五十一
「急げ! 走るんだ!」
暗闇の中、何度転びかけたか、分からない。ただ、彰に言われる儘、ひたすら走り続けた。何時の間にか、秋月に追い付き、共に走る。そして――――。
「行き……止まり……着いた、わ」
「僕が、先に上がって――――」
「俺が、やる。史哉は、秋月を支えてやってくれ」
「分かり――――。っ! 灯りが! 急いでください!」
彰が、点検用通路の出入口を開けると、暗闇に慣れた瞳には、眩しすぎるくらいの明かりが、通路へ飛び込んでくる。
「秋月と澪を、引っ張り上げる! 早く、梯子を登らせろ!」
明かりの中から、腕が伸ばされ、引き上げるように連れ出された。通路の中からは、仄暗い呻き声が聞こえてくる。
「史哉、急げ!」
カン、カン、カンと梯子を駆け上がる音が聞こえ、史哉の姿が見えると、彰が出入口の蓋を閉める準備を始めた。
「いいですよ!」
史哉が声を上げると、同時に蓋が閉められる。
「澪、この書類棚、動かしても構わねえな?」
息が上がり、返事をすることが出来ず、大きく頷いた。ズ、ズ、ズと押され、完全に点検用通路の蓋を塞ぐ。
「少し、休み、ましょうか」
「疲れた、わ」
暗闇での疾走は、予想以上に体力と精神力を削るものとなり、備品室の床に、其々崩れるように座り込んだ。
暫くの間、動く事も出来なかったが、何時までも座り込んでいることも出来ない。交代で、軽くシャワーを浴び、玄関ホールへ戻ってきた。
玄関ホールへ行き、各自休憩をとる。点検用通路を走っていた時は、生きた心地がしなかったが、どうにか落ち着いてきた。
史哉の隣に座り、食堂から取ってきたスポーツドリンクを煽る。半分ほど喉に流し込み、一息ついていると、真後ろからペットボトルを盗られ、飲み干されてしまった。
「何するんだよ」
「別に構わねえだろうが」
「まだ、飲むんだったのに」
「また、取ってくればいいだろ」
その言葉に、肩を落としていると、横からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
「彰は、相変わらずですね」
「酷いよな。そんなに欲しいなら、自分で取りに行けばいいだろ」
「面倒だ」
きっぱりと言い切ると、飲み切ったペットボトルをテーブルへ置き、向かい側のソファに座る。その姿を見て、小さく息を吐き出し、天井を見上げた。
「面倒なのは、皆、同じだ」
そのまま、天井を見上げていると、秋月が顔を見せた。髪を乾かしていない所為か、何時も纏めている黒髪がおろされている。
「谷崎君に言っておきたいことがあるの」
真剣な眼差し。だが、憂いを感じさせる瞳だった。
「何?」
「母の事を気にしてたようだけど、母は自業自得なの。だから、気に病む必要は、ないのよ。大体、解剖したいって言い出すような相手を心配するって、どれだけお人好し? それとも、馬鹿なの?」
「なっ! 馬鹿って!」
最後の方は、呆れた様子で言い放つ。
「だけど――――」
「娘の私が、良いと言ってるの。もう、この話は終わりよ」
言葉を止められ、黙り込むと、秋月は奥へと姿を消した。
「点検用通路で、暫く彼女の母親の事を、彰と言い争っていたでしょう? 彼女なりに、思うところがあったのだと思いますよ」
隣に座る史哉に言われ、項垂れた。
「秋月の言い分が正しいだろ。自業自得、その儘だ」
「そうですね。これは、秋月の母親が始めたことですから……」
確かに、そうなんだろう。分かっているが、心が追いつかない。大きく息を吐き出して、顔を上げた。
そうだ、今は、考えなければならないことが山積している。
「彰、予備電源に切り替わったのは、どうしてだと思う?」
システムコンピューターが破壊されても、動き続けていたのだ。今更、故障というのは有り得ない。そうなると、予想できるのは二択に絞られる。
「それは、意図的か、偶発的かという質問か?」
矢張り、彰も考えていたのか、的確な返答が返ってくる。頷いて見せると、眉根に皺を寄せた。
「意図的なら、恐らく、暫くもしない内に包囲している自衛隊が突入してくる。偶発的なら……。最悪、外も、学院と似た状況になっているかもしれない。そう、考えてるんだ」
出来れば、どちらも当たって欲しくない。
「確かに、そう考えるべきなのかもしれませんが……。あまり、当たっていて欲しくない答えですね」
史哉も、俺と同じように感じているらしい。
「外まで、こんな状況なら、自衛隊は撤収してるんじゃないかしら?」
手に硝子ピッチャーと紙コップを持った秋月が、奥から出てくる。
「レモン水よ。良ければ、どうぞ」
「ありがとうございます」
御礼を言った史哉が、紙コップを並べ、秋月がレモン水を注いでいく。
