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辺境観測士、鑑定AIで魔術を最適化する~今日もデータ片手に、幼馴染とまったり研究生活~  作者: hiyoko


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 石工の名は、ゲルトというらしい。

 壁だけが残った集落へ井戸を見に行く朝、ミレイが戸口で差し出した四つ折りの紙に、そう書いてあった。


ミレイ「昨日の夕方、見回りの報告でギルドへ寄りましたら、受付で預かりました。ガンザック商会からです」


 名前の下には、下見に来られる日と、その日の代金が書き添えてある。四日後の朝。代金は、手元の銀貨で払える額だった。


リオル「四日後か……。ミレイさん、その日って空いてる? 石工さんが水路の底へ下りてる間、見張りを頼めたらと思って」

ミレイ「その日は、先に受けた護衛が入っています。明日から、南の街道へ出ます」

リオル「そっか。じゃあ、その日の見張りは僕たちでやるよ」


 ミレイは頷いて、腰から記録板を外した。


ミレイ「アインさん。井戸と水受けの様子を、板の裏へお願いします」

アイン「うん」


 アインは板を受け取り、何も描かれていない裏を上にして抱え直した。


 集落の井戸は壁の陰にあって、手を置いた縁石には、まだ夜の冷えが残っていた。リオルは縄を擦り減った古い溝から外して、縁の平らな所へ掛ける。桶を放すと、縄は手の中を長く滑っていった。指の腹が熱くなりかけた頃になって、ずっと下で水を打つ音がする。音は石の筒を一度這い上がって、細く消えた。

 引き上げた桶の中では、細かな砂がゆっくりと回っていた。水は白く濁って、底の木目も見えない。縁から立つ匂いは、冷えた石と変わらなかった。

 水面へ《鑑定》を向けると、細かな砂と、長く動いていない水、という答えが返ってくる。何年も誰にも汲まれず、底に溜まっていた水だ。


リオル「今日のところは、飲まないでおこう。石工さんが来る日も、飲む水は小屋から担いでいく」

ノエル「では、革袋を多めに洗っておきます」


 水受けの角の石は、ミレイが両手で揺すると、指一本ほどの幅で前後に動いた。隙間から、乾いた砂が糸のように落ちる。


ミレイ「手で動きます。下の土台が崩れているのか、石が浮いているだけなのか、私には見分けがつきません」

リオル「うん。そこは、石工さんに見てもらう」


 アインが板の裏へ水受けの四角を描き、その角に小さな印を足した。


 昼を回った頃には、四人とも小屋へ戻っていた。ノエルが戸棚から小さな革袋を出して、卓に置く。一日分の額を、朝のうちに数えて入れてあった。ミレイは袋の口を開けて中を確かめ、帳面の受け取りの欄に名前を書いた。


ミレイ「確かに、受け取りました」


 アインから板を受け取って腰へ下げると、ミレイは戸口へ向かった。敷居の手前で、その足が止まる。


ミレイ「リオルさん。石工の方が底へ下りる前に、上がる所を決めておいてください。岸が崩れていなくて、足の掛かる所を。何かあってから探していては、間に合いません」

リオル「分かった。先に決めておく」

ミレイ「では、失礼します」


 ミレイは三人へ一礼して、戸を閉めた。



 四日後の朝、戸を開けると、見知らぬ男が小屋の壁に手を当てていた。

 背は高くない。そのかわり首が太く、肩から二の腕にかけて、重いものを持ち上げ続けてきた人の厚みがある。短く刈った髪にも顎の髭にも、白いものが混じっていた。背負った袋の脇からは、鉄の梃子の先と、布で巻いた鑿の束がのぞいている。壁から離した手のひらを見ると、皺という皺に白い粉が入り込んでいた。


ゲルト「ゲルトだ。ガンザックの頭に言われて来た」

リオル「リオルです。遠いところを、ありがとうございます」


 握り返された手から、乾いた粉がリオルの手にも移った。


ゲルト「礼は、現場を見てからにしてくれ」


 集落までの道で、ゲルトはほとんど口を利かなかった。草の間から敷石が顔を出すたびに、靴の先で押して据わりを見る。道標の分かれ目まで来ると、両腕を横へ広げて道幅を測った。


