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辺境観測士、鑑定AIで魔術を最適化する~今日もデータ片手に、幼馴染とまったり研究生活~  作者: hiyoko


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 朝の机には、昨日の帳面が開いたままになっていた。受け皿の記録、管の脈、それから施設の壁の外で採った土。リオルは頁を行き来させ、紙包みに書いた日付の上で指を止めた。竈の火を落としたノエルが、手を拭きながら振り向く。


ノエル「決まりましたか」

リオル「うん。今日、ファルドへ行こうと思う。アデリナさんに相談したいことができたんだ」

ノエル「装置のことですね」

リオル「昨日、壁際で採った土からも、装置が土地へ還している魔力を確かめられたでしょ。あれは嬉しかったんだけど、還っている魔力の量を考えると、素直には喜べなくて」

ノエル「少なすぎる、ということですか」

リオル「装置が土地へ返せる魔力の量は、枯れていた領地の広さに比べたら、まだ本当にわずかなんだ。その魔力がどこまで届いているのかも、まだ分からない。魔力が領地全体へ薄く行き渡るのをただ待っていたら、暮らしが戻るまでに何年かかるか。だから、戻ってくる魔力の一部だけでも、畑とか井戸とか、暮らしに要る場所へ先に回せないか。そういう工夫が昔のやり方の中にないか、聞いてみたいんだよね」

ノエル「でしたら、ちょうどよかったです。アインちゃんの靴を、今日こそ町で選んでしまいましょう。足布はあくまで間に合わせですし、これから外の土を測って歩くのなら、先に靴のほうが要ります」

リオル「そうだね。相談は午後からでも聞いてもらえるし、靴屋から回ろう」


 卓の端で帳面を覗いていたアインが、頁の隅に指を置いた。


アイン「以前、この周辺で調べた土の記録も、この帳面にある。並べれば、差を見せられる」

リオル「助かるよ。その頁に紙を挟んでおこう」


 出かける支度の最後に、ノエルは櫛と細い紐を二本、机に並べた。黒と、灰色。アインの指は迷わず灰色へ伸びた。


アイン「こっち。服と近い色」

ノエル「では今日は、左右に分けて三つ編みにしますね。人の多い通りでは、髪をまとめておくほうが楽ですから」


 アインは選んだ紐の端を指に巻きつけたまま、小さく首をかしげてノエルを見上げた。


アイン「三つ編みなのに、二つ?」

ノエル「三つなのは、編む髪の束なんですよ」

アイン「三つで、一つになる?」

ノエル「ええ。それを左右に一つずつ。きっと似合いますよ」

アイン「見たい」

ノエル「では、少しだけ動かないでくださいね」


 窓からの光の中で、腰まで届く銀髪が背の真ん中から左右へ分けられていく。ノエルは片側を三つの束に取り、手首を返すたびに一段ずつ編み下ろした。編み目は耳の後ろから始まり、肩を越えて鎖骨の前へ落ち、毛先を灰色の紐が留める。もう片側も同じ手つきで編み終えられると、二本のおさげが胸の前で軽く揺れた。アインは首を左右に振り、おさげが肩を叩いて戻るのを確かめてから、片方の毛先を手のひらに載せる。


アイン「歩いても、顔にかからない」

ノエル「ええ。これなら大丈夫そうですね」


 アインは毛先を載せたまま、戸口を出るまでそこから目を離さなかった。


 街道の砂を踏む音が途切れ、門をくぐった途端、音の層が変わった。呼び込みの声に荷車の軋み、値切り合う応酬までが、石壁に跳ね返って一つに混ざる。頭上では日除けの布が膨らんでは沈み、その影が行き交う人の背を波のように渡っていった。アインは半歩遅れて歩きながら、音のする方へ順に顔を向けている。干した果実の匂いの前では鼻先をわずかに上げ、遠くで鍋が鳴れば、おさげごと振り返った。やがて自分から歩幅を詰め、替えの布を入れた籠とは反対側の、ノエルの袖を指で摘まむ。


