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辺境観測士、鑑定AIで魔術を最適化する~今日もデータ片手に、幼馴染とまったり研究生活~  作者: hiyoko


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 道標の分かれ目から先は、板の線を辿って歩いた。尾根の裾を回る古い道は膝丈の草に埋もれていて、それでも足の裏には敷石の硬さが返ってくる。

 朝の日はまだ尾根の向こうにあり、右手に開けた灰色の平地だけが先に明るい。板を抱えたアインが、ミレイのすぐ後ろに付いて歩く。地図上の線はミレイが一人で調査した期間に伸びたもので、最後の丸は集落の四角の手前で止まっている。契約の最後の日に四人で集落まで行く、とミレイが言ったのは、その丸を書いた時だった。空白はだいたい埋まり、地図の埋まった空白を明日から何に使うのかは、まだ決めていない。


 尾根の裾が切れて、平地が一度に開けた。右手の下を、水路の石組みが灰色の一本の溝になって下っていく。その溝の向かう先に、草の高さより上へ、灰色の壁が幾つか頭を出していた。アインが板を持ち上げて、目の高さで景色に重ねる。その上では、道の線と水路の線が同じ四角へ向かって寄っていく。


アイン「地図と、同じ」

リオル「二日で、ここまで……。ミレイさん、これ、一人で描いたんですよね」

ミレイ「マッピングであればむしろ一人の方が手間がかからないものです。……ああ、みなさんがどうという話ではなく、斥候とはそういうものなのですよ」


 そう言うと、ミレイは尾根から下る道のほうへ視線を戻した。


ミレイ「足元にお気をつけください。下りは石が緩んでいます」


 ミレイは景色のほうを見なかった。


 道が平地へ下りきる所には、板の上に小さな三角の印がある。着いてみると敷石の途切れた黒い土で、草も生えず、泥の中に石が幾つか頭を出していた。


ミレイ「ここは、私の後を通ってください」


 ミレイが渡り、アインが続く。リオルの靴は途中で、縁まで泥に沈んだ。ノエルは最後に渡り、渡り終えてから一度、来た道を振り返った。


 灰色の石積みが一枚、朝日を横から受けて立っている。近づくにつれてその向こうにもう一枚、さらに向こうに二枚と、高さを揃えて切れた壁が並んで出てきた。どれも上の縁が崩れて屋根はなく、崩れた石の間から伸びた草の穂が、風で一斉に傾く。石積みの影は道の上へ長く伸びて、その明暗の縞の中を敷石が続き、そのまま集落の中の道になっていた。日の当たる石は乾いて、温かい匂いがする。風は壁に当たるたびに低い音を立て、その間を斜めに抜けていく。


 手前の壁の角で、ミレイが止まった。


 頭が平地のほうへわずかに傾く。壁の間から鳥が一羽飛び出して、ミレイの手が腰のナイフへ落ちた。鳥が尾根のほうへ消えるまで、手はそこにあった。


アイン「壁の中、入っていい?」

ミレイ「私が見た後で」


 ミレイは壁の間へ入り、次の隙間から出て、また別の壁の裏へ回った。戻ってきた時、ナイフは鞘に収まっている。


ミレイ「獣の寝床はありません。どうぞ」


 アインが最初に敷居石をまたいだ。リオルがその後に続いて壁の陰へ入ると、冷えた苔の匂いがした。


 敷石を辿った先で、水路の石組みが途切れた。その先には、腰ほどの石壁で囲まれた四角い水受けがある。湧水の桝を一回り大きくした形で、中は乾いた砂にほとんど埋まっていた。その奥、壁を二つ挟んだ陰に、井戸の丸い縁石が見える。


 リオルは水受けの縁に手をかけ、底の砂を掬った。粒は細かく、乾いていても角が丸い。《鑑定》は、水に運ばれて沈んだものだと返してきた。砂を落として、縁を手のひらで辿る。水路から水が入ってくる側だけ、縁の内側が一段深く落ちている。向かいの、集落の奥へ向いた縁には浅い溝が切ってあり、そのまま敷石の下へ潜っていた。


