第2話 帝国の剣は剣術バカらしい
船が港へ入ると、潮の匂いに混じって帝都の喧騒が聞こえてきた。
港には、帝国各地から集まった船が何隻も停泊している。大きな商船の脇では、船員たちが掛け声を合わせて荷を下ろしていた。縄が軋み、木箱が桟橋に置かれるたび、乾いた音が響く。荷を受け取る商人たちは、積み荷の数や傷の有無を確かめながら、忙しそうに指示を飛ばしていた。
その間を縫うように、小さな漁船や荷船が行き来している。港の一角では魚を積んだ籠が次々と運ばれ、威勢のいい売り声が潮風に乗って広がっていた。荷車が石畳を鳴らし、船員や商人たちが行き交う。帝都の港は、朝から活気に満ちている。
船が岸へ寄るにつれて、港の先に広がる街並みが見えてきた。
石造りの建物。赤茶色のレンガ造りの家々。黒い瓦屋根を載せた木造建築に、白い壁と平らな屋根を持つ建物。建物の様式は通りごとに少しずつ違うが、街全体に妙なまとまりがあった。
帝都を訪れるのは、今回が初めてではない。
だから、目の前の景色を見て驚くことはなかった。だが、何度来ても、帝都は独特の街だと思う。
帝国各地から人が集まり、異なる文化や技術が持ち込まれる。建物の様式も、店に並ぶ品も、道を行き交う人々の装いもさまざまだ。それでも、この街は雑然とした印象にならない。石畳の大通りは広く、街路は整えられ、歩行者と馬車がぶつからないように流れが作られている。
帝都の姿は、五百年前に賢者ハルトが築いたものだ。
街の中心から放射状に伸びる大通りも、各地の人々が商いをするための広場も、長い年月を経て今の姿へと変わってきた。けれど、その根本には、帝国を一つにまとめようとした英雄の考えが残っている。
船がゆっくりと桟橋へ横付けされた。
「ヒロト様、到着いたしました」
船員の声に、俺は外套の襟を整えた。
「ああ。荷物は後でいい。まずは港を出るぞ」
「承知しました」
従者たちが荷物を運ぶために動き始める。俺は護衛を数人だけ連れ、先に桟橋へ降りた。
足元に伝わる陸地の感触が、船旅の終わりを告げている。
帝都に来た目的は一つ。
レオン・ノルディアについて、情報を集めることだ。
妹のミコトが生まれて初めて自分から求婚した相手。そして、その求婚を断った男。
父上から聞いた話だけでも、レオン・ノルディアが並外れた人物であることは分かる。十二歳で辺境伯家を継ぎ、領地を発展させ、帝国の皇族や将軍家の人間とも対等に交渉している。現在は十六歳。まだ若いというのに、帝国との新たな和平条約を結んだ。
父上も、あの男を「変わった男だ」と評していた。
能力だけを見れば、会って話を聞いてみたい相手ではある。
だが、それとこれとは別だ。
ミコトの求婚を断った。
それだけで、俺の中では十分敵になる男だった。
もちろん、本人に何か事情があったのかもしれない。求婚を断る権利は誰にでもある。ミコトも、断られたことを恨んではいないようだった。
それは分かっている。
分かってはいるが、兄として一度は顔を見ておきたい。
どんな男なのか。
何を考えてミコトの求婚を断ったのか。
そして、ミコトにふさわしい男なのか。
そこを確かめずに済ませることはできない。
……少なくとも、俺はそう考えていた。
港から馬車に乗り、帝都の中心部へ向かう。
車輪が石畳を踏む音が、車内に規則正しく響いた。窓の外を商人や職人、兵士や旅人が流れていく。荷物を積んだ馬車が大通りを進み、露店では帝国各地から運ばれてきた品が並べられていた。
砂漠地帯のアメラン家から届いた香辛料や染料。山岳のヴァル家が扱う鉱石や毛織物。ヤマト地方から運ばれてきた漆器や刀剣、乾物や茶葉。
それぞれの地域の品が、同じ通りに並んでいる。
帝国には、かつて独立した小国だった三つの勢力がある。砂漠のアメラン家、山岳のヴァル家、そして島国ヤマトを治めるスルガ家だ。
