040
型に流し込んだ魔石の粉末が、鈍い光を放ちながら少しずつ形を変えていく。アデリナの手元の炉は小さいが、火力の調整は驚くほど繊細だった。焼けた金気の匂いが部屋にこもり、時折パチッと小さく爆ぜる音が響く。窓の外はもう夕刻に近く、机の上に積まれた計測器の影が、床に長く伸びていた。
アデリナ「もう少しだ。……冷ますところまで、決して気を抜かないように。粒が揃わなくなってしまう」
リオル「はい」
ノエルは部屋の隅で、二人の作業を見守っていた。手元の帳面には、これまでの工程が几帳面な字で記録されている。時折ページをめくる音だけが、炉の爆ぜる音に混じって響いた。
バルムが用意した魔石は、粒の大きさも純度もほぼ揃っていた。それでも一つ二つ、混ざりの甘いものが交じる。アデリナはそのたびに手を止め、器用な指先で選り分けていく。三日かけて選別し、型に収め、炉にかけ、また冷ますという作業を繰り返してきた結果が、今日ようやく形になろうとしていた。
炉の火が落ち着き、型の中身が薄い橙色から、常温の鈍い銀色へと変わっていく。アデリナは慎重な手つきで型を外し、中の器を取り出した。出来上がった受け皿は、原本よりわずかに厚みがあり、縁の丸みも少しだけ違う。それでも、対になる形はきちんと保たれていた。
ノエル「思っていたより、綺麗な仕上がりですね」
アデリナ「見た目だけはね。中身が同じように振る舞うかは、実際に繋いでみないとわからない」
リオルは受け皿を両手で受け取り、その重さをゆっくりと確かめた。冷たく、硬く、確かにそこにある。理屈だけで組み立ててきたものが、初めて手の中に収まった感覚だった。
リオル「これを、管理区域まで持っていって、繋いでみます」
アデリナ「一つだけ言っておこう。繋いだ瞬間、想定より大きく反応することがある。無理に押さえ込もうとせず、まず引くことだね」
ノエル「承知しました。何かあれば、すぐに離れます」
リオル「うん。……欲張らない。今日はまず、繋がるかどうかだけ、確かめられればいいと思う」
アデリナは紙に手早く図を書き足し、リオルに手渡した。接続の手順、確認すべき数値、異常があった場合の対処。細かい字がびっしりと並んでいる。
アデリナ「これを見ながら進めるといい。焦って手順を飛ばさないように」
リオル「はい。……戻ったら、結果を報告に来ます」
学士棟を出た足で宿に戻り、荷物を整えた。翌朝には旅支度を整え、ロウディアへ向かう街道に立っていた。旧アルドリッジの流体保存則、対の器、純度の揃った魔石。積み上げてきたものを、ようやく形にできる日が来た。
遺跡までの道のりは、いつもより長く感じられた。鞄の中の受け皿の重みが、一歩ごとに存在を主張してくる。日差しは高く、乾いた土の匂いに、遠くの草地から風で運ばれてくる青臭さが混じっていた。
ノエル「緊張していますか」
リオル「うん、少し。……でも、それ以上に早く試したい気持ちの方が強いかな」
しばらく無言で足を進めたあと、ノエルがふと歩調を緩めた。
ノエル「改めて整理させてください。今、私たちがやろうとしているのは、土地に魔力を戻すことですよね」
リオル「うん。窒息地を治すには、今の吸い上げの流れを、どこかで逆向きに変えてやる必要がある」
ノエル「後付けされた、あの観測ラインの吸い上げ機構を、直接逆流させる案もありましたよね」
リオルは足元の小石を避けながら、小さく首を振った。
リオル「うん、でもあれは間に合わせの改造だから、無理に逆向きに流したら壊れる危険がある。だから、あの吸い上げ機構には今回は触らない」
ノエル「それで、吸い上げとは別に見つかった、あの転写の装置を使う方法に切り替えた、というわけですね。あの器は、対の相手を失ったまま、吸い上げだけを続けている」
リオル「うん、そう」
ノエル「対を失った器には、吸った魔力の行き先がない。だから、吸われた分は、どこにも渡らないまま失われている……ということでしょうか」
リオル「うん、たぶん。土地は魔力を奪われ続けてるのに、吸った魔力自体は、誰の得にもなってない」
ノエル「だとすれば、対を直してあげることは、その魔力にもう一度行き先を作ってあげることに繋がりますね」
リオルは小さく笑い、頷いた。
リオル「うん。逆流みたいに流れそのものを引っくり返すんじゃなくて、行き先だけを土地の方に向けてやる。それが転写、って理屈だと思う」