アイン「音が多い。順に追うと、歩くのが遅くなる」

ノエル「慣れるまでは、袖でも手でも掴んでいてくださいね」

アイン「袖にする。手は、籠で塞がってる」


 リオルは口元だけで笑い、二人の歩幅に自分を合わせる。


リオル「靴屋は、この先の角だよ」

アイン「革の匂いが、もうする」


 靴屋は通りの角にあって、軒下に革の匂いを溜めていた。棚には大人用の長靴が並び、端のほうに小ぶりな革靴が幾つか吊られている。作業台から顔を上げた店主は、客を順に見て、最後にアインの足元で目を止めた。


店主「いらっしゃい。今日はお嬢ちゃんの靴かい」

アイン「長く歩ける靴が、いい」

店主「なら足首まで包む形だね。ちょいと足を見せてもらうよ。……ふむ。まずこの二つ、履いて歩き比べてみな」


 差し出されたのは、濃い茶色の編み上げ靴と、飾り紐のついた黒の短靴だった。腰掛けたアインの足に、店主は順に靴を合わせていく。


店主「爪先はどうだい。革に当たるかい」

アイン「当たらない。指一本ぶん、空いてる」

店主「上等。革は履くうちに足へ馴染むから、最初はそのくらいでいい。ほら、歩いた歩いた」


 アインは順に履き替え、板張りの床を壁まで往復した。黒いほうでは、戻りの途中で右の歩幅がわずかに乱れた。リオルはその一往復を、目で追っていた。


リオル「今、右足がつっかえた?」

アイン「黒は、踵の中で足が前に滑る。茶色は、ちゃんと足と一緒に動く。茶色にする」

店主「はいよ、茶色だ。紐を通し直すから、そこで待ってな。──ああ、それと、雨に濡れたら陰で乾かして、脂を薄く塗ること。長く歩く靴ほど、手入れで保ちが変わるからね」

アイン「覚えた」


 店主が紐の長さを整え始めると、アインはその手元へ顔を寄せた。太い指が紐を交差させ、締め、結び目を作っていく。


アイン「その結び方、覚えたい」

ノエル「では、一度だけお見せしますね」


 ノエルは自分の靴の紐をほどき、交差から輪を作って引き締めるまでを、指の動きが見えるほどゆっくりなぞってみせた。アインが同じ手順を追うと、輪の片側だけが長く伸び、引いた途端に結び目ごと崩れた。ノエルは絡んだ二本の端を指先で軽く揃え直し、その手を膝の上へ戻す。急かす言葉はなく、視線だけがアインの手元に残った。アインは崩れた紐をしばらく見つめ、今度は先に両端の長さを指で測ってから、もう一度輪を作った。二度目の結び目は、足首を曲げても緩まなかった。


アイン「……結べた」

リオル「うん。これなら途中でほどけても、自分で直せるね」

アイン「ほどけたら、また結ぶ」


 ノエルは外した足布を畳んで鞄の底へ収め、店主に代金を渡した。アインは新しい靴で床を二度踏み、革が返す音に耳を傾けてから、店主へ小さく頭を下げた。


 学士棟への坂を上る間に、市の賑わいは石段の下へ遠ざかり、建物の影の冷たさが足元から上がってきた。廊下は静かで、厚い扉の並びが町の音を吸っている。開いた戸の奥では、午後の光が机の計算板を四角く照らし、紙と石墨の匂いが薄く漂っていた。アデリナは頁から顔を上げ、リオル、ノエルと視線を移して、最後に銀髪のおさげで止めた。