 いつの間にか隣にしゃがんでいたアインが、その溝へ指を差し入れた。


アイン「こっちの溝には、砂がない」

リオル「うん。砂は深いほうへ沈んで、上の澄んだ水だけがこの溝から集落へ行く。……作った人は、湧水が砂を連れてくるのを分かってたんだね」

アイン「掃う人が、いなくなった」

リオル「そう。それで、砂のほうが溝まで来た」


 隣の壁の中から、ノエルの声がした。


ノエル「リオくん、こっちに竈が残っていますよ」


 隣にいたはずのアインは、もうその戸口で、敷居石に片足を乗せている。リオルはその脇を抜けて中へ入った。床の草を足で分けた所に、平らな石が三つ、囲む形に据わっている。ノエルは石の一つへ手を置いたまま、反対側の隙間の先を見ていた。その先に、縁石が見えている。


ノエル「井戸がこんなに近いんですね。汲んだ水を、そのまま鍋にかけられます。ここで煮炊きしていた人は、朝が楽だったでしょうね」

リオル「次にここで火を入れる人も、朝が楽だといいな。……井戸、先に見てくるよ」


 戸口へ戻ると、アインはまだ敷居石の上にいた。真ん中の窪みに靴底を置くと、編み上げ靴が少しだけ低い所へ落ち着く。アインは足を上げて、もう一度同じ所へ置いた。


アイン「ここだけ、へこんでる」

リオル「みんな、そこを踏んで出入りしてたんだと思う。石がすり減るくらい」


 井戸は、腰ほどの縁石を組んである。縁の上には縄の擦れた溝が、平行に何本も刻まれていた。一本や二本ではない。リオルは両手を置いて覗き込む。暗くて底は見えない。《鑑定》は、底に水がある、とだけ返した。飲めるかどうかは、汲んで確かめるしかない。


アイン「わたしにも、底の水は見えない。でも、匂いが上の風と違う。動いてない水の匂い」

リオル「動いてない、か。……桶がないと、これより先は分からないね」


 リオルは縁石から手を離した。掌に、石の粉が白く付いている。掌を払いながら、水路の石組みが集落へ入ってくる方角を見た。ミレイは壁の切れ目に立って、平地のほうを向いている。


リオル「ミレイさん。あの先の方も、見てきたんですよね。水路、どんな感じでした?」

ミレイ「曲がりから下は、三箇所ほど崩れていました。縁の石が底へ落ちて、流れを塞ぐ形です。掘り返して、さらに積み直す仕事になります」

リオル「……崩れた石を積み直すだけなら、僕たちでも、何日かかければできそうな気がするんだけど。どうかな」

ミレイ「お勧めしません」

リオル「危ない?」

ミレイ「底で石を積む間は、手も目も塞がります。あの底は獣の道ですから、縁の上に見張りが要ります。上流と下流に、最低一人ずつ」

リオル「……見張りに二人取られると、底で石を動かせるのは二人だけか」

ミレイ「はい。二人で三箇所を直すなら、何日も獣の道の底で作業することになります」

リオル「……そっか。直せても、底にいる時間が長すぎるんだ」

ミレイ「私なら、受けない仕事です」


 リオルは、崩れた壁の上の縁へ目を上げた。屋根のない壁の向こうで、草の穂が傾いている。


リオル「なら、水路は人を集めてからだな。壁と屋根は、もっと先かなぁ。道の泥の所も、埋めるなら人手がいるし」


 竈のあった壁から、ノエルが出てきた。


ノエル「でしたら、井戸が先ですね。水の汲めない台所では、わたしでもお手上げですから」


 この井戸の水が飲めるかどうかは、まだ分からない。水受けは砂に埋まり、水路は三箇所で切れている。桶と縄だけで今すぐ確かめられるのは、その水だけだ。リオルは水受けの縁の、深く落ちている側へ指を当てた。