ノエル「壊れた対を直すことが、そのまま土地を治すことに繋がる、というわけですね……でも、それで漏れを止められたとして、今まで失われ続けてきた分は、どうなるのでしょう」
リオル「うん、それはたぶん、別の話。漏れを止めても、土地が抱えてる不足分がすぐに埋まるわけじゃないと思う。屑魔石を撒いて吸いすぎを抑えるのと、たぶん両方要る」
ノエル「一つ直したくらいでは、足りない、と」
リオル「うん。でも、漏れを止めないことには、何をどれだけ足しても追いつかない。今日はまず、その繋ぎ直しが本当に機能するかどうかを、安全な場所で確かめるだけ」
観測施設の入口をくぐり、大広間を抜け、あの通路へ向かう。何度も通った道のはずなのに、今日は勝手が違って見えた。足音の一つ一つが、いつもより重く響く気がした。通路の奥、あの部屋の空気は、前に来たときと変わらず乾いていた。灯りを掲げると、壁のざらついた質感が影を伸ばし、隅の暗がりがいっそう深く見える。中央の台に据えられた装置は、片方の受け皿を欠いたまま、静かに二人を待っていた。
リオル「……よし」
リオルは持参した受け皿を、欠けていた側の台座へゆっくりと合わせた。寸法はぴったりだった。だが、はめ込んだだけでは、まだ何も起きない。リオルは装着した受け皿に《鑑定》をかけた。次いで、原本側の受け皿にも。寸法の一致率、表面の平滑度、接続部の隙間。数字が頭の中で積み重なるたび、こめかみの奥にじわりと熱がこもるのを感じた。
ノエル「繋ぐには、何か合図のようなものが必要なのでしょうか」
リオル「アデリナさんの図だと、片方に少量の魔力を通せばいいはず」
リオルは懐から小さな魔石を取り出し、既存の受け皿に近づけた。指先が触れる寸前で、一度深く息を吸う。ノエルは半歩下がり、いつでも駆け寄れる位置で見守った。
リオル「……いくよ」
魔石を触れさせた瞬間、管の中を淡い光が走った。もう一方の――新しく鋳直した受け皿にも、遅れて同じ光が滲み出す。リオルは光が走った瞬間から《鑑定》をかけ続けた。流量、方向、揺らぎの有無。視界の端がわずかに滲み、こめかみの熱はいつの間にか鈍い痛みに変わっていた。
《鑑定応答》
・対象:転写装置(再現部含む)・接続試験
・観測結果:両方の器で同期した反応を確認。魔力の移動そのものは成立している
・効率:推定で本来の三割程度。原本との材質差、あるいは接続部の精度不足が影響している可能性
・注意喚起:現状の効率では実用に耐えない。無理な出力増加は器の破損に繋がる恐れあり
アイン(出力を上げるより、接続部の精度改善を優先することを推奨します)
リオル「……繋がった。三割くらいだけど、ちゃんと繋がってる」
ノエル「壊れずに、成立したのですね」
リオル「うん。理屈は、間違ってなかった」
光はやがて弱まり、二つの器はそれぞれの色に戻っていった。三割。決して十分な数字ではない。それでも、ゼロだったものが、確かに動いた。
ノエル「顔色が優れないようです。少し休みましょう」
リオル「うん……ちょっと、頭の奥が重いかも。鑑定をかけすぎたのかな」
ノエルは装置に一歩近づき、まだ薄く光の残る受け皿の縁を見つめた。
ノエル「不思議ですね。……こんなに小さな器が、土地の全部を左右していたなんて」
リオル「うん。でも、まだ全部を動かせるわけじゃない。接続部をもう少し詰めるか、器の材質そのものを見直すか……たぶん、両方だと思う」
ノエル「今の三割は、次の一歩のための足場だと思って良さそうですね」
リオル「うん。……足場さえあれば、その上に何か積める気がする」
リオル「次は、七割を目指す」
その足で、二人は学士棟のアデリナの元へ向かった。三割という数字を、まず見せておきたかった。
アデリナは眼鏡の縁をそっと押し上げながら、書き込んだ紙を二度読み返した。机の上には、鋳直した受け皿の寸法図と、原本の寸法図が並べて広げられている。
アデリナ「厚みの差が、0.3ミリ弱。接続部にわずかな段差ができて、そこで魔力が漏れているんだろう」
リオル「それを削れば、直りますか」
アデリナ「理屈の上ではね。ただし削りすぎれば強度が落ちる。ちょうどいい塩梅を、数字で見極める必要がある」
リオルは粘土の模型に《鑑定》をかけた。
《鑑定応答》
・対象:受け皿模型(再現部)の削り代
