四十八
「……なんで。こんなに、憎いのに……。こんなに、こんなに……。っ」
弾は、天井に。……恐らく、反動が凄まじかったのだろう。
秋月自身は座り込み、声を上げて泣伏してしまった。秋月の母親は、腰が抜けた状態となっている。
史哉は彰の指示で動いているのか、秋月の母親の両腕をビニールロープで縛り、テーブルの脚へ固定している。
「秋月、これさ、危ないから貰うよ」
俺は、秋月の手から銃を取り、東條さんから教わった通りの手順で弾を抜き始めた。
「君たちは、華那ちゃんの友達かい?」
掠れた声で、伯父さんが彰へ声を掛けた。先程より、顔色が悪くなっている。
「俺は、周防 瞳子の息子です」
「瞳子君の……そうか、君は彼女の息子だったのか」
懐かしむような顔で、彰を見つめている。
「瞳子……ですって? なんで、ここに瞳子の息子が居るのよ!」
正気を取り戻したらしい。銃の弾抜きを済ませ、マガジンをリュックへ仕舞う。銃と一緒に置いていると、碌な事にならないような気がしたからだ。
テーブルの上に、史哉がソファを乗せようとしているのを手伝い、秋月の母親の固定を済ませた。これだけ重くしておけば、女性なら動けない。それを見て、暴れはじめた。
「ちょっと、私は、一流の科学者なのよ! こんな酷い扱いするなんて、子供だからって許さないわよ!」
パァン
「ふざけないで! お母さんは、世界一最悪な科学者よ!」
泣伏せていたはずの秋月が、母親の頬を力強く叩き、睨みつける。
「お母さんの所為で、沢山の人が死んでるのに、なんで、お母さんは死なないのよ!」
「私は、ウイルスを作って売っただけよ。買った人が勝手に使ってるのに、それまで私の所為になるの?」
「当たり前でしょ! ウイルスを売らなければ、人は死ぬことがないじゃない! 馬鹿なの!」
「何よ! 私は馬鹿じゃないわ! 頭は、とっても良いのよ? だから、何をしても許されるのよ!」
頭が良いイコール何をしても許される。どういう、方程式だ。そんなこと聞いたことがない。
「華那ちゃん、彼女に何を言っても無駄だ。彼女の頭の中には、寄生生物の化石の事しかない。それは、十九年前から変わっていないのだよ」
彰が止血を施したのだろう。デスクを背にした伯父さんが、秋月を説き伏せるように話し出した。
「確かに、寄生生物の化石を発見したのは、私だ。だが、ウイルスを発見したのは、芳子君なんだよ」
「お母さんが……見つけた」
秋月は、伯父さんの話を聞き、驚いた顔で母親を見ている。
「そうだ。芳子君が見つけた。そこから、二つのグループに別れたんだ」
その先は、彰から聞かされた話と同じだった。
「瞳子君に手紙と鍵を送り、私は学会を去った。私の所為で、美咲や和彦君が亡くなってしまった。私が、あんなものを見つけてしまった所為で、芳子君は変わってしまった。……全て、私の所為なんだ」
「ちょっと、私を変人扱いするなんて、俊夫さん酷いわ。確かに、美咲や和彦は、毒性を取り除くなんて馬鹿な研究をしてたけど、私は立派な研究をしていたのよ? だから、週刊誌の記者に話してあげたんじゃない。こんな馬鹿な研究にお金を無駄遣いしてるんです。勿体ないでしょ。私の研究の方が良でしょって。なのに、あの記者、美咲たちの事ばかり記事にして、狡いわ」
秋月には悪いが、この人は、どういう神経して話しているんだろう? 本当に研究と自分の事しか頭にないんだろうか?