今ではいずれも帝国の一部だが、土地ごとの文化や気風は簡単には消えない。アメランの民は赤い髪と瞳、褐色の肌を持つ者が多い。ヴァルの一族は銀髪と色白の肌が特徴で、ルーカスもその血を引いている。そして、ヤマト地方の人々は黒髪と黒い瞳、黄色みを帯びた肌を持つ者が多い。
帝都は、それらが一つの街に集まる場所だった。
馬車が広場を通り過ぎる。中央には噴水があり、その周囲に買い物客や商人が集まっていた。広場の端では大道芸人が人々を楽しませている。少し離れた場所では、帝国兵が二人一組で巡回していた。
ここには、帝国の縮図がある。
帝都に来たことのない者なら、この景色だけで一日を過ごせるかもしれない。俺は見慣れているので、街並みを確認しながら目的地への道順を頭の中で組み立てていた。
レオン・ノルディアに関する情報を得るなら、まず話を聞く相手は決まっている。
帝国第二皇子、ルーカス・ヴァルハイト。
あいつはレオンと親しい。
父上から聞いた話では、ルーカスがノルディア領を訪れたのは、北の戦神と呼ばれたグラニウス・ノルディアの弔問がきっかけだったという。あの弔問を通じて、ルーカスとレオンは交友を深めたらしい。
帝国の皇子と王国の辺境伯。
立場だけを見れば、簡単に親しくなる組み合わせではない。だが、ルーカスは身分や国境を気にして人と付き合う男ではなかった。気に入れば近づく。気に入らなければ、皇族相手だろうと遠慮なく意見を言う。
そして、剣の話になると途端に話が長くなる。
俺は馬車の窓から見える帝城の尖塔に視線を向けた。
あの城の中に、ルーカスはいるはずだ。
馬車は帝城へ続く門をくぐり、広い敷地へ入った。帝城は石造りの重厚な建物だ。幾度も増改築を繰り返してきたため、古い部分と新しい部分が混在している。正面の塔は高く、壁面には帝国軍の歴史を刻んだ石碑が埋め込まれていた。
門番に身分を告げると、すぐに案内の者がやってきた。
「ヒロト様、皇子殿下は訓練場におられます」
「訓練場か」
「はい。先ほどから鍛錬を続けておられるとのことです」
……やはりか。
話を聞くために訓練場へ行くのは、間違いだったかもしれない。
ルーカスが訓練場にいると分かっていて、そこへ行けば、会話が剣の話に流れるのは目に見えている。
だが、他に都合のいい機会もない。ルーカスが訓練場にいるなら、情報を聞くにはそこへ行くしかない。
「案内を頼む」
城内を抜け、訓練場へ向かう。
廊下の窓から中庭が見えた。手入れの行き届いた庭園には、低く刈られた生垣や石灯籠が置かれている。ヤマト地方の庭園様式を取り入れた一角もあったが、帝城では各地の様式が建物や庭に混ざっていた。
訓練場が近づくと、木剣のぶつかり合う音が聞こえてきた。
カンッ、カンッ、と乾いた音が響く。
掛け声と足音が重なり、時折、見物人から感嘆の声が上がる。訓練場の入口には数人の騎士が立ち、内側では兵士たちが組手や剣の稽古をしていた。
中央では、陽光を受けて輝く銀色の髪に、翡翠色の瞳をした青年が木剣を振るっていた。
その眼差しには、鋭さと澄んだ光が宿っている。帝国軍の制服を身にまとった、第二皇子ルーカスだった。
相手をしている騎士が一歩踏み込む。ルーカスはその攻撃を木剣で受け、押し返すと、相手の足元を払った。騎士は体勢を崩し、背中から地面へ倒れる。
「そこまで!」
審判役の声が響いた。
ルーカスは木剣を下ろし、倒れた騎士へ手を差し出す。
「今のは踏み込みが浅かったな。だが、最後まで間合いを詰めたのはよかった」
「ありがとうございます、殿下」
「次はもっと強く打ち込んでこい。俺が受ける」
ルーカスは汗を拭いながら、周囲を見回した。
そして、俺を見つける。
「珍しいな、ハルト」
ルーカスの顔が、ぱっと明るくなった。
……嫌な予感がする。
「久しぶりだな、ルーカス」
「帝都に来ていたなら、早く顔を出せばよかっただろう」