リオル「うん。井戸の水が飲めたら、次はここ。砂を出せば、そのまま使えると思う。水路の三箇所は、その後だ」


 ミレイは頷いただけで、その角の石を靴の先で軽く押した。石が、わずかに揺れる。


リオル「アイン、板を貸してもらえる?」


 アインが板を渡した。リオルは道標から集落までの線を指で辿る。


リオル「この道なら、僕たちだけでも来られるね。桶を担いでも、暗くなる前には戻れると思う」

ノエル「朝のうちに出れば、お昼はここで取れます。帰りに湧水の桝へ寄って、溜まり方も見ておきましょうか」

リオル「うん、そうしよう」


 二人の話が次に来る日の支度へ進む間、ミレイは板を辿るリオルの指を見ていた。指が三角の印を通り過ぎた時、ミレイは一歩、そちらへ寄った。


ミレイ「リオルさん。板を、少しお借りします」


 板を受け取ると、ミレイは腰の紐から炭筆を抜いて、三角の脇へ小さく書き足した。雨後二日。それだけ書いて、炭筆を紐へ戻す。


ミレイ「皆さんだけで通られる時は、雨の後の二日は避けてください。あの黒い土の所の石が、今日より沈みます」

リオル「分かった。雨の後は、二日待つよ」

アイン「ミレイは、一緒に来ない?」


 ミレイの手が、板の縁で止まった。


ミレイ「……契約は、今日までですので」

アイン「……そう。じゃあ、板は今日で返す」

ミレイ「はい。夕方に、お願いします」


 板がアインの手へ戻る。アインは三角の脇の小さな文字を見て、それから線のある面を、いつもより深く胸へ押し当てた。


 昼は、水受けの縁に布を広げた。ノエルの包みは四つで、今日は干し肉と麦の菓子の隣に、茹でた緑豆が葉に包んで添えてある。ミレイの包みは、結び目がまだ解かれていない。手より先に、耳が平地の低いほうへ向いていた。アインが同じ向きへ頭を回して、しばらく待ってから、ノエルを見る。


ノエル「初採れの豆の残りです。少しだけ、取っておいたんです」


 ミレイは葉を開いて、干し肉より先に豆を口へ運んだ。噛む音は風に紛れて聞こえない。二粒目に、手が伸びた。



 帰りの泥の所で、ミレイは片手を横へ出して三人を自分の後ろへ回した。朝より石が沈んでいて、ミレイは行きとは別の所を選んで渡った。三人は、その足の跡だけを踏んだ。


 小屋へ戻ったのは、日が丘の陰へ落ちる少し前だった。壁の外に張った毛皮は四枚とも乾いて、縁が内へ反っている。


 ノエルが竈へ火を入れる間に、ミレイは壁の地図の前へ立った。木箱の上でアインが支える板から、集落を写していく。水受けの四角、井戸の二重の円、その周りの屋根のない壁。泥の所の三角には、脇の小さな文字まで同じ大きさで写された。最後の壁の線は、紙の右の端で止まった。ミレイは線の止まった先へ、今日の日付を書く。炭筆の先は日付の隣で一度浮いて、丸を書かずに紙から離れた。


 リオルは戸棚の奥から革袋を出して、卓の隅へ置いた。ギルドで判を押した七日分の額で、昨夜ノエルが数え、紐を結び直してある。ミレイは袋の口を開けて中を一度見ただけで、控えの受け取りの欄へ名前を書いた。リオルも、完了の欄へ名前を入れる。


リオル「七日間、ありがとうございました。……これで、契約は終わりですね」

ミレイ「確かに受け取りました。控えは、明日ギルドへ出します」


 アインが木箱を下りて、板を両手で差し出した。ミレイは受け取って、炭筆を紐へ戻し、板を腰へ下げる。結び終えても、指は紐の上に残っていた。


 それから、ミレイは戸口へ行かなかった。地図の、紙の右の端で切れた線を見ている。


ミレイ「……もう書き込む余白はありませんが、道はまだ先に続いています」

リオル「……そうだね。紙を張り足さないと」


 リオルが地図の端へ目をやっている間に、ミレイは板の紐に置いた指を、一度だけ握り直した。


ミレイ「リオルさん。その紙を張り足す時は……その。続きの線を、私に引かせていただけませんか」


 リオルが地図から目を戻すより先に、ミレイは続けた。


ミレイ「ここまでは、私が歩いて引きました。……途中で、手放したくないんです」

リオル「うん、お願いしたい。……でも、どうして? アインには、契約は今日までって言ってたのに」


 ミレイは、すぐには答えなかった。


ミレイ「……今日の水路だけではありません。以前ご一緒した時から、私が危険だと言えば、臆病だと退けずに確かめてくださいました。今日も、楽をしたいだけだと決めつけず、まず理由を聞いてくださいました」

リオル「楽って……」


 言いかけて、リオルは口を閉じた。

 危険を先に察する類の《スキル》は珍しい。足跡や音のような根拠があれば、後からでも理由を説明できる。だが時には、何が危ないのかも分からないまま、避けるべきだという感覚だけが来る。ミレイにも言葉にできない感覚を、他人に証明することはできない。仲間を見捨てて逃げたという噂まで背負った彼女が、そんな警告を聞き入れてもらうのは容易ではないだろう。