俺は、秋月の母親を無視して、口を開いた。俺には、伝えなければならないことがある。
「……薗村さん。美咲さんも和彦さんも、薗村さんの事、恨んでいません。幸せだったと伝えて欲しいと、頼まれました。信じてもらえないかもしれませんが、真実なんです」
俺の言葉に、伯父さんの目が見開かれていく。
「君は……」
「俺は、谷崎 澪です。美咲さんと和彦さんの息子です」
口に出して、やっと自分でも二人の息子なのだと認めることが出来たような気がする。
「こっちへ、来てくれないか? その顔を……私に見せてくれ」
「はい」
見開かれた目からは、幾筋もの涙が零れ、スーツを濡らしていく。俺は、ソッと横へ座った。
「そうか。そうか……。瞳子君は、私の頼みを……。やり遂げて、くれていたんだな。澪の目は、美咲にそっくりだ。口元は、和彦君だ。声も、学生の頃の和彦君に似ているな。そうか、二人は幸せだと言ってくれたのか。そうか」
伯父さんの止まらない涙を、史哉が差し出してくれたハンカチで拭うと、嬉しそうに笑ってくれた。
「……私は、もう駄目だろう。視野も狭くなってきた」
「ちょっと、死ぬ前に、私の宝物の場所を言いなさいよ!」
「私が、君に教えると、本当に思っているのか」
小さな溜息と共に吐き出された言葉は、諦めに満ちたものだった。
「当たり前よ。私の宝物なんだから!」
「これだけ沢山の命を奪い、私の大事な妹まで奪った君が、それを言うのか!」
心で思っていても、ずっと言わずにいたのだろう。伯父さんも、秋月の母親の事を憎んでいたんだ。
「もう、人の手の届かない場所へ行った。それだけは、確かだ」
秋月の母親に伯父さんが告げると、項垂れて動かなくなった。
「澪?」
「ここに、居ます」
名前を呼ばれ、声を掛けると伯父さんは、視線を彷徨わせ、俺の顔へ手を伸ばしてくる。そして、反対の手をデスクの床へ伸ばした。
「手元に残っているのは、私が作った抗ウイルス薬が三本だけだ。澪にあげよう」
抗ウイルス剤? そんな物が……あるのか? それよりも、俺にくれるって?
「……え?」
「澪は、必要ないだろうが、瞳子君の息子さんは必要だろう?」
驚いていることに気付いたのか、伯父さんはクスリと微笑んだ。
「私も、研究者だ。直ぐに気づいたよ。受け取ってくれるね?」
「は、はい!」
「残りの二本は、華那ちゃんともう一人の友達に、使いなさい。澪の友達の君達には、生き残って欲しい。澪は、きっと長い間、一人ぼっちで寂しかっただろうからね」
カチッと音がして、壁の書類棚が横へ動き、金庫の様な物が現れる。
「番号は、これに書かれている。中の輸送用コンテナに、必要な物と抗ウイルス剤が揃えて入れてあるんだ。使ってくれ」
俺の手にポケットから出したプレートを握らせると、伯父さんの身体がグラリと、俺の方へ倒れてきた。
「伯父さん!」
「そうか……。そう、呼んでくれる……のか。きっと……いい……土産…………」
それが、伯父さんの最期の言葉だった。きっと、土産話になると言いたかったんじゃないだろうか。
もっと、話をしたかった。もっと両親のことを教えてもらいたかった。
「伯父さん、ありがとう」
永遠の眠りについた伯父さんを、床へ寝かし、壁に下げられていた白衣を体に掛ける。
渡されたプレートを彰へ渡して、金庫を開けてもらうと、伯父さんの言ったコンテナが入っていた。
「どうやら、説明書も添付してあるようです。これなら、使えます」
史哉が、紙の束を読み進めていく。しかし、その前に彰が、手早く準備を始めていた。
「おい、秋月。てめえから、打ってやる」
「……え? わ、私?」
名前を呼ばれて、驚いたんだろう。自分を指差し、呆けている。
「秋月は、てめえだろうが! 早く来い!」
「はい!」
「袖を捲って、上腕を出せ」
「はい!」
秋月は驚いた所為か、彰に何か言われる度に、大きく返事をしている。段々、それが可笑しくなってきて、笑いを堪えるのが大変だった。
史哉まで抗ウイルス剤を打ち終わり、彰の番になった時だった。抗ウイルス剤を手に持つ史哉へ、秋月の母親が話しかけた。