「先程、着いたばかりだ」
「そうか。今日の船で来たのか?」
「ああ。港に着いて、そのままここへ来た」
「まずは挨拶に来てくれたわけか。歓迎する」
ルーカスは手にしていた木剣を騎士へ預けた。鍛錬の途中だったはずだが、俺が来たことで完全に気を取られている。
「ところで、今日はどうしたんだ?」
「ああ。少し聞きたいことがあってな」
「俺にか?」
「ああ。お前にだ」
ルーカスは、一瞬だけ目を見開いた。
次の瞬間、口元がにやりと吊り上がる。
「そうか。ついに俺と試合をする気になったか、ハルト」
「違う」
「遠慮するな。お前が俺に用事を持ち込むなんて、剣の話以外にないだろう」
「いくら何でも話を飛躍させすぎだ」
「いや、分かる。お前の目を見ればな」
全然、分かっていない。
俺は内心でため息をついた。
「レオン・ノルディアのことを聞きたい」
そう言うと、ルーカスの笑顔が少しだけ落ち着いた。
「レオンのことか」
「ああ。父上から、お前がノルディアを訪れた際に知り合ったと聞いた」
「グラニウス殿の弔問に行った時だな」
「そうだ」
「そうか。あの時の話を聞きたいのか」
「レオンという男がどういう人間なのか、知っておきたい」
ルーカスは俺の顔をじっと見た。
先ほどまでの軽い笑みが消え、何かを見透かすような表情になる。
「そうか……ミコトのことがあったから、聞きに来たのか」
ルーカスが呆れたように笑った。
剣術バカのくせに、こういうところだけ妙に鋭い。
「そうだ!! 何が悪い!」
思わず声が大きくなった。
ルーカスの眉がぴくりと動く。
「……お前、今なんと言った?」
「え?」
「俺をバカと言ったな」
しまった。
心の中で呼んでいたはずのあだ名が、うっかり口から出ていたらしい。
「やべっ、ルーカス殿下」
「今さら名前を呼んでも遅いぞ、ハルト」
ルーカスは、待ってましたと言わんばかりに木剣を手に取った。
「情報が欲しいんだろう? なら条件だ。俺と一戦やれ」
「いや、俺は情報を聞きに来ただけで――」
「俺をバカ呼ばわりした罰も込みだ」
剣術バカのくせに、こういう時だけ話が早い。
「……分かった。一本だけだぞ」
「よし。そうこなくてはな!」
ルーカスの顔が、ぱっと明るくなる。
しまった。情報を聞きに来たはずなのに、いつの間にか試合をすることになっていた。
まあいい。
一戦だけ、軽く相手をしてやれば済む話だ。
俺はため息をつき、訓練場の隅に置かれていた木剣を手に取った。
「さっさと構えて打ってこい、剣カス殿下」
「俺の名はルーカスだ!!」
訓練場に、ルーカスの声が響き渡った。
周囲の兵士たちが一斉にこちらを見る。
「殿下とスルガ家のヒロト様が試合をするぞ」
「本当か?」
「まさか、今まで一度も立ち合ったことがなかったあの二人が?」
ざわめきが広がる。
その反応に、俺は少しだけ眉を寄せた。
ルーカスとは幼い頃から何度も顔を合わせている。帝都で会えば、いつも試合を申し込まれていた。だが、俺たちは一度も試合をしたことがない。
理由は簡単だ。
俺が断り続けていたからだ。
ルーカスは、昔から剣を振るうことが好きだった。相手が強ければ強いほど喜び、勝っても負けても、次の試合を求めてくる。
何度も試合を申し込まれたが、そのたびに断ってきた。
だから、これまで一度も試合をしていない。
それなのに今、こうして木剣を手にしている。
……情報を聞くためだったはずなのだが。
「ルールはどうする?」
ルーカスが尋ねる。
「帝国式でいい。木剣を使って、魔術もあり。先に有効打を入れた方が勝ちだ」
「分かった。お前も魔術を使えよ」
「必要ならな」
「ふっ。言ったな」
ルーカスの翡翠色の瞳が、鋭く輝いた。
俺たちは訓練場の中央へ進んだ。
周囲の兵士たちは稽古を止め、見物に集まってくる。皇子の試合というだけでも珍しいのに、相手が「建国の英雄ハルトの再来」と呼ばれるスルガ家の嫡男なら、注目されないはずがない。