「ねえ、補助電源に切り替わったら、全てリセットされるのよね?」
「そうだが?」
彰が答えると、秋月は自分のリュックの中から携帯電話を引っ張り出した。
「私は、そのシステムとかに詳しくないから、分からない事が多いけど、リセットされたなら、携帯とか使えるようになってるんじゃない? パソコンとか、電波が悪い時、リセットしたりするじゃない」
そう言われ、ハッとなる。彰や史哉も同じような顔をしていた。
「ほら、電波が入るようになってるわ」
電源を入れた携帯電話を開いて見せてくる。
「史哉、テレビはどうなってる?」
玄関ホールに設置されているテレビを点ける。
「普通ですね。どうやら、感染は、ここだけ……。っ!」
チャンネルを切り替えていく中、一ヶ所だけ臨時ニュースに切り替わり、海外の映像が流れていた。その映像に、四人の視線は、釘付けとなる。
ヘリコプターからの映像だろう。彼方此方から、火の手が上がり、幹線道路は大渋滞を起こしている。そして……軍隊が銃を撃っている。その先に居るのは……、規制が掛けられていたが、生きた屍。そして、狂乱者達……。あれだけの弾を撃ち込まれて、それでも、歩き続けられる人間など、他に存在しない。
「嘘……でしょ。これって、どこの国なの!」
映像と共に流れる字幕は、その国の主要都市の殆どが、壊滅した事を知らせていた。
暫く、誰も動く事が、出来ずにいた。この国が平和な事には、変わりがない。だが、既にウイルスは使われてしまった。どうなるか、予想がつかない。
「これから、どうしましょうか」
史哉の声は、酷く弱々しい。
「…………」
彰は、目を閉じ無言で、何か考えている様子だった。
秋月は、電話で誰かと、話をしている。英語で話しているところを見ると、海外へ連絡を取っている様子だ。
「とりあえず、脱出しなければ、どうしようもないよね。でも、今は難しいか」
外には、解き放たれた生きた屍が居る。言葉にしなくても、伝わったのだろう。
「そう……ですね」
史哉は、呟くように返答をした。
「あの映像は、東南アジアのものよ」
電話を終えた秋月が、ソファに座り、会話の内容を話し始めた。
「感染は、少しずつだけど、拡散し始めているらしいわ。発生時期は、学院と前後しているの。相手は、研究所に居た頃の父の友人で、所内は、パニックよ。この儘だと、パンデミックになるって」
世界中に、感染が広がれば、手の打ちようがない。
「それから、東南アジアの航空機や経由する便は、どの国でも受け入れ拒否みたいね。船舶も同じよ」
そうするのが、正解だろう。
「パソコンで、状況を調べてみます」
史哉が立ちあがり、玄関ホールを出て行く。
「彰、どうしたの?」
ずっと、黙している彰へ、声を掛けと、閉じていた眼をスッと開いた。サングラス越しなのに、射抜くような眼力に、一瞬、息が詰まる。
「……澪。恐らく、この国でも感染は拡大する。非情になれ。てめえが、一番、情に流されやすいからな」
「どういう……ことだよ?」
「たとえ、助けを求められても、手を取るなと言っているんだ」
意味が分からず、秋月を見る。彼女には、意味が理解できたらしい。苦渋に満ちた表情を、していた。
「意味が……」
「周防君が言いたいのは、自分たちを優先しろってことだと思うわよ」
秋月は、言葉を区切り、嘆息した。
「今は、四人だし、三人は元々仲が良いから、成り立っているの。谷崎君は、優しいから知らない相手でも求められたら、行っちゃうでしょ? 周防君は、それを危惧している。違うかしら?」
史哉の言葉に、愕然となった。理屈は分かる。信頼し合う仲間だから、コミュニティーが成り立っている。それは、学院での共同生活でも、大事な基礎となるから。
その中に、知らない人間が入り込めば、俺達のルールは崩され、その人のルールを押し付けられる。そうすれば、瞬く間に崩壊へと向かうだろう。そういう状況にならない為に、非情になれと言っている。
「違わねえ。秋月が、言った儘だ。世の中、良い人間ばかりじゃねえ。中には、人の良さそうな面で、近づいてくる悪人もいる」
「……分かった」
「酷いこと言ってんのは、分かってる。だが、生き延びる為には、切り捨てることも学ばなきゃならねえ」
「……うん」
俺を間違えないように、厳しく言うしかなかったんだろう。
もし、生きた屍や狂乱者が闊歩する世界になれば、物資は枯渇する。
助け合うコミュニティーも存在するようになるだろうが、極一部に過ぎないだろう。そして、今までのような生活を続けるには、他の人間から略奪するしかない。
そんな事、分かっていたのに……。自分の甘さに、泣きたくなった。