「それ、私に使いなさいよ。瞳子の息子になんて、勿体ないわ。使ってくれたら、御礼はちゃんとするわよ」
「なんてこと言うのよ!」
史哉より先に、秋月が母親に食って掛かった。
「華那は黙ってなさいよ。打ってもらった後でしょ?」
「…………」
史哉は、黙したまま、準備を整えていく。
「黙ってないで、早く、私に打ちなさいと言ってるでしょ!」
「言いたいことは、それだけですか?」
全ての準備を終えると、そのまま秋月の母親へ体の向きを変えた。
「はあ? 何、口答えしてんのよ! 子供の癖に生意気な!」
「ええ、子供なので、大人の理屈は分からないのですよ。彰の様にうまく出来るか分かりませんが、やってみます」
話の途中で、彰へと向き直り、アルコール綿で消毒を始めた。
「乾いてから打てよ」
「はい。……そろそろ良いですか?」
「ああ。注射器を持っていない方の手でつまんで、角度は、その位置でいい。素早く……つまんでなくていいぞ。注射器をちゃんと固定しろ。ああ、逆流も、痛みも痺れもない。次は、ゆっくり押してくれ。全部、注入したな。……そのままアルコール綿を添えて、針を抜け」
史哉は、無事済ませたられたことで、ホッとした顔をしている。
「随分と詳しいんだな?」
彰の隣に立って訊ねると、溜息を吐かれた。
「澪が打たれるのを、毎日見ていたから、覚えたんだ」
俺? 毎日、注射を打たれてたのか? 思い出そうとしたが、記憶にない。首を傾げていると、頭を引き寄せられた。
「すまなかったな。きつく当たっちまって……」
「そ、そ、そんなの、気にしてないから!」
「嘘ですね。気にして、勝手にすると言い出したんでしょう?」
「そうよ。あの時は、本当にどうしようかと困ったのよ?」
う……。それを言われると辛い。小さくなってると、引き寄せられた腕から出された。
「俺は、お前達と違って感染してから抗ウイルス剤を打った。正直、どう作用するか分からねえ」
「置いて行けとか言っても聞かない」
先手を打つと、溜息を吐かれた。言うつもりだったらしい。
「……秋月、母親はどうするつもりだ?」
「お父さんの仇を取りたい。そう、思っていたの。でも……。もういいわ。あの人の言葉を聞いてたら、段々、可哀想な人に思えてきて。あ、だからって、助けてなんて言わないわ」
可哀想か。確かに、研究の事以外、考えられない。そんな心の持ち主である事自体が、可哀想なのかもしれない。
「縛り付けたままというのも、後味が悪いですね。ですが、後を追ってくるかもしれませんし……。どうしましょうか?」
そうだよな。そうなれば、休む事さえ難しくなってくる。
「なら、先に出せばいいじゃない。銃さえ返してくれたら、私が先に出てあげるわ」
「その言葉は、信用できねえ」
俺達が話していると、秋月の母親が、会話に入ってきた。
「ケチねえ。じゃ、その培養機で育った子を私に頂戴。世界初の人工子宮で育った子。解剖してみたいのよ。ほら、そしたら抗ウイルス剤も作れるかも――――」
「いい加減にしてよ! あんた、本当に頭いかれてるわ! 谷崎君は生きてるのよ!」
秋月は母親の前で叫んでいるが、俺の頭には、母親の言った言葉の方が衝撃的だった。
「俺から、抗ウイルス剤が作れる?」
「澪!」
「澪、しっかりしてください。そんなの出鱈目です。作れるかもであって、作れるじゃありません」
史哉に身体を揺すられ、ハッとなった。
「あ……。ごめん、可能性があるならと思ったんだ。解剖は嫌だけど、採血なら平気かなと」
「それなら、俺のお袋にさせればいいだろ」
そうか。瞳子さんでも出来るのか。
ホッと胸を撫で下ろし、秋月の母親へ視線を戻して、伯父さんの言葉を思い出した。十九年前にウイルスを発見したのは、秋月の母親で、それから、ウイルスの事しか頭に無くなった。
もしかすると、自分を認めてもらえなかったという気持ちから、憎しみが生まれ、秋月の母親をここまで狂わせてしまったのかもしれない。そう、思えてどうしようもなかった。




