28話
――その時。
腕を振り上げた【暴獣】の懐に、眩いばかりの光が集う。
次の瞬間、歯と歯がぶつかり合う鈍い音を響かせて涎を滴らせる顎をかち上げ、覆い被さる巨躯を大きく仰け反らせていた。
「遊真っ! こんなとこで何してんのよ! 早く立ち上がりなさい! 死にたいの!?」
聞き覚えのある声を耳にして振り返れば、そこには小さな背中を見せ付けるようにして、一人の少女が【暴獣】の前に立ちはだかっていた。
「流星っ」
胸を擦りながらも立ち上がった遊真は、既に変身を果たし、白とオレンジに身を染めたセーラー服姿のギャラクシープリンセスの登場で、直面した危機を回避できたことに安堵する。
「大した怪我はしてないみたいだけど、細かい事は後にするわ。今はコイツを仕留めるわよ」
言い残すや、流星は地を蹴り再び【暴獣】の懐へと飛び込み、その魔法少女に剛爪を振り翳す【暴獣】だが、小さく、そして素早く動く流星を捉える事は叶わなかった。
かわし様、隙を突いて、脇に、後ろ足にと的確に一撃を叩き込む流星の動きに翻弄される【暴獣】は次第に苛立ちを募らせ、力任せに腕を振るう様子は局地的な嵐をも髣髴させた。
そんな相手を意に介すことなく、吹き荒れる連撃を掻い潜り、横っ面に渾身の拳をめり込ますが、一方の【暴獣】もあまり効いていないのかたたらを踏む程度に留まり、感情を逆撫でた程度にしか見えなかった。
「ったく、タフね。何かもう殴り飽きてきたわ」
「流星、何とかもう少しアイツを牽制して。そうすれば後は僕が何とかする」
弱音を吐く、というより嫌気が差した流星は表情をげんなりとさせるが、しかしここで倒さなければどこまでも追い回されるのは必死。珠操師たる遊真だけでは困難だとしても、魔法少女と力を合わせれば何とかなる。
そう判断した遊真は水晶球を取り出し呼吸を整え、流星に協力を促せば、言われるまでもなく尻尾を巻くつもりなど毛頭なかった彼女は、不敵な笑みを浮かべることで了承を表した。
「任せなさい、面倒臭くなってきたことだし、一気にけりを付けてあげるわ」
言うや、流星は迫り来る巨躯を見定めると、その足で一際高く跳躍する。
宙高く舞い上がった流星の姿を追うようにして、後ろ足で立ち上がった【暴獣】は威嚇の咆哮を放ち、その場で迎撃の体勢で待ち構えた。
そんな【暴獣】に構うことなく、流星は捻りを加えた伸身宙返りから、
「トゥインクルシュゥティングスタァァァァァッ!」
眼下目掛け、何時ぞやに見せた必殺の蹴りを放つ。
森に勝利を呼び寄せる叫びが響き渡り、金色の輝きが流星の身体を包み込む。重力以上の力で加速すれば、魔法少女はその名の如く流星と化していた。
光の矢となったギャラクシープリンセスに、【暴獣】は真っ向勝負を挑むらしく、豪腕を持ち上げながら全身の筋肉を絞り上げる。自慢の巨体に備わる重量を生かし、流星の一撃を受け止めたところで返り討ちにする気なのだろう。
そんな自信を窺わせる【暴獣】を目標に、更に加速した流星が容赦のない一撃をぶちかました。
「どぅえい!」
風を切り、分厚い胸板に叩き込まれる流星の右脚。ぶつかり合う巨躯と光弾。
一瞬の制止。そう見えた瞬間、流星の金色の光に包まれた右脚は、毛皮を突き破り、臓物を押し潰し、背骨を折り砕いて、【暴獣】の背後に突き抜けていた。
瞬きすら許さない、ほんの僅かな接触の中でつけられた決着。恐らく巨躯の持ち主も己の身に何が起こったのか理解出来ていないだろう。
巨躯をいとも容易く貫いて、【暴獣】の胸板に大きな風穴を開けた流星は、華麗なる着地を決め、
「遊真、後は任せたわ」
立ち上がり様に、自分の役目を終えたと告げる。
恐るべき破壊力を秘めた右脚は反撃どころか、受け止めることすら許さず、【暴獣】に断末魔を発する間も与えなかった。
底知れぬ威力に度肝を抜かれながらも遊真は水晶球を翳し、術を行使すれば、突っ立ったまま、しかし僅かに身動ぎする【狂気なる暴獣】を霧散させ、その身を珠に封じて決着とした。
「ありがとう、流星。助かったよ」
「そんなことより、天宮はどこ?」
窮地を救ってくれた小さな魔法少女は感謝の意を述べる彼など気にも留めず、辺りを仕切りに見回している。遊真も彼女が口にした名前に驚きを隠せず、歩み寄りつつもそのわけを訊ねるのだが、
「アイツ、メール一つでこのあたしをここに呼びつけたのよ。返信しても全く返事寄越さないし」
と、取り出したスマホを見せ付けて、不機嫌を露にした。
流星の口振りから察するに、天宮の送りつけた文面はただこの森に来いとだけ書き込まれていたと思われ、何故流星までを呼び出したのか意図が全く読めない。流星の文句も最もだが、今の遊真はそれに耳を傾けている暇はなく、また、急ぎ伝えなければならないことがある。
そう、辺りの禍々しい空気は更に圧力を増すばかりだった。
「それに一体どうしたっていうのよ。巷じゃ【混沌なる妖】共が溢れ出てるって話じゃない」
遊真は、赤暗くなった空を眺めて呟く流星に向き直ると、恐らく天宮が遊真をここに招いた意味であろう事態を説明した。
「流星、【混沌なる妖】達を食い止めていた【ミズノアキラ】の秘術が失われた」
「えっ? それって」
「ごめん、細かく説明している暇はない。僕も天宮さんに呼び出されてここに来たんだ。そしてこの先に涼子先生がいる。だから、一緒に行こう」
真相を告げられ、衝撃に目を見開く流星を促し、森の奥深くへと突き進む。
こうしている間にも倉科涼子の身に何が起きているか知れたものではない。焦りが遊真を急き立て、呼吸の乱れに拍車が掛かる。
木々の間を駆け抜けながらやっとの思いで辿り着いたのは、先日倉科涼子が【混沌なる妖】屠った場所からもう少し進んだ場所。
乱立する樹木が途切れて森の中に少し開けた空間を提供しており、そこに立ち竦む制服姿の服部歳蔵と天宮鈴音、そして闇色に染まりつつある天空を険しい表情で見つめる倉科涼子の姿があった。