アデリナ「おや、今日は三人かね」

リオル「事情があって、ロウディアで預かっている子です。装置の観測も手伝ってもらっています」

アイン「アインです」


 頭を下げると、二本のおさげが胸の前へ滑り落ちた。


アデリナ「アデリナだ。そこの椅子が空いているよ」


 アインが腰を下ろすのを待って、リオルは帳面と土の紙包みを机に広げた。


リオル「装置は安定しています。それで昨日、施設の壁際で採った土からも、装置が土地へ還している魔力を確かめられました。今日は、その先の相談に来ました」

アデリナ「外の土というのは、どのあたりを調べたんだね」

リオル「壁際の一地点だけです。施設の中で測っているのと同じ深さの土を採りました。魔力がどこまで届いているかは、まだ分かりません」

アデリナ「それでも、還した魔力が領地全体へ行き渡るのを待つには少なすぎる、と見ているのかね」

リオル「はい。だから、戻ってくる魔力の一部だけでも、畑や井戸のような場所へ先に回せないかと思って」

アデリナ「回す、か。装置と土の記録を見せてもらえるかね」

リオル「この頁です。比べる元は──」

アイン「こっち。以前、この周辺で調べた土の記録」


 帳面を挟んで、アデリナはインクの染みが残る指で二つの頁を行き来した。それから紙包みを一つ解き、指先で土を摘まんで擦り合わせる。


アデリナ「これが、その壁の外の土かね」

リオル「はい。昨日の朝に採りました」

アデリナ「ほう。……魔力が土に残っているだけではないね。流れる向きがある」

リオル「向きは、僕とアインが別々に観測して確かめました」

アデリナ「この魔力の流れは、安定していると見ていいのかね」

リオル「外の土は、昨日の一度きりなので、まだ何とも言えません。安定していると言えるのは装置のほうです。受け皿と管の脈は、以前の記録と比べて変わっていません」

アデリナ「なるほどね。……人の手で流した魔力を途中で受けて、よそへ回す道具なら、一つ心当たりがあるよ」


 アデリナは書棚の下段を漁り、角の擦り切れた薄い綴りを抜き出した。開かれた頁には、畑を横切る一本の線と、その途中に置かれた小さな石の絵がある。


アデリナ「継ぎ石。昔の農村で使われた加工石だ。豊穣祈願なんかで、村中から畑へ向けて流した魔力があるだろう。その一部をこの石が途中で受け止めて、向きを変えて、別の土地へ渡した。遠くへ送るなら石を並べて継ぐ。近くへ分けるだけなら、一つから試せたそうだよ」

リオル「水路の水を、途中の溝で別の畑へ分けるのと似ていますね」

アデリナ「そう、似ている。だから当然、魔力は増えもしない。別の土地へ魔力を分けたぶん、元の向きへ流れる魔力は減る。それは覚えておくといい」


 アインが綴りへ身を乗り出した。線の分かれ目と石を、灰色の瞳が二度なぞる。


アイン「この石が受けていたのは、祈願で流された魔力。装置から戻る還流魔力も、同じように受け取れる?」

アデリナ「それは、私にも分からないね。継ぎ石が受けた記録が残っているのは、人が意図を込めて流した魔力だけだ。君たちの装置が返す魔力も受けるかどうかは、実物に流してみるまで、誰にも言えない」

ノエル「その継ぎ石は、いまでも手に入るのでしょうか」

アデリナ「どんな石が使われたかなら、学士棟の記録を漁れば出てくるはずだ。実物がどこに残っているかは、それからの話だね」


 アデリナは綴りを開いたまま、机の上の紙包みを顎で示した。


アデリナ「それより、こちらからも聞いておきたいのだがね。君たちは、その還流魔力をまずどこへ届けたいんだい。畑か、井戸か。届け先が違えば、引っ張り出す記録も変わるよ」

リオル「まずは、緑豆を育てた畑へ還流魔力を回したいです。前の記録がありますし、うまくいけば食べ物にもなる」

アデリナ「記録があるなら話は早い。こちらでも、畑に使われた継ぎ石の記録から当たってみよう。見当がついたら知らせるよ」


 アデリナが綴りを閉じるまで、アインはその頁を目で追っていた。畑を横切る一本の線が、表紙の下へ隠れる。閉じられた後も、灰色の瞳はしばらく表紙の上に留まっていた。


 学士棟を出ると、市は終いへ向かって緩み始めていた。荷の減った露店が板を外し、日除けの影は来たときより長く伸びている。石段を下りる一歩ごとに、二本のおさげが揺れて肩を叩いた。アインはそれを片手で受け止め、毛先の灰色の紐を眺めてから、また放す。


アイン「この靴、石の上だと音が変わる」

リオル「石畳はよく響くからね。街道へ出たら、また変わるよ」

アイン「帰り道で、聞き比べる」

ノエル「では、少し静かな道を選びましょうか」


 アインは二人の間に並び、新しい靴で石畳を一段ずつ確かめるように踏んだ。足布より少し遠くなった地面の感触を、一歩ごとに底の革が伝えてくる。半歩ごとに揺れるおさげと、革の鳴る硬い音が、暮れかけた通りを門のほうへ進んでいった。


ここまで読んでくださりありがとうございます。

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次回は8月28日(金)21:00に投稿予定です。

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