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マヒルという名前をもらった、三日目のお昼。としょかんさんに案内された部屋で、黙々と絵本のページを捲った。
時々、過去のことを少しだけ思い出せる記憶喪失だからか、文字のことまで忘れてるわけではなかった。
なので、カタカナの方は、なんとかなる。
問題は――。
「漢字、なんだよな」
マヨイと、としょかんさんが読む本は、そのほとんどが漢字で。ぼくにはまったく、読み解けなかった。
「……ぐぅ。たぶん、光無シ……」
イーナコウという街のことが描かれてる絵本を、じっと睨んでいると。廊下の方から、足音が聞こえてきた。
ちょっとだけ引きずるように歩いているから、すぐにとしょかんさんだと分かった。見ていた本から顔を上げる。青紫色の長髪を、フードの片側から出してる彼が、ドアから現れた。
「マヒルくん、ちゃんと読んでますか?」
「うん。読んでるよ」
楽しいものと、難しいものを。
大きな本棚の中に、ほどよく並べられた本は、引き抜く時のことを考えられてる。だからとしょかんさんは、本のことが大好きなんだと思う。
「マヨイは?」
「彼なら外で剣を振ってますよ」
「……剣?」
「ええ。マヒルさんと一緒に来られた時に、修理に必要なものを渡されたので。昨日の夜に直したんです」
剣、か。マヨイが持ってるものなら、かっこいいんだろうな。
英雄たちが戦う絵本のことを思い出しながら、視線を今のものに戻す。光がない街。そう言われていたから、意味を反対にしようとイーナコウと呼ぶようになったらしい。
「ああ、光無の話ですね。ここまで読めてるなら、問題を出しましょうか」
ぼくが読んでる絵本を見下ろしたとしょかんさんが、紙を取り出した。……どこから出したんだろ。
なにもないところから現れたそれにペンを走らせて、ぼくの前に出した。
「マヒルさん。これはなんて読むでしょう?」
「……在リ……」
下の漢字に見覚えがない。
ここで読んだ絵本で見ていないものは、答えられない。
「これは、マと読みます」
「在リマ?」
「ええ、そうです。よく頑張りましたね」
褒めてもらえるのは、嬉しいけど。最後のやつは、教えてもらったものだ。
……もっと、勉強しなきゃだね。
「ちなみにこのマは、自然崇拝と深く繋がっています。精霊師にとっては、とても大切なものですね」
「……もしかして、勾玉?」
「ふふ。大いなる自然はここにある。この言葉は、きっとあなた方の助けになると思います。どうか、忘れないでくださいね」
お昼までは晴れていたのに、今では分厚い灰色が空を覆ってる。廊下から窓の外を見ていたぼくは、マヨイのところに行こうと歩き出した。
森の中を再現してるようなあの人の図書館は、どこにいても植物の匂いがする。
マヨイは、ここだけだって言ってたけど。
違うところにある図書館は、どんな感じなんだろ。
ここみたいに、生きた木が壁に埋まってる?
窓の近くに、薬草とか花を植えた鉢を置いてるのかな。
見たことがないもの。肌で感じる空気と、魔力の気配。そういう実感できることが、恋しく思う。ぼくは、本当のぼくは、誰なんだろ。
「白の王は、なぜ人間を植物に変えるんだ」
「おや。復讐相手ではない方を聞くんですか? 珍しいですよね」
彼らがいる部屋に入ろうとしたら、マヨイの低い声が聞こえた。彼の魔力が鋭くなってるのが気になって、中を見ると。窓辺に座ってるとしょかんさんの前に、マヨイがいた。
「そういうのはいらん。答えろ、異形の主」
「報告書に書いてある通りです。ワタクシにも、なぜそうするのかが分からない。精霊師さんたちの活躍で分かってるのは、この呪いにかかった人間は一ヶ月で植物の魔物となり、人を襲うこと。精霊に近い存在である森人はガン無視。呪いの解除は、王が死なない限りできないという結論が出されました」
「……黒の王に、頼れと?」
そう口にしたマヨイの背中から、強い怒りを感じた。見てるだけで震えてくるほどのそれを、真正面から受けてるはずのとしょかんさんは、笑みを崩さなかった。
まるで、土に植えられた花のように、まったく動かない。
「自分でも、分かっているのでしょう? だから昨日、ワタクシに聞かなかった。自分一人で答えを探し、無理だと分かったから素振りをして、心を落ち着けたのでしょう? 来世の自分を、怖がらせないように」
「……討伐隊が、作られたんだろ。どうなった?」
「まだ、彼女のところに辿り着いていません。ですが壊滅するでしょうね。――灰、もしくは黒の王。彼女が勝てば、今までの歴史は消え去るだろう。光、もしくは白の王。黒い少女に勝った彼女は、再び楽園の夢を始める……。今の状況に当てはめると、楽園は、人のものでなく。植物、森人たちのために作り上げるものである可能性が高い。白の王が目覚めてしまった以上、戦争が始まります。もしも、呪いを解きたいと思うのなら。黒の王が出てくる前に、挑みなさい」
歌うように、言葉を紡いだ青年の微笑みが、ぼくに向けられた。
「マヒルさん。あなたも、行きますね?」
「はっ? マヒルっ!?」
……たぶん、驚いたんだろうけど。いきなり振り返らないでほしい。マヨイの反応にびっくりしすぎて、肩が跳ねてしまった。