ゲルト「荷車は、ここまでだな。この先は、石も砂も人の背で運ぶことになる」


 ゲルトは来た道を振り返った。町は、丘の向こうに隠れて見えない。


ゲルト「町から通うんじゃ、行き帰りだけで日の半分が消える」


 集落に入っても、ゲルトの足は水受けへ向かわなかった。手前の壁の、崩れずに残った角へ手のひらを当て、石と石の合わせ目を親指でなぞっていく。


ゲルト「……目地に、何も詰めてねえ。石の形だけで噛ませてある」

リオル「それで、崩れないんですか?」

ゲルト「形がきっちり合ってりゃな。そのかわり、削るのに手間を食う」


 屋根が落ちてから、どれだけの冬を越したのか。上の縁は崩れても、角だけはまっすぐに立っている。しばらくのあいだ、ゲルトはその角から手を離さなかった。


ゲルト「積んだ奴は、腕が良かった」


 水受けに回ると、ゲルトは角の石へ鎚の柄の尻を当てた。二度、軽く叩いてから、手のひらで押す。石は、ミレイが揺すった時と同じだけ動いた。


ゲルト「下の据わりは生きてる。楔を一本噛ませりゃ止まる。半日の仕事だ」

リオル「砂の方は……」

ゲルト「砂出しは、石工とは別に荷運びの人手を雇ってやらせろ。石工に日当を払ってやらせるもんじゃねえ」


 水路は、集落から上流へ遡りながら見ていった。

 一つ目の崩れで、ノエルが先に溝へ下りた。刀の柄に手を置いたまま上流と下流を順に見て、崩れた石の陰を確かめる。それから顔を上げて、岸の一箇所を指した。石組みが崩れずに残って、段のように足を掛けられる所だった。


ノエル「ゲルトさん。上がる時は、あの段からお願いします」


 段の石を靴底で一度踏みつけてから、ゲルトは溝へ下りた。リオルとアインは同じ岸に立ち、上流と下流へ顔を分ける。

 底に落ちた縁石へ梃子を噛ませて、ゲルトは石を起こした。下から、乾ききった砂がさらさらとこぼれる。腰の小さな鎚で叩くと、高く澄んだ音が溝の壁を伝って上がってきた。隣の石も、同じ音で鳴る。


ゲルト「生きてる」


 上流へ目を配りながら、リオルは鎚の音を数えていた。割れていれば、新しい石を町で切り出して運ぶことになる。荷車の入らないあの道を、人の背で。

 二つ目の崩れは、一つ目より落ちた石が多かった。澄んだ音が三つ続き、四つ目で濁る。

 リオルの《鑑定》も、その石の内側を斜めに走るひびを返していた。口を開きかけた時には、ゲルトはもう白墨で石に印をつけている。リオルは黙って口を閉じた。

 三つ目の崩れは、水路が尾根の裾へ曲がっていく手前にあった。曲がりの先は岸に隠れて、底が見えない。ノエルは溝の底で、ゲルトより数歩上流に立ち、その曲がりの方を向いていた。

 鎚の音の合間に、アインが顔を上げた。


アイン「上流。何か、落ちた」


 ノエルの手が刀の柄を握った。溝の真ん中へ半歩出て、ゲルトと曲がりの間に入る。リオルが岸の上で右手を上げると、ノエルは一度だけこちらを見た。ゲルトの肩を押して片側の岸へ寄せ、自分もその前へ重なる。

