと自分の部屋に戻ったティムは、机の上に封筒と小包を見つけ、急いで扉を閉めた。
小包は両手に収まるくらいの大きさで、茶色い紙で丁寧にラッピングされ、細い麻のひもがかけられている。封筒は薄いブルーの地に、雪の結晶が白抜きでデザインされていた。
郵便局の配達員から受け取った、ふたりの義姉のどちらかが、兄たちに見つからないうちに、こっそり置いてくれたのだろう。
なにせ兄たちは、この手紙の差出人を大人げないくらい──義姉たちに叱られるくらい──敵視しているから。
ベッドに腹ばいになったティムは、小包を枕元へ置くと、まず封筒を手に取った。しっかりと糊付けされたフラップを四苦八苦して開き、封筒と揃いの便箋を取り出す。
『ティモシー・ホーキンズさま
わたしはいま、仕事場の机でこの手紙を書いています。念のためにいいますが、サボリではありません。きょうの仕事は十分前に終わり、退出の許可ももらっています。しかしあなたもご存じのとおり、わたしは職場に住んでいるようなものなので、部屋へ戻って手紙を書き、郵便局へ出かけるよりも、書いた手紙を持って郵便局へ行き、部屋に帰るほうが効率的なのです』
「『どうかけっして、あなたにかける手間を惜しんでいると思わないでください』──そんなの思わないし」
ティムはぷっと頬を膨らませる。
だいたい手間を惜しんでいるなら、便せんを用意して文面を練り、丁寧な字を綴ってポストへ入れるはずがない。
『先日は会いに来てくださって、ありがとうございました。本当はわたしが飛んで行けたならよいのですが、いまはそれが叶わないことを申し訳なく思っています。あなたは知っているでしょうか。あなたの比類なき行動力が、いつもわたしを驚かせ、幸福とはなにかを教えてくれていることを』
青みがかったインクが語る文面に、足の裏がむずむずして、ティムはバタバタと足を上下に動かした。
相変わらず、高尚な文学でも読んでいる気分になる。
これが、あのクッキーからの手紙だなんて、彼を知るだれが信じるだろう。
初めて手紙をもらったときは、そんな古風な趣味が、という以前に本人と紙面のギャップが衝撃的だった。差出人を五回は確認したし、小説家とかに代筆を依頼したのかと思った。
なんでも、大学で歴史を研究していたクッキーは、資料として残っている偉人の手紙を見て、「形に残るものは丁寧に書かないとヤバい」と痛感したらしい。
「別れた恋人への未練タラタラな手紙とか、出て行った奥さんへの情けない謝りの手紙とか、そんなのが普通に残って後世で笑いものになるとか、恥ずかしすぎるだろ」
そうクッキーがいったときには、偉人にでもなるつもりなのかと呆れたが、考えてみれば王宮に関わる仕事をしているのだ。もし今後何十年も働くとすれば、もしかしたら後世の資料に名前が残るくらいはするのかもしれない。
知らなかったとはいえ──それにクッキーの性格上、忘れがちになるが──本来は自分のような田舎者が付き合うような相手ではないだろう。
夏休み、思い切って中央に出てよかった。クッキーがほかのだれかじゃなく、自分と出会ってくれて、よかった。
ティムは便箋の折り目を伸ばして、続きを読む。
『お土産にいただいたチーズは、少しずつ切って食べるつもりが、すでにひとかけらも残っていません。いままでわたしが食べた、どのチーズより濃厚で味わい深く、合わせたパンや安物のワインが生まれ変わったようにおいしく感じられました。あのチーズにはなにか、特別な魔法がかかっているに違いありません』
思わず、ふふっと笑ってしまう。
連休を利用してクッキーに会いに行ったときに渡したのは、ティムの家の自家製チーズだ。羊の乳から作るのだが、中心となって手掛けているのは下の兄だ。もちろん、ちゃんと代金を家族の貯金箱に入れてから包んで行ったけれど、仇敵のようにいうクッキーが絶賛していたと知ったら、彼はどう思うだろう。
『お礼に、ハンドクリームを送ります。わたしの職場で勧められたものですが、あなたが気に入ってくださると嬉しく思います』
「職場って……」
王宮御用達ってこと?
ティムは慌てて起き上がり、ベッドに座り直すと、包みを開いて梱包材で厳重に守られた丸いガラス容器を取り出した。
「すっごく高かったりして」
ひとぬり五十ユーロとか。
ふたを外して、搾りたてのミルクみたいな乳白色のクリームに鼻を寄せてみた。
「な、なんだかよく分かんないけど高そうな匂いがする!」
おそるおそる、人差し指で表面をつつく。思ったよりも硬く、少し力を入れないとすくえない。塊のようなクリームを取ると、表面にはくっきり指の跡が残るほどだ。柔らかい粘土みたい、と思いながら指の先でこねていると、その熱でとろりと溶けてくる。ちょっと取っただけなのに、思ったよりもよく伸びて両手全体に塗ることができた。
自分史上、一番柔らかくなった手で、再度手紙を開く。
『冬の足音が聞こえる季節になりました。あなたの家では、どのような冬支度をするのでしょう。もちろん牧場の仕事は調べれば分かることですが、それではいかにも味気ない。わたしはあなたが体験することを、あなたの声やあなたの綴る文字で知りたいのです。どうかわたしのために、あなたの時間を少しだけ分けてください。
あなたにキスを』
「はぁ……」
最後のサインまで読み終わって、ティムはため息をつく。クッキーからの手紙を読むと、いつもだ。直接声を聞くわけでも顔を見られるわけでもないのに、手紙というのは特別な感じがする。
ティムは大家族のなかで、いつもだれかしらが側にいて喋っているような環境で育った。田舎は近所同士も身内のようなもので、用事があれば玄関や窓から直接声を掛け合うような間柄だ。だから正直、どれだけ電話やメッセージアプリで言葉を交わしても、直接会えない遠距離恋愛はもどかしかった。会えないうちに、どんどんクッキーとの距離が離れてしまうんじゃないかと気が気じゃなったし、平気そうなクッキーに腹が立つこともあった。
彼が手紙をくれたのは、そんなころだ。
内容は、電話でもチャットでもいいような日常のこと。でもきれいな線で綴られた文には、クッキーの息遣いが感じられた。これを書いて投函し、ティムのところへ届くまでのあいだに、彼はどんなことを考えていたんだろうと思った。
驚くティムの顔を想像して、あの機嫌のいい牧羊犬みたいな顔でわくわくしていたかもしれない。
それを知りたくて、ティムは返事を書いた。家には便せんなんてなかったから、学校の帰りに文具屋へ寄って。妹が好きそうなハートや星のイラストが入ったファンシーなのと、大人が仕事で使うような無地のものしかなくて頭を抱えたけど、無地の便せんにへたくそな羊の絵を描いて送った。
何度かそうして手紙をやり取りするうちに、不思議とティムの焦りみたいなものは収まって行った。
きっと、時間をかけているからだ。
ネットでレターセットを吟味する間も、ペンの色やスタンプを選んでいるあいだも、そしてコトンとポストに落とし、重ねた言葉が運ばれて行く間も。
ゆっくりと、時間をかけて相手のことを考え、喜んでくれることを願っている。
そうしてたまに、熟成されたチーズのような思いを抱えて会いに行くのだ。
「よし!」
ティムはベッドから降りると、机の引き出しを開けて新しい便せんと封筒を取り出した。裏一面に犬の種類がイラストとともに描かれている、カラフルなものだ。
ペン立てからオレンジ色のペンを抜き出して、蓋を外す。
『クッキーへ──』