五十四
長い時代を放置されていた下水道は、至る箇所で煉瓦が崩れ落ち、地面が剥き出しになっている。
「この辺りは、気を付けないと転んでしまいそうですね」
史哉は、懐中電灯で足元を照らし、溜息を吐いている。
溝は淀んだ水が流れ、床は藻や苔で足元を取られやすい。怪我をする危険性もあって、歩みも遅い。
「チッ。ここも駄目だな」
先頭を歩く彰が舌打ちをして、ポケットへ手を入れる。懐中電灯で先を照らせば、崩れ落ちた天井が見えた。下水道は、崩れた瓦礫で完全に塞がれて、通れそうもない。
「……これは、酷いね」
上に見える穴の中を覗けば、木の根が垂れ下がり、若干明るく見える。学院を囲む森の樹木だろう。彰は図面を広げ、次のルートを探している。
「またなの? これで、三ヶ所目よ? 本当に出口まで行けるの? 出来れば、早く出たいのよ!」
「引き返しましょうか。古い下水道ですから、仕方がないですよ」
文句を言う秋月を、史哉が宥めながら、来た道を引き返す。下水道へ踏み込んで、三時間が経っていた。
「この調子だと、今日中に出れるかどうかって感じだな」
隣を歩く彰が、図面から視線を上げ、独り言のように呟く。確かに、彰の言う通りかもしれない。これだけ時間が経ったにも関わらず、進めたのは三分の一……。下手すると、四分の一程度だ。
分岐点まで戻ると、通れなかった場所に、缶スプレーでバツ印を付けた。
「……なんだか、同じ場所をグルグル廻っているみたいで、気味が悪いな」
「ちょっと! 嫌なこと言わないでよ!」
「思ったことを言っただけだろ。なんで、怒鳴るんだよ」
秋月と俺は、暗闇と閉塞感のお蔭で、精神力が削られていく。それが、いけないことだと分かっていても、言葉が刺々しいものとなってしまう。
「怒鳴られるようなことを言う方が、悪いのよ!」
「好き好んで、迂回しているわけではありませんよ。二人とも、いい加減にしましょうね?」
史哉が仲裁に入り、秋月も俺も、黙るしかなかった。
「……彰。少し、休憩しましょうか」
「そうだな」
彰は短く答えると、乾いている床を探して、腰を下ろしている。その隣に、史哉も座った。
「なあ、瓦礫を退かして進めないのか?」
俺は、彰の前に座り、少し前から考えていたことを提案する。迂回ルートを探すのも時間が掛かる。それより、一度地上に戻って、通れる分だけ瓦礫を撤去した方が、効率が良いような気がした。
「ここまで来て、学院まで引き返すの? 私は、反対よ」
「迂回ルートを探して、その先が崩れていたら、また迂回ルートを探さなきゃならないんだ。それより、効率が良いだろ」
「崩れた場所の先が崩れていたら、また瓦礫の撤去をする。同じことでしょ?」
「迂回ルートを探す時間は、短縮できる。それに、俺は彰に聞いてるんだ!」
「何よ! 私の意見は聞かないって言うの!」
「違う! なんで――――」
隣に座った秋月と再び口論になり、怒鳴り合いまで発展すると、前に座る彰に、手で口を塞がれた。
「しっ。……静かにしろ。何かが聴こえる」
口を塞がれた状態で、彰の視線の先へ目を向ける。それは、俺達が引き返してきた、下水道だった。
「………… …………」
確かに、何かが、聴こえた。
「……何? 何も聞こえないわよ?」
小声で、秋月が問い掛けてきたが、彰は答えず、真剣な眼差しを暗闇へ向けている。
「……ぅ…………」
必死に、耳を澄ます。そして、目を凝らす。
「……うがぁ……」
暗闇に、姿を現したのは生きた屍だった。それも、複数の生きた屍。
「彰、彼方からも来ます」
「チッ。……数が多すぎる」
史哉の囁きで、今から向かう筈だった方向へ頭を向ける。そちらからも、生きた屍が近付いてくる。
どこから、入り込んだんだ? 疑問に思ったが、それよりも、武器を手に取るのが先だ。
俺は、背負っていたリュックから、剣鉈を取り出した。秋月もクロスボウをリュックから取り出そうとしている。
「……ううぅ……うがぁぁ!」
俺達の……。否、人間の臭いを嗅ぎつけたのか、勢いよく駆けて来る生きた屍に、彰たちは驚いている。
「アレ、進化型だよ。避けて」
初期のウイルスが、変異している生きた屍。そいつの、声を聞き付け、他の生きた屍も集まってくる。俺は、走ってくる生きた屍に狙いをつけて駆け出した。
そいつの脇を通り抜け、背後に回り込み、背中を蹴り飛ばし、じたばたと手を振り回す生きた屍の背に乗る。
「そのまま、押さえてろっ!」
バキッ
「……は?」
一瞬、何が起きたのか分からなかったが、どうやら彰が生きた屍の頭を、蹴り飛ばしたらしい。
「呆けてんじゃねえ。次が来るぞ!」
声を掛けられ、背後を確認すると、わらわらと湧いてくる。
「……ちょっと、どっから出てきたんだよ!」
「知るか! お前らがデカい声上げるから、湧いたんだろうが!」
ああ、俺と秋月の怒鳴り合いか! 寄ってくる生きた屍と、応戦しつつ考える。
「まさか、下水道まで居るとは、思わなかったんだって!」
「言い訳してる暇があるなら、戦ってください!」
少し離れた位置で、史哉が生きた屍を横蹴りで転がしている。秋月は、更に奥から歩いて来る生きた屍に、矢を放っていた。
「切りがないわ!」
「図書館まで戻るぞ!」
彰の号令に、史哉が秋月の手を引いて、後退し始める。
「澪、てめえも後退しろ!」
俺より、奥に居るのに、俺に後退しろって、どういう意味だ?
「彰は、どうするんだよ!」
「俺も後から行く!」
ふざけるな。置いて行けるか! 俺は、彰の言葉を無視して、生きた屍の首を刈り落とした。刃研ぎをしたお陰で、切れ味も元通りだ。
「置いてくとか、有り得ないから。一緒に行くまで、ここで戦う!」
その間にも、彰が生きた屍を、足技で沈めていく。脚力が、半端ない。俺も、寄ってきた生きた屍の脚を切り落とし、転がしていく。
「クソったれがっ!」
「彰、口悪すぎ!」
怒鳴られるが、引く気がないことを理解してくれたのか、此方へ戻って来る。
「戦いながら、後退するのは無理だ。走るぞ!」
「走るの無理だ! 転ぶ――――っぬあぁっ!」
思わず、奇声を上げた。彰に、担がれたからだ。そのまま、言葉通り、軽快に走り出した。
「俺が走るから、澪は後ろを警戒しろ」
「ちょっ! 無理っ! 下ろせ!」
本当に、怖いって。転んだら、どうするんだよ? 前を向くと、進化型は居ないようで、生きた屍との距離が離れていく。
「もう、離れたから! 頼むから、下ろして!」
「史哉たちに追い付けば、降ろしてやる。動くと走りにくいんだよ。大人しくしてろ」
俺は、積み荷か! それより、なんで転ばないんだ? 相変わらず、ペースを落とさず、駆けていく。俺が、諦めて大人しくしていると、彰はスピードを上げた。
この体勢、腹が圧迫されて苦しい。脳もシェイクされて、頭が重いし……。
「……目が……回る」
終には、意識を手放した。




