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第716節『決着の次』

第716節『決着の次』

 敵将が討ち死にしたの報は風よりも速く戦場を駆け巡ることとなった。

 主力と指揮官を同時に失うこととなった羽柴別働隊は、一気に崩壊した。武器を捨て逃げ惑う者、膝をつく者。戦意は完全に霧散していた。

 だが、勝者である徳川軍から勝鬨は上がってはいない。

 あまりにも壮絶すぎる決着と、そして目の前の死屍累々――兵たちは歓喜よりも先に深い沈黙に呑まれているのであった。

 雨上がりの光が赤く染まった大地を照らす。それは勝利の輝きというより、魂を慰める灯火のようであった。

 新太は恒興の亡骸の傍で槍についた血を静かに拭っている。

 そこへ、泥まみれの赤い姿――井伊直政が歩み寄ってくる。

 無言のまま隣に立ち、肩をドンと小突いた。

「……また先を越されたな」

 ぶっきらぼうな声に、同志としての信頼と、生き残った安堵が滲む。

 新太は鼻を鳴らす。

「手柄はお前のもんだろ、直政。俺は仕上げをしただけにすぎん」

 二人は丘の上の本陣を見上げた。

 ――家康、あの男が、このすべての絵図を描いたのだ。


 本陣の床几でその家康は眼下の惨状を無表情に見下ろす。

 榊原康政が、抑えきれぬ興奮と共に報告した。

「池田、森、両名討ち死に! 敵軍は壊滅! 完全な勝利にございます!」

 だが、家康は頷かない。

 手にした金扇を静かに閉じたのみだった。

 パチン。

 乾いた音が、彼の胸の奥で一区切りを告げる。

(……ここは勝った。これであればしっかりと戦果とあげたと言えるのだろう)

 池田恒興――織田家の重鎮と言える将を討ち取った意味は特に重い。

 これで秀吉は、武力で徳川を屈服させる道が閉ざされたと悟るだろう。

 だが、そのために流れた血の量を思い、家康の胃の腑は重く沈んだ。

(恒興、長可……。その死が、俺の計算に組み込んだ数字の一つでしかないのは申し訳ない。でも、その数字はこれからの歴史を決定的に揺るがす重りになるだろう)

 家康は立ち上がり、雲間からのぞく青空を見上げた。

 地上の惨劇とは無縁のように澄んだ空であった。

「……終わったな」

 その呟きは、勝利の宣言ではない。

 長い工を終えた職人の独り言のようだった。

 彼は諸将へ向き直る。

「これより事後の処理に移る。首実検の用意をせよ。……丁重にな」

 その瞳には、もはや戦場の熱気はない。

 次に訪れる、血を流さぬ――しかしより冷酷な政治の戦いを見据えた光だけがあった。

 長久手の戦いは、ここに終わる。

 だが、家康にとっての「天下分け目」は――ここからが本番となるのであった。

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