三十九
朝、五時。ガタガタと音がしてドアが開き、史哉が部屋へ入ってきた。さぞ、叱責されることだろうと身構える。……が、何も言われない。一抹の不安を感じながら、顔を上げると笑われた。
「怒っていませんから、そんな顔をしないでください」
「一人で、行こうとしたのにか?」
「夕食の片付けをしている最中に、澪は絶対一人で行こうとするだろうから狸寝入りしていろと、彰に言われていたのですよ」
彰に、行動を読まれていたのか。ガックリと肩を落とせば、また笑われた。
「澪、僕達も同じなんです。僕は、彰や澪に傷ついて欲しくない。彰は、僕や澪に傷ついて欲しくない。そう考えれば、僕達の気持ちが分かるでしょう?」
分かり易く、解説してくれるのは有難かったが、昨夜の独り言を聞かれていたと思うと、顔から火が出るほど、居た堪れない。
「じ、時間もないから、玄関ホールへ行こう」
「ええ。貴重なお顔も見れましたしね?」
昨晩、準備していた物を纏め、慌てて部屋から飛び出す。これ以上、からかわれたら堪ったものではない。玄関ホールまで駆け降りて、ホッと息を吐き出すと視界の端に、拳が見えて、飛び退いた。
「チッ。避けたか」
否、避けなかったら、大怪我するから……。だけど、本気で殴る気がなかったのも分かった。きっと、避けれなければ、寸止めされていたと思う。
「それで、何故、一人で行こうと思ったのか、言え」
そこまで、読まれてたのか。
「秋月、どうするの?」
「女は、置いて行く」
やっぱり、そうなるのか。平然と、言ってのける彰を、キッと見る。
「閉じ込めたままか? もし、俺たちが帰って来れなかったら、どうするんだよ!」
「無論、鍵は開けていく。だが、連れて行く気はねえな。どうせ、早く片付ける」
鍵を開けると聞いて、少し安心した。食堂やストックルームには、まだ大量の食糧が備蓄されている。餓死する危険性は、ない。
「どうやら、解決したようですね。おにぎりと出し巻き卵を作りましたから、軽く食べてから出発しましょうか?」
クスクスと笑いながら、史哉がサービスワゴンを押して、玄関ホールへ現れた。
「随分と機嫌がいいな?」
「ええ。澪の恥らう姿を拝見させていただけたので機嫌が良いのです」
「ほう。確かに珍しいな」
「っ!」
まだ、その話を引っ張るのか! 視線だけを俺へ向け、ほくそ笑む彰を無視することに決め、テーブルに並ぶ朝食に、手を伸ばす。こういう時は、無視するのが一番いい。
おにぎりを口に運びながら、研究施設のことを考えていた。学院内で、唯一、未知の領域だ。研究に携わる人間しか入れない。そこら辺りは考えがあるが、問題は内部だ。
レベル4の施設や、所長室が何処にあるのか、分からない。生きた人間が居るのか、それとも生きた屍が居るのかも、だ。
それこそ、案内板でも貼ってあればいいが、無ければ片っ端から見て回るしかないのだろうか? 彰は、早く片付けると話したが、根気のいる作業になりそうだ。
史哉が淹れてくれたお茶で、残りのおにぎりを流し込み、出る支度を始める。二人も、どうやら食べ終えたらしい。食事の後片付けを始めていた。
「ここは、俺が片付けるから、二人は秋月の部屋へ行ってくれないか?」
俺まで行ったら、秋月の気分を害するだろう。二人は、快く了承した。
「洗い物はシンクに置いたままでいいでしょう。もう、使うこともありませんから」
「分かった。とりあえず、食堂に置いてくるよ」
自分の小皿と湯呑をサービスワゴンへ乗せ、食堂へと向かう。そういや、協力者の件が解決していなかったと思い出した。そもそも、学院内の犯行を、一体誰が行ったのか?