 二人と反対側の岸の間に、細い隙間ができた。いつもの狩りと同じだ。あそこなら、一発は通せる。

 リオルが曲がりへ狙いを定めたところで、アインの声が続いた。


アイン「……土。向こうで、岸の土が崩れた音。足音はない」


 ノエルが柄を握ったまま曲がりの際まで進み、先を覗き込んだ。


ノエル「縁が落ちているだけです。獣の跡もありません」


 溝の底で、ゲルトが長く息を吐いた。抱えていた石を下ろして顔を上げ、その目が、まだ曲がりへ向いたままのリオルの手で止まる。


ゲルト「……領主様、あんた魔術師かい」

リオル「はい、一応使えます。ノエルももちろん戦えますのでご安心を」

ゲルト「そうかい。……領主が戦えるにこしたことはねえ。工事が始まれば、なおさらだ」


 ゲルトは鼻を鳴らして、また石の方へ屈み込んだ。リオルはようやく、手を下ろした。


 三つ目の崩れを見終えると、ゲルトはノエルの決めた段から岸へ上がった。膝の土を払い、溝を下流まで一度見通す。


ゲルト「直せる」


 鎚を腰へ戻しながら、ゲルトは続けた。


ゲルト「落ちてる石は、ほとんど生きてる。割れてたのは印をつけた分だけで、そいつは砕いて詰め石に回す。新しく切る石は、要らん」

リオル「ここにある石だけで、直るんですか?」

ゲルト「形を合わせて積んであったからな。ばらして元の所へ戻せば、また噛む。昔の奴が、手間を先に払っといてくれたんだ」

リオル「……よかった」

ゲルト「喜ぶのは早え。高くつくのは、ここからだ」


 腰の縄を解くと、ゲルトは岸の草を靴で払い、平らになった所へ縄を四角く置いた。


ゲルト「上げた石は、ここへ仮に置く。荷運びの者には、岸の縁から三歩は離れて歩かせろ」

ノエル「飲み水の袋は、尾根の側に置けますね。お昼を過ぎても、あそこなら日が当たりません」

ゲルト「ああ、そこでいい」


 縄の四角の脇にしゃがんで、ゲルトは太い指を一本ずつ折っていった。


ゲルト「石工が二人。半日しか働けんから、崩れ一つに四、五日。水受けの角も入れて、二十日は見とけ。二人の日当に往復を乗せりゃ、それだけで銀貨は百を超える。石を運び上げる荷運びの人手が二人か三人、こいつは別だ。見張りは俺の勘定じゃねえが――」


 折った指を開いて、ゲルトは溝の曲がりへ目をやった。


ゲルト「いねえなら、俺は底へは入らん」


 百を超える。今日の下見代とは、桁が違った。狩りの獲物をたまに売るくらいの稼ぎでは、二十日のあいだ人を雇い続けることはできない。

 立ち上がったゲルトが、集落の壁の方へ顎をしゃくった。


ゲルト「ついでだ、壁も見ておくか。立ってる壁なら、積み直すより安く上がる。道の方も、見積もるだけなら出せるぞ」


 リオルは壁の方を見た。形だけで噛み合った、あの角。どう削って、どんな順で積んだのか。ゲルトの手が確かめていくところを、そばで見てみたかった。


リオル「見てもらいたいです。でも、今回は水だけにします。壁や道まで入れて額が膨らんだら、水路まで通らなくなるかもしれないので」

ゲルト「そうか」


 それ以上、ゲルトは何も勧めなかった。ただ、壁の角へもう一度だけ目をやった。


ゲルト「壁は、そのうち見せてくれ。あれだけ丁寧に積んだ仕事なら、じっくり見ておきてえ」

リオル「はい。その時は、ぜひ」


 小屋の卓で、ゲルトはノエルの出した紙とインクで見積もりを書いた。


リオル「日当と、荷運びの人手の分と、楔や道具の分は、分けて書いてもらえますか」

ゲルト「役所に出すやつだろう。慣れてる」


 太い字の数字が、三つの列に分かれて並んでいく。一番下に名前を書くと、ゲルトは腰の小袋から、石を彫った小さな印を出して押した。


ゲルト「俺が石に刻むのと、同じ印だ」


 リオルは領主の欄に署名し、革袋から下見の代金を数えて卓へ置いた。ゲルトは枚数を一目で見て取り、帳面の受け取りの欄に名前を書いた。


ゲルト「金の話がついたら、使いをくれ。俺が来る。相方も、俺が選んで連れてくる。……それまでは石に触るな。水受けの角もだ。落ちたら、落ちたままにしとけ」


 リオルが頷くのを見届けて、ゲルトは腰を上げた。日が傾ききる前に街道へ出ていき、背負った梃子の先が、しばらく丘の上で光っていた。



 翌日、三人で行政塔の窓口へ行くと、今度は先客がいた。荷を背負った男が二人、書記の前で順番を待っている。リオルはその後ろに並び、番が来てから、真ん中の窓口へ紙を三枚置いた。ミレイの図を写したものと、ゲルトの見積もりと、自分の署名を入れた願い出。