俺は木剣の重さを確かめるように、手の中で軽く回した。
手に馴染む。問題はない。
ルーカスは正面に立ち、肩を回してから木剣を構えた。
その姿勢を見て、俺は少しだけ目を細めた。
遊び半分で構えているわけではない。目の前の相手を見据え、足を置く位置を定め、いつでも踏み込めるように身体を整えている。構えに無駄がなく、木剣の切っ先は俺の動きを正確に捉えていた。
さすがは帝国の剣と呼ばれる男だ。
剣に関してだけなら、確かに優れた才能を持っている。
「どうした、ハルト。まだ構えないのか?」
「少し見ていただけだ」
「見ているだけで勝てると思うなよ」
「そんなことは思っていない」
俺も木剣を構える。
ヤマト地方で学んだ剣術には、抜刀を基本とする型が多い。俺は刀を腰に差しているが、今は木剣による打ち合いだ。構えも間合いも、いつもの刀とは違う。
それでも、剣の扱いに変わりはない。
帝国式の試合では魔術を使う。それは知っている。相手が魔術を使うなら、こちらも使う。剣と魔術を組み合わせて戦うのが、この国の剣士たちの流儀だ。
だが、俺は魔術を使うつもりはなかった。
まずは剣だけで十分だ。
互いに正面を向き、距離を測る。
訓練場のざわめきが少しずつ遠のいていった。
「始め!」
審判役の声が響いた。
その瞬間、ルーカスの身体を淡い緑色の魔力が包み込んだ。
風属性の身体強化。
風の魔力が脚へ集まり、筋力と瞬発力を大きく引き上げる。ルーカスは地面を蹴った。
速い。
木剣が右上段から振り下ろされる。
俺は半歩だけ横へずれた。木剣が肩口をかすめ、空を切る。
そのままルーカスは身体を捻り、左から薙ぎ払った。
俺は木剣を添えるようにして軌道を逸らす。激しく打ち合う必要はない。受け止めず、流す。それだけでルーカスの木剣は俺の脇を通り過ぎた。
「避けるだけか、ハルト!」
「まだ始まったばかりだろう」
ルーカスは笑い、さらに風の魔力を強めた。
踏み込みが速くなる。上段、横薙ぎ、突き。休みなく繰り出される連撃が、次々と俺へ迫った。
木剣同士が打ち合う音が、訓練場に響き渡る。
ガキィンッ。ガキィンッ。
俺は攻撃を見極め、必要な分だけ剣を合わせる。すべてを受け止めようとすれば、ルーカスの勢いに押し切られる。だから、剣先をずらし、身体をかわし、相手の力を流していく。
ルーカスの攻撃には速さだけでなく、重さもあった。風の魔力で加速した身体が、その勢いを木剣へ乗せている。一撃をまともに受ければ、腕ごと押し切られるだろう。
だが、剣筋は見える。
俺は最小限の動きで攻撃をかわし、受け流し、足を運ぶ。木剣をぶつけるのは、必要な時だけだった。
ルーカスが踏み込むたび、俺は半歩ずつ位置を変える。
右へ。左へ。時には前へ。
速さで追いつこうとはしない。攻撃の軌道を読み、次の一撃が届く場所から身体を外す。
見物していた兵士の一人が、思わず呟いた。
「魔法を使わずに、あの速度を見切っているのか……」
周囲の兵士たちも息を呑んでいる。
もちろん、俺は魔法を使っていない。
木剣を握り、相手の動きを見ているだけだ。
ルーカスの剣が上から迫る。
俺は木剣を傾けた。刃筋を受け流すと同時に、ルーカスの懐へ一歩踏み込む。
ルーカスはすぐに反応し、風をまとった木剣を横へ振った。
俺は身を屈めてかわし、そのまま横へ回る。
「そこか!」
ルーカスが振り返る。
だが、俺はすでに間合いの外へ出ていた。
ルーカスの目に、驚きと興奮が浮かぶ。
「いいぞ、ハルト! もっと来い!」
「俺は攻めているつもりなんだがな」
「なら、もっと強く打ち込んでこい!」
「注文の多い剣カスだな」
「ルーカスだ!!」
声と同時に、ルーカスが再び踏み込んだ。
先ほどよりも速い。風の魔力が身体の周囲で渦を巻き、木剣を振るうたびに空気が唸る。