・観測結果:安全に削れる余地は最大でおよそ0.2ミリ。段差を完全には解消できないが、大幅な軽減は見込める
・注意喚起:削り代を超えて加工した場合、強度低下により使用中の破損リスクが高まる
アデリナ「これは上出来だ。段差はゼロにはならないが、乱れは目に見えて減るはずだよ」
リオルはこめかみを軽く押さえた。数字を追ってきたせいか、視界の隅がちりちりと熱を持っている。
アデリナ「……その顔色は、今日だけのことじゃないね。ここのところ、鑑定を使い込んだ後は決まってその調子だ」
リオル「え」
ノエル「言われてみれば、最近特に多い気がします」
アデリナ「仮説を立ててみようか。普通の鑑定持ちは、同じ対象に同じ問いを投げれば、いつも同じ答えが返る。決まった棚から札を取り出すようなものだ。負担は少ない」
リオル「僕のは、問いの角度を変えると、答えも変わる」
アデリナ「そう。それはつまり、札を取り出しているんじゃなくて、そのたびに一から計算し直している、ということじゃないかね。回数をこなせばこなすほど、負担も積み重なる」
リオル「……道理で、疲れるわけだ」
アデリナ「それに、もう一つあるかもしれない。計算そのものは鑑定のシステムが請け負っているとしても、出てきた答えを理解するのは――君自身の頭だ」
リオル「計算はスキル任せでも、意味を読み取る方は、自分でやるしかない……ってことか」
アデリナ「それに、普通の鑑定持ちが受け取るのは、毎回同じ答えだ。一度理解してしまえば、あとは聞き流すのと変わらない。でも君の場合、流れ込んでくるのは、そのたびに違う答えだ。慣れる暇がない」
リオル「同じことを何度もやってるつもりで、実は毎回、初めて見るものを処理してた……のかな」
ノエル「これからは、測れるところはできる限り私が測ります。鑑定を使う場面を、少しでも絞れるように」
リオル「うん……ありがとう。助かる」
アデリナ「それは良い判断だ。負担を分散させるのも、立派な対策の一つだよ」
それから数日、地道な作業が続いた。アデリナの工房には、金属を削る細かな音と、砥石の焦げるような匂いが絶えず漂うようになった。受け皿を慎重に削り、削っては《鑑定》で寸法を確かめ、また削る。ガンザック商会でもバルムに相談し、より高純度の魔石を無理のない値で二段階に分けて仕入れる手はずを整えた。鑑定を使う場面はできるだけ絞り、測定の大半をノエルが引き受け、リオルが鑑定を使うのは最後の確認の一回だけに留めるようになった。
宿への帰り道、夕暮れの空気はひんやりと澄んでいた。
ノエル「一回一回が計算、というアデリナ様の仮説……もし本当だとしたら」
リオル「うん。使うたびに、何かが積み重なっていってる、ってことになるのかもしれない」
ノエル「怖くはありませんか」
リオルは足を止め、茜色に染まり始めた夕暮れの空を見上げた。
リオル「正直、少しは怖いよ。……でも、鑑定を使うのをやめる、って選択肢はないから。積み重なった先に何があるのか、まだ誰にもわからない。だったら、今はできることを一つずつやるしかないんだと思う」
ノエル「そうですね。……先のことは、先になったら考えましょう」
宿の部屋に戻ってからも、リオルはしばらくの間、書き溜めた紙の束を眺め続けていた。蝋燭の灯りが紙の表面をわずかに揺らし、書き込んだ数字の列が浮かんでは沈んでいる。ふと、寸法図の隅に自分で書き込んだ数字の並びに目が留まる。
リオル「……あれ」
紙面に顔を近づけ、もう一度数字を追う。厚みの差を削り代で補った場合の改善率と、純度を上げた場合の改善率。それぞれ単体で見れば、確かにアデリナの説明通りの数字になる。だが二つを重ねて計算してみると、単純な足し算よりも、わずかに大きな値が出た。
見間違いだろうか。リオルは紙を持つ手に力を込め、もう一度最初から数字を追い直した。何度確かめても、同じ差が残る。削り代と純度の効果は、単純な足し算では説明がつかない。何かもう一つ、見落としている変数があるのかもしれなかった。
蝋燭の火が小さく揺れ、紙の上の影がゆっくりと形を変えた。灯りの下で、リオルはしばらくの間、その並びから目を離せずにいた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
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