 この前と同じ書記が、順に目を通していく。羽根ペンの先が、見積もりの末尾で止まった。


書記「ゲルトの印ですか?」


 わずかに眉を上げてから、書記は三枚を揃え直した。


書記「受理します。査察の日取りは、代官が決めます。決まり次第、使いを出しますので」

リオル「査察に来てもらえるまで、どれくらいかかりそうですか」

書記「早くても、数日は先でしょう。代官のご予定次第ですので、はっきりとは申し上げられませんが」

リオル「分かりました。よろしくお願いします」


 書記は帳簿に受理の日付を書き入れ、願い出の束を背後の棚の箱へ納めた。


 その夜、ノエルは竈の火を細くしながら言った。


ノエル「早くても数日先なら、明日は、みんなでゆっくりしましょうか」

リオル「うん。今日は早めに寝るよ」


 アインは町への往復で疲れたのか、夕食を終えるとすぐ、自分の部屋へ引き上げていた。使われていなかった小部屋を片づけ、小さな寝台を入れたのは、つい数日前のことだ。リオルも言葉どおり、自分の寝室へ戻り、早々に横になった。

 横になっても、溝の底が浮かぶ。片側の岸へ寄ったノエルとゲルト、その脇に開いた細い隙間。

 気づくと、暗がりの中で片手を上げていた。

 リオルはその手を下ろし、しばらく天井を見ていた。それから、なるべく音を立てないように寝台から抜け出し、寝室の戸を静かに開けた。

 戸棚の上の段に、紐で括った紙の束が載っている。結び目の上には、薄く埃が積もっていた。手を伸ばしたところで、背中に声がかかった。


ノエル「……早く寝るのでは、なかったんですか?」


 振り返ると、ノエルは一つだけ残した灯りの下で、繕い物を膝に置いたまま、こちらを見ていた。


リオル「寝ようとは、したんだけど」


 束を下ろして、机の端に置く。紐は括った時より固く締まっていて、ほどくのに少し手間取った。

 ノエルは何も言わずに立ち上がると、灯りを机へ移した。竈に残った湯で茶を淹れ、紙の邪魔にならない端へ椀を置く。それから机の脇へ椅子を引き寄せて、繕い物の続きを膝に広げた。

 束の中身は、半年より前の記録だった。雑木に向けて撃った火の矢の、圧縮の数字と、飛び方の歪み。石の針が幹へ刺さった深さ。どの頁をめくっても、狙った先は、手のひらの正面に立つ一本の幹だった。

 リオルは新しい紙を一枚、束の上に置いた。溝を上から見た形を描き、片側へ寄せた丸を二つ置く。岸の上に自分の立っていた所の点を打ち、丸の脇から曲がりへ一本の線を通した。


ノエル「その丸、わたしですか?」

リオル「うん。後ろのがゲルトさん」

リオル「一体なら、今日もこの隙間へ撃てた。でも、ここから何体も出てきたら、一本ずつじゃ止めきれない。広く撃とうとすると、今度はノエルたちまで範囲に入る」


 線の先へ、三つの印を置いた。発動した場所から広がるように線を足すと、その端はすぐ手前の丸にかかった。


ノエル「隊同士の戦いでも、広い魔術を使うのは、前衛がぶつかる前までですね」

リオル「ぶつかった後は、射線の空いた相手を狙うか、足止めに回る。ノエルと二人なら、それで困らなかった」

ノエル「わたしのことなら、気にせず後ろから撃ってくださって構いません。リオくんが撃つ時は分かりますから」

リオル「……確かに、後ろから不意打ちしても、僕がノエルに勝てる気はしないけど」

ノエル「そういう意味ではありません」


リオル「でも今は、ノエルと二人じゃない。全員に、ノエルと同じ動きは頼めないよ」


ノエル「ふふ。楽しそうですね」


 リオルは答えずに、戸棚脇の半開きの扉を振り返った。その向こうで、毛布の端がゆっくりと上下している。


リオル「アインなら、あの頃の《鑑定》の数字も、全部覚えてるはずで――」

ノエル「朝まで、待てますか?」


 浮かせかけた腰を、リオルは椅子へ戻した。


リオル「もちろん。明日は裏の雑木で試してみるよ。ちゃんと魔術を組み直すのは、ずいぶん久しぶりだから」

ノエル「では、朝食のあとにしましょう」


 リオルは新しい頁を開き、一番上に大きく日付を書いた。


ここまで読んでくださりありがとうございます。

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