正面から受ければ、押し切られる。
俺は木剣を構えたまま、動かなかった。
ルーカスの木剣が、俺の肩を狙って振り下ろされる。
その瞬間、俺は一歩だけ前へ出た。
剣をかわしながら、ルーカスの手元へ木剣を滑らせる。力で弾き返すのではない。振り下ろされる勢いを利用して、握りの近くへ打ち込んだ。
乾いた音が鳴った。
ルーカスの手から木剣が弾き飛ばされ、宙を舞う。
木剣は訓練場の端まで転がっていった。
俺の木剣は、ルーカスの喉元の手前で止まっていた。
「そこまで!」
審判役の声が響く。
訓練場が静まり返った。
ルーカスは自分の手を見て、それから床に転がった木剣へ目を向ける。
「勝者、ヒロト様!」
審判役の宣言で、ようやく周囲からどよめきが起きた。
俺は木剣を下ろす。
「一本だけと言っただろう」
「今のは、まだ一本目だ!」
「試合は終わりだ」
「もう一本だ、ハルト!」
「断る」
「待て! 今のは準備運動だ!」
「剣カス殿下、約束ぐらい守れ」
「俺の名はルーカスだ!!」
圧勝したはずなのに、試合を終わらせる方が大変だった。
ルーカスは床に転がった木剣を拾い上げ、悔しそうにしながらも、どこか楽しげに笑っていた。
「まさか、魔術なしであそこまでやるとはな」
「お前が魔術を使うのは分かっていた。避けられないほどではなかっただけだ」
「次は当てる」
「次があるとは言っていない」
「今度こそ勝つぞ、ハルト」
「聞いているのか?」
ルーカスは聞いていない。
試合に負けたばかりだというのに、もう次の勝負のことを考えているらしい。まったく、剣術バカという言葉がこれほど似合う男もいない。
ようやくルーカスが木剣を置くと、俺は改めて尋ねた。
「それで、レオンって奴の話を聞かせてくれ」
「ああ。そうだったな」
ルーカスは訓練場の端にある水差しを取り、杯へ水を注いだ。俺にも一杯差し出してくる。
「まず、レオンとはグラニウス殿の弔問で知り合った」
「父上から聞いた」
「弔問の席で、あいつは領地のことや北の戦神のことを話してくれた。悲しみを隠しているわけじゃなかった。だが、悲しみに沈んで何もできなくなっているわけでもなかった」
「若くして家を継いだと聞いている」
「ああ。十二歳で家を継いだと聞いた。普通なら、周りに支えられるだけでも精一杯だろう。だが、あいつは自分が何をすべきか考えていた。領地のことをよく見ていたし、必要なものを見極めるのも早かった」
「どんな人間だった?」
「年齢の割に落ち着いている。だが、ただ大人びているだけじゃない。人の話をよく聞くし、自分が知らないことは素直に尋ねる。かと思えば、譲れないところでは一歩も引かない」
ルーカスは水を飲み、言葉を続けた。
「北の戦神を失った後のノルディア領を、どう立て直すか。あいつはそのことばかり考えていた。領民の暮らしを守るために何をするべきか、兵をどう動かすべきか、金をどこに使うべきか。弔問に行った俺にまで、いくつも質問してきた」
「皇子を相手にか」
「相手が誰かは関係ないんだろう。必要なら聞くし、納得できなければ意見も言う。そういう男だ」
レオン・ノルディア。
報告書に書かれていた人物像と、ルーカスの話が重なる。
若いが、頭が切れる。領地のことを考え、必要なものを見抜く。周囲に流されず、自分で判断する。
確かに、妹が興味を持つのも理解できなくはない。
ただ、それはそれとして、俺は確認しなければならないことがあった。
「ミコトの求婚を断った理由は知っているか?」
ルーカスは少し考えた。
「理由までは知らない。この前、兄貴と一緒にノルディアへ行った時に、俺から一度聞いた事がある」
「何を?」
「エミルという教国の聖騎士を娶るつもりなのか、と」
俺はわずかに眉を動かした。
「それで、レオンは何と?」
「『今はそういうことは考えてないんだ』と言っていた」