ミレイ「何が危ないのか、私にも説明できない時があります。そんな時でも、斥候の判断として扱ってくださるリオルさんの下でなら、いつか腰を据えて働いてみたいと思います」


 ミレイは、そこで一度、言葉を切った。


ミレイ「それに、あの集落に井戸の水が上がって、人が住むまで。地図を納めて終わりにするには、少し、先が気になります」

リオル「……そっか。だったら、なおさらお願いしたい。次もミレイさんに頼みたいって、僕も考えてたんだ」


 そこまで言って、リオルは戸棚の脇へ目をやった。アインの寝床は、今も木箱に毛布を重ねただけのものだ。


リオル「ただ、今のロウディアじゃ、毎月の給金も、住む場所も用意できない。毛皮が売れても一度きりだし、豆だって、まだ三人で食べる分しかないから」

ミレイ「……そこまでは、お願いしていません」

リオル「分かってる。でも、来てほしいからこそ、払えないまま引き留めたくないんだ。だから続きは、一件ずつ、仕事として頼ませてほしい。来てもらった日の分は、その日に払う。僕たちの仕事を待つ必要はないから、ほかの依頼も今まで通り受けてほしい」

ミレイ「それは当然です。重なったら、先に受けた依頼を優先します」

リオル「うん。……それと、もうひとつ」


 リオルは、地図の集落の所を見た。


リオル「あの集落の井戸が使えて、家が建って、毎月きちんと給金を払えるようになったら。その時は、僕から一番に声をかける。ロウディアで働いてほしい、って」

ミレイ「……もう。いつの話ですか、それ」


 ミレイは少し呆れたように、笑いながら言う。


リオル「分からない。水だって、まだ汲めてないし」


 ミレイの目の動きが、危険を測る時と同じ速さで一度だけ走って、止まった。


ミレイ「……では、その時に、もう一度聞かせてください」


 紐の上に残っていた指が、そこでようやく離れた。


ミレイ「次からも、ギルドに言付けを残しておいてください。予定を見て、お返事します」

リオル「じゃあ、さっそく一件、頼んでもいい? 井戸の水を確かめに行きたいんだ。桶と縄を担いで、四人で」

ミレイ「分かりました。水受けの角まで見るなら、一日は要ります」

リオル「うん、一日分でお願いする。帰ったら、その日に払う。日取りは、ミレイさんに合わせるよ」


 ミレイは指を二本、順に折った。


ミレイ「明日から二日、街道の見回りが入っています。その次の日なら、空きます」

リオル「じゃあ、三日後に」

ミレイ「はい。明日、控えと一緒に受付へ伝えておきます」


 ノエルが湯の椀を卓へ置き、ミレイは両手で受けた。


アイン「板は、三日後まで、ミレイが持ってる?」

ミレイ「はい。見回りにも使いますので。……その朝に、また持ってきます」


 アインは頷いて、ミレイの腰の紐に通った炭筆へ目を落とした。残りは、指の節二つ分もない。


アイン「炭、二日持たない」

ノエル「炭なら、竈の脇にありますよ。少し太いですけれど」

ミレイ「……では、ひとつ、いただきます」


 ノエルが竈の脇から、太い消し炭をひとつ選んで持ってくる。ミレイはそれを紐へ通した。腰の紐に、太い炭は少しきつく収まった。


 戸口で、ミレイは三人へ一礼した。戸を押しかけて、手を止める。


ミレイ「三日後は、夜明けの少し後に伺います。縄は、井戸の縁の溝には乗せないでください。古い溝は、石が薄くなっていますので」

リオル「うん。溝は外して、縁の平らな所に掛ける。……ミレイさんも、暗くなる前に街道まで。今日は朝から歩き通しだったし」

ミレイ「……街道までなら、暗くても歩けます。ご心配なく」


 戸が閉まってからも、リオルはしばらく戸口を見ていた。


リオル「……いつか、とは言ったけど」

ノエル「……?」

リオル「あまり待たせたくないな」


 毎月の給金も、住む家も。今は用意できないものばかりだ。

 それでも、ミレイに胸を張って「ここで働いてほしい」と言える日のことを考えると、自然と頬が緩んだ。


ここまで読んでくださりありがとうございます。

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