10話
日も落ち、薄暗くなった校舎の中。
服部と呼ばれた巨躯の先導の下、校舎内の一室へと辿り着くのだが、そこは遊真の短い社台学園生活において最も長い時間を過ごしているが、まだ馴染んだとは言い難い部屋、一年D組のプレートが掲げられた教室だった。
「あれ? この教室って、一緒のクラスだったの?」
遊真の問いに服部は、教室の扉を開きながら僅かに振り向き、
「紛うことなく同級生でござるよ」
と小さく首肯した。
「あたしも初めて知ったわ。その図体でよくもまあ今まで目立たなかったものね」
流星も彼の存在を訝しみつつも、感心したような声を上げている。
「あまり目立ちたくないため、常は隠遁の術を使っているからでござるよ。こんな風に」
と右手を胸元に運び、人差し指と中指の二指を立て天井を指して印を結べば、途端、一人の気配が霧散する。既に帰宅してしまって誰もいなくなった薄暗い教室の中で、目の前にいる筈の服部と呼ばれた男の巨躯が、なるほどそれが気にならないあやふやな感覚に陥り、気配全体が空気と紛れて不思議と意識の内へと入ってこない。
事前、彼を認識していてこれだ。何も聞かされていない日常の中で、彼という存在を感知するのはさぞ困難を極めるであろう。
「そんなの今はどうでもいいわ。さあ、色々聞かせてもらうからあんた達も早く席に着きなさいよ」
一方で清々しく興味を失わせた流星は自席に着くと二人に着席を促し、遊真とその横で気配を薄れさせている服部を苦笑させた。
遊真は流星の前の席、一年D組の教室で自分に与えらえた椅子へと腰を預ける。
片や服部は蛍光灯のスイッチを入れて教室の明りを灯すと、流星の隣の机へと腰を下ろしギシリと鈍い音を響かせる。そしてまずはと前置き、先ほどまでとは打って変わり穏やかな物腰で自己紹介から始めるのだった。
「名は、服部歳蔵と申す。察しはついていると思うが、一応忍びと呼ばれているでござる」
「で、その忍びとやらが遊真に近づいた目的は、何?」
「倉科殿の……。いや、この学園にいる限りは倉科先生と申した方がいいでござるな。拙者は倉科先生の近辺を警護する役目をもってこの学園に赴いたでござる。その倉科先生に得体の知れない輩が近づいたがため、警戒していたに過ぎず」
「……遊真が?」
流星の睨む目は明らかに不審者へと向ける視線だったが、自分が守部という一般人あらざるのに加え、間違いなく倉科涼子が目的でありながら自身が社台学園にきた意味を量りかねている状態の遊真である。すぐに自己擁護の言葉は浮かばず、動揺を面に現さないだけで精一杯だったのだが。
そんな遊真の窮地を救ったのは意外な人物だった。
「いやいや、遊真殿ではないでござる。遊真殿は古来よりこの地を守護する珠操師の一族筋の者。得体の知れている人物でござるよ。世界魔法少女協会所属の惑井殿」
服部と名乗った彼は併せて流星の正体も明かすが、彼女は気にも留めていないようだった。
流石は忍者というべきか、倉科涼子の周辺は大半が調査済みといったところなのだろう。
となればここで今更、己の素性を隠している意味は薄いのかもしれない。
珠操師? と怪訝な顔を見せる流星に、遊真は自身の懐へと手を突っ込む。そして透明な珠、校舎裏での争いで使用した水晶球を取り出し、掌の上に乗せて見せた。
磨かれた水晶が反射する蛍光灯の輝きに吸い寄せられ、流星の顔が遊真の掌へと間近に迫る。好奇心を最大限に露にした瞳に映し出されたのは、見覚えのある五寸釘だった。
「あっ、これ。この釘ってさっきの?」
何かを思い出したように声を上げた流星は、水晶球を引っ手繰るようにして奪い取り、食い入るように覗き込む。彼女の手にした透明な球体の中には、一本の釘が中央で浮いているかのように納まっていたのだ。
「万物を珠の中に封じる一族、珠操師の成せる技でござるな。遊真殿達はその術で異界からの襲来者よりこの地を護っているでござるよ」
流星は服部の言葉に耳を貸しながら、手にした水晶球を振ってみたり、指で弾いてみたりと色々試みるのだが、映し出された五寸釘は微動だにしない。眉根を寄せているところを見ると、今一原理が理解出来ないといったところか。
「水晶球に封じ込める、といっても物理的に物がその中に納まっているわけじゃないよ。珠を媒体に術で小さな異空間を作り出し、そこに対象を封じているんだ。あくまで水晶球はこの世界と異空間とを繋げる道、そして二つの世界を区切る扉、の二つの役割のみ。その役割を果たしながら、封じた物が何なのかを映し込んでるだけなんだ」
そのため水晶球が破壊されれば術によって創られた異空間と扉が同時に消失し、封じていた対象はその場に姿を現すのだが、今ここでそれを語れば、彼女は躊躇いもなく手にした水晶球を教室の床に叩きつけそうで恐ろしい。
封じる術があれば、解放する術もまた存在する。みすみす水晶球を一つ無駄にする事もないだろうと、口にするのは控えておく。
「確か、宝石なら水晶に限らず扱える、と聞いたでござるが」
「うん。可能だけど、この辺りでは昔から魔術とよく馴染む良質の水晶が沢山取れるからね。敢えて他の希少石を使う必要がないんだ」
「ふーん。まあ、遊真が何者かはわかったわ。それにしてもこのクラス、担任含めて変な肩書き持ちの人間が集まってんのね」
と流星は机の上で水晶球をコロコロ転がし弄んでいたが、その意見に異を唱えたのはまたしても服部で、
「拙者達だけじゃないでござるよ」
再び衝撃の事実を明かすのだった。