ルーカスは腕を組み、少し考えるように視線を落とした。
「ただ、あの時のあいつは、誰かのことを考えているように見えた。だから、心に決めた相手でもいるんじゃないかと思ったんだ」
「本人から聞いたわけではないんだな」
「ああ。俺の勘だ。レオンが何を考えているのかまでは知らない」
「お前の勘か……当てにならないな」
「なんだと?」
ルーカスが眉をひそめた。
「本人から聞いていないなら、まだ何も分かっていないのと同じだろう」
「まあ、そう言われればそうだな」
ルーカスはあっさり認めた。
「だが、レオンが何かを隠しているというより、本人の中でもまだ整理できていないように見えた。あいつは、エミルを娶るかどうかを考えるより、他に優先すべきことがあるんじゃないか」
「それが何かは分からない、と」
「そういうことだ」
俺は杯の水を飲んだ。
エミルという教国の聖騎士を娶るつもりはない。けれど、心に決めた相手がいるのかどうかも分からない。
結局、本人に会って聞くしかないらしい。
ルーカスの勘が当てにならないのは、今さら確認するまでもなかった。
「それで、俺に何を聞きたかったんだ?」
「レオンがどういう男か、実際に会ったお前の目から聞きたかった」
「俺の目から見ても、先ほど話した通りだ。頭が切れて、責任感が強い。あの若さで領地を任されているのに、周りへ責任を押しつけない」
「剣の腕は?」
「それは本人に聞いた方が早い」
「そうか」
「気になるなら、会いに行けばいい」
「そのつもりだ」
そう答えると、ルーカスは俺の顔を覗き込んだ。
「本当に、ミコトのためか?」
「当然だ」
「ほかに理由は?」
「ない」
「……そうか」
ルーカスは、何かを言いたそうに口を開きかけたが、結局何も言わなかった。
レオンがどんな男なのかは、少し分かった。
頭の回転が速く、領地を大事にする。エミルを娶るつもりはなく、誰かを思い浮かべているようにも見える。だが、ルーカスの勘だけでは、それがミコトの求婚を断った理由なのかどうかも分からない。
ならば、あとは実際に会って確かめるだけだ。
「レオンは今、ノルディア領にいるのか?」
「多分いるはずだ。だが、あいつの予定までは分からない」
「十分だ」
「もう行くのか?」
「ああ。船の荷物を受け取って、旅の準備をする」
「レオンに会いに行くんだな」
「そうだ」
「俺も一緒に行こうか?」
「いや、必要ない」
「そうか」
ルーカスは少し残念そうにした。
「レオンに会ったら言っておいてくれ、いつかまた試合をしよう、と」
「そのレオンが生きていたらな」
「殺すつもりなのか?」
「殺しはしない……多分」
「妹の事になれば、周りが見えなくなるのは悪い癖だぞ?」
「お前に言われたくない。剣カス殿下」
「ルーカスだ!」
「冗談だ」
ルーカス満足したのか少し笑った。
俺も訓練場を出る。
訓練場の外では、帝都の騒がしさが変わらず続いていた。城壁の向こうには、石畳の道と色とりどりの屋根が広がっている。人々はそれぞれの暮らしを送り、商人たちは品を売り、兵士たちは街を巡回していた。
見慣れた帝都の風景だ。
だが、今から向かう先には、まだ会ったことのない男がいる。
ミコトが想いを寄せ、求婚し、断られた相手。
レオン・ノルディア。
ルーカスの話を聞く限り、確かに優れた人物なのだろう。だが、妹の兄としては、会ってみなければ判断できない。
俺は訓練場を出ると、帝都の乗り合い馬車乗り場へ向かった。
ノルディア領へ向かう馬車の出発時刻を確かめ、空いている席を一つ買う。
家の馬車を使えば、父上に行き先を知られるかもしれない。従者も連れていないのだから、乗り合い馬車で十分だ。
俺は荷物を手に、出発を待つ馬車へ乗り込んだ。
まずはノルディア領へ向かい、レオン・ノルディア本人に会う。
ミコトの求婚を断った理由を、この目で確かめるために。