美咲さんの話を信じるなら、伯父さんは行っていない。
門を閉める事は、管理棟でしか出来ない。ならば、犯人は学院内に居る。俺の知らない第三者が、行っている可能性も視野に入れる必要があるのか。
そうなると、生存者をむやみやたらと信用できないなと、唸りながら廊下を進む。1人で悩んでも、埒が明かない。さっさと片付けて、二人と合流しよう。
サービスワゴンを調理場へ置き、廊下を急いで戻る。嫌な胸騒ぎがした。
玄関ホールへ戻っても、誰もいない。鍵を開けるだけなら、俺より先に帰ってきているはずだ。寮母室へ向かって、駆け出す。
二人と秋月は、寮母室に居た。但し、秋月の手に包丁が握られ、史哉が入口の手前で屈み込んでいる。
「史哉!」
「支障はありません。掠り傷です」
史哉の言葉通り、出血は少ない。
「腕を……」
「ええ、油断していました。部長が先に気付き、声を掛けられ咄嗟に退いたのですが、間に合わなかったようです」
刃先が、掠めたのか。
「僕より、部長を加勢してください。僕は、この有様ですので、宜しくお願いします」
良く見ると、史哉は止血点を手で押さえている。そして、文字通り副部長として会長に頼んでいることも……。意識を切り替えろと、リーダーとして動けと伝えているのだろう。
俺は、意識を切り替えるように息を吐き出し、史哉の言葉に答える。
「その言葉、了承しよう。此処は危険だ。動けるなら、医務室へ向かえ」
「分かりました」
俺は、振り返らず部屋へと入った。
室内は、荒れていた。無闇矢鱈と包丁を振り回すからだ。
「なんで私じゃなくて、化け物を選ぶのよ!」
入ってきた俺に気付いたのだろう。こちらへ包丁を向けてくる。気持ちを切り替えているからか、揺れ動くこともない。化け物……。言い得ている気すら、してくる。
「ふざけんな! 澪は――――」
「落着け、周防!」
「なっ! ……はい」
俺が、名字で呼んだからか、目を見開き……。そして、返事をした。
それで、いい。高等部の頂点に君臨する生徒会会長職。その権限を、俺は行使したことが未だなかった。理由は、至極簡単で、行使する相手が彰からだ。
『執行部部長は、生徒会会長の権限を行使された場合、否を通すことは出来ない』と、会則に示されている。意見が対立した場合、生徒会長の意見を優先する。しかし、俺と彰は、対立したことがない。だから、使う必要が無かった。
いきなり、従順に従った彰を見て、秋月も驚いている。
「な、なんなの? いきなり……?」
半年前に転入してきた秋月は、知らなくて当たり前かもしれない。
「秋月を取り押さえる為に周防も協力しろ」
「……承知しました」
今なら、秋月は俺に気を向けている。彰は、瞬時に秋月へ並び、その腕を捕まえると手刀打ちで手首を叩き、無力化した。そして、足元に落ちた包丁を蹴り飛ばし、その腕を捻って取り押さえる。女性に対しての行動ではないと分かっているが、腕を捕えている彰に、部屋にあったビニールロープを渡した。
「両腕を縛り上げろ」
「おい……それ――――」
「周防。俺は、拘束しろと言っている」
腕を離せば、また武器になる物を探す。そうなれば、彰が怪我をするかもしれない。それは、何としても避けなければならない。
渋々といった様子で拘束する彰から、秋月へと視線を向ければ、憎しみの籠った視線とぶつかった。
「親友に命令するなんて、随分と横暴ね。いい加減、居なくなってよ! 化け物のくせに!」
言われていることは、正しい。嫌がる相手を無理矢理に従わせる。それを使わせたのは、秋月自身だ。
「いい加減にするのは、てめえだ。バカ女! こんな入れ知恵すんのは、史哉だろ。会長権限なんか使わせやがって!」
「飯田は、何も言っていない。俺の判断だ」
そう。史哉は、会長として動く事を望んだだけで、権限の行使を使えとは、言葉にしなかった。
秋月は、生徒会会長としての俺の姿を知らない。だから、動揺することを見越して、俺が判断した。
「周防は、そのまま秋月を見張ること。俺は、飯田の様子を見てくる」
遣る瀬無い気持ちのまま、部屋を立ち去った。
医務室へ入ると、史哉が傷口の処置を済ませプロテクターフィルムを貼ろうと悪戦苦闘していた。
「飯田、それを渡せ。俺が貼る」
「っ!……はい。お願いします」
傷口に合わせ、程よい大きさに鋏でプロテクターフィルムを切り取って行く。
「無理を……させてしまった様子ですね。とても、哀しい目をなさっていますよ?」
その問い掛けに答えることなく、作業を進め、史哉の腕へ貼り付けていく。今まで、使ったことの無かった権限の行使。逆に、使わなかったから、今まで通りの付き合いが出来ていたと思い知らされる。
「周防には、秋月の拘束を命じた。着替えを済ませ、寮母室へ向かえ」
「……権限の行使を使ったのですか?」
彰は、無力化した相手の拘束を嫌う。だから、気付いたんだろう。
「動揺させる為に使った。秋月は、俺の素の姿は見ていても、会長としての俺は見たことがない」
これが、本来の会長としての役割だと割り切れたなら、どんなに楽だろうか。
「彰は、分かっていると思いますよ? 着替えなら、後からでも構いませんので、一緒に寮母室へ行きましょう」
史哉が立ち上がり、医務室を出るように、ソッと背中を押す。
「それと、呼び方が名字に戻っておられるので、史哉に戻してくださいね? 彰のこともですよ?」
ハッと顔を上げ、史哉を見れば、微笑みを向けられる。
「貴方は、高等部のリーダーなんです。堂々と命令してくださって構わないのですよ」
「……同じ言葉を、彰にも言われたことがある」
「僕にも、偶に言っていましたよ。澪が頂点なのであって、俺は澪を支える柱だって。澪には、身体に置き換えた方が、分かり易いかもしれませんね。身体は、大脳に制御されているでしょう? 大脳が機能停止してしまえば、身体は動かせませんからね。僕らは、云わば脳幹の役割を果たしているんです」
言いたいことは分かるけど、だからと言って命令するのも、違う気がする。答えがだせないまま、寮母室へ着いた。




