三十四
夢を見ていた。だけど、今日は何時もの悪夢と違っていた。
『澪、何時になったら、貴方に会えるのかしら。とても、楽しみなのよ。和彦さんに似てるのかしら? それとも、私かな? ねえ、澪は、こんな形でしか産めなかった私を恨むかしら? とても辛い思いをさせてしまったから、怒るのかしら? それとも、赦してくれる?』
空っぽの培養機に語り掛けるように話す美咲さんは、真っ白な白衣のまま微笑んでいる。そして、呼ばれているのは……。俺の名前?
『そうよ。澪、貴方の名前』
え……? 驚いて、美咲さんを凝視していると、ゆっくり此方へ振り返った。
『ずっと、怖い想いをさせて、ごめんね。澪は、見えていたのよね? だから、苦しんでいたのよね?』
見えていた? 苦しんでいた?
『どうしても、子供が欲しかった。でもね、病気で子宮摘出手術を受けた私では、子供が産めなかった。だから、子宮の代わりになる器を作ったの。そして人工授精で芽生えた命を、この培養機に埋め込んだ。そして、生まれたのが澪なの。澪が見ていた悪夢は、この中に居た頃の記憶……』
そう言って、再び美咲さんは培養機へ振り返った。俺の、記憶。美咲さんと和彦さんが亡くなったのは、現実で起こったこと。そして、目の前にある空っぽの培養機から生まれたのが俺……?
『確かに、培養機で育ったかもしれないけれど、澪は私と和彦さんの子供なのは真実よ』
巨大な培養機を見つめながら、ふと思った。此処に居る美咲さんは、悪夢に出てくる美咲さんじゃない。意識は、しっかりある。普通、夢で会話が出来るだろうか? ……俺、死んだんだろうか? 沢山の疑問が生まれてくる。
『澪は、死んでないわ。今は、まだ……』
俺の疑問を解いてくれたのは、またしても美咲さんだった。
此方へ身体を向けた美咲さんが、俺に近寄ってきて数歩手前でピタリと止まった。
『此処が、常世と現世の境界線。三途の河原と言った方が分かり易いかしら。私は、澪に伝えたいことがあって、此処に来たの』
伝えたいこと?
『私も和彦さんも死んでしまったけれど、後悔はしてない。貴方が生きていてくれたから』
俺が生きていたから?
『そう、澪が。私たちの大切な息子が生きていてくれたから。確かに、私たちがしたことは、倫理的に間違ったことだったのかもしれない。でもね、それでも貴方という存在が欲しかった。澪には、大切な人が居る? 彼女とかじゃなくてもいいの。親友とか、仲間とか、絶対に生きていて欲しいという存在』
大切な人……。仲間。
史哉。そして、彰……あっくんが、生きててくれて、嬉しかった。
そうか、美咲さんの生きていてくれたからという言葉は、そう言う意味なのか。
『居るのね。嬉しいわ』
ふんわりと笑う美咲さんは、とても綺麗に見えた。
『なら、此処に居ては駄目よ。現世に帰らなきゃ、お友達が悲しむわ』
悲しんでくれるのかな?
『澪のお友達は、今、とても悲しんでいるし苦しんでいるわ。それに、このまま死んでしまったら、きっと常世でお説教されるわよ? 必ず生き残れと、言われたでしょう?』
東條さんとの約束の事だ。美咲さんのお兄さんは、何故、こんな酷いことをしたの? なんで、秋月さんの両親から、盗む必要があったんだ?
『違うわ。兄さんは、やってない。元々、アレは兄さんが見つけた物よ。だって、培養機が完成したのはアレのお蔭なの。そして、澪が生まれたの。でも、兄さんは優しい人だから、苦しんでるわ。今の澪の様に……』
やってないなら、どうして。
『これ以上は、今、言っても意味がないの。知りたいなら、兄さんに直接聞いて。そして、兄さんを救って欲しい。兄さんは、全て自分の所為だと思っているから……。澪の口から、伝えて。私と和彦さんは、恨んでないって、幸せだったって……』
部屋や美咲さんの姿が、徐々に朧げになっていく。
『澪、これだけは覚えていて。お父さんも私も貴方のことを、とても愛しているわ』
全てが眩しい光に包まれていく。まだ、話したいことがある。そう思って手を伸ばしたのに、美咲さんは微笑んだままだ。
「っ。美咲さんは、俺の母さんなんだよね? 俺、恨んでないから。だから、父さんの和彦さんにも伝えて――――」
伝わったかは、分からない。辛いことの方が多かった。どうして、俺には両親が居ないんだと悲しくなったことだって何度もある。だけど、恨んだりしてない。それだけは、真実だから。
夢から目覚めて、一番最初に目に映ったのは、役員寮の玄関ホールにあるシャンデリアだった。霞の掛かる頭で、最後に居た場所が大学部だったことを思い出す。今度は、ちゃんと覚えている。
何の遮りもない場所で、意識を失うと云う行為は、死に直結している。でも、あの時の俺は、もう体を動かせるだけの気力も体力も失っていた。
そして、雨が降りしきる中……遠い昔の記憶が甦った。幼い頃の俺は、彰のことをあっくんと呼んでいて。あっくんが、生きていてくれた。もう、それだけで、もう、いいと思えた。心残りだったのは、忘れててごめん、ずっと、傍に居てくれてありがとうと伝えられなかった事……。
美咲さんの言葉に共感できたのは、そのことがあったからかもしれない。




