三十三 周防 彰
「澪っ!」
グラリと傾いた身体を、地面すれすれで受け止め、口元へ耳を寄せる。呼吸は、ある。
史哉も、目の前で澪の腕を取り、脈を取ると身体の確認を始めた。
銃声が鳴り、正直に言えば、大学部へ入るのを躊躇っていた。
如何せん、武器の威力が違い過ぎる。それこそ、戦闘になれば俺達に勝ち目はない。
それに、銃声を聞きつけて、生きた屍や狂乱者たちが集まりつつある。実際、二階、三階に見えた人影が右端の階段を上へ上がっていく。
もし、大学部に居るのが自衛隊や警察だったとしても、機転の早い澪なら容易く近づく筈がない。俺より先に、口封じの可能性に気付くだろう。
「……奇妙じゃありませんか? 何故、発砲音が二発で止まってるんでしょう? かなりの数、上がっていきましたよね?」
じっと大学部の建物を見ている史哉が口を開く。確かに、あの後、銃声は聞こえない。
「それに、仮に救助が来たのなら、救助隊の車がある筈ですよ」
言われて門の方向を見渡すが、それらしき車は見当たらない。それ以前に、カフェに居て、その存在に気づかないのは可笑しい。
「実験体に気付かれないように、見えない位置へ停めてるのかもしれないじゃない」
「では、何故発砲したんでしょうか? 音に反応すると知っていて、銃を使いますか?」
史哉は、大学部へ向けた視線を逸らさず、何かを探すように食い入るように見詰め続けている。
「何を探しているんだ?」
「奴らの動きを見ていたのですが、先程と少し行先が、変わりました。銃声が聞こえて、僕達が建物を飛び出した時は、右端に向かって進んでいましたよね? でも、今は中央の階段を上がっているんです。……もしかしたら、誰かが、中を移動しているのではないでしょうか?」
誰かがって……。
あれだけの数を相手に突破しようってのか? 無茶過ぎる。
目を凝らし史哉の言う人物を探そうとするが、此処からでは遠すぎて見えない。生きてる人間が居るなら、助けたいと思うが……。
じっと、俺の返事を待つように押し黙る史哉に、諦めて呟いた。
「クソッたれ。ちゃんとサポートしろよ」
「勿論です。彰のそういうところが好きですよ」
絶対、嘘だ。史哉はクスクス笑いながら、女に一番後ろへ回るよう促し、隣に並んだ。もう、笑ってはいない。真剣な表情で、言葉を紡いだ。
「背中は、僕が護ります」
俺達は、用心して右端から大学内に踏み込んだ。一階、二階……三階まで上がり、絶句した。
廊下一面、酷い所では天井にまで、どす黒い血が飛び散り、腐肉の破片が至る所に散乱して、遺体が点々と転がされている。余りに凄絶な有り様に女が意識を失い掛け、慌てて支えてやった。
「これは……。流石に、僕でも吐き気を催しますね」
「確かにな」
どういうやり方をすれば、ここまで酷く出来るのか。それ程に酷い。
「……これをやった人間は、正気の状態ではないかもしれません」
青褪めた顔で、床に散らばる遺体を見ている。
「こんな短時間で、これだけの数を始末すると云うことは、身を守ることを捨て……ひたすらに、向かい来る生きる屍を薙ぎ倒し続けていたということです。到底、無傷ではいられないでしょうが」
「狂乱者とは違うということか」
「抑々、狂乱者は武器を使いませんよ? ただ、そうなるのも時間の問題かもしれないと考えています」
そう言われて、遺体に目を向ける。確かに、足が変な方向に曲がっていて、首にも抉られたような痕が付き、辛うじて皮1枚で繋がっている状態のものが目立つ。……待て。そんなやり方を誰でも出来るのか?
「……澪、なのか? 史哉は、これをやったのが澪だと言いたいのか? 澪が、狂乱者に……彼奴らの仲間になるって言いたいのかっ!」
「彰、落ち着いてください。僕だって、澪だと思いたくありません。ただ、今の澪は正気の状態じゃないんです。僕たちのことを認識できるかさえ分からな――――」
「化け物よ。こんなの、人間が出来ることじゃないわよっ。もう十分でしょっ。お願いだから、彼奴なんか探さないで、逃げること考えてよっ!」
意識が戻った女が、喚く様に訴えてくる。それでも、俺は…………。
『ねぇねぇ、あっくん』
『ごめんなさい、ぼくのせいだ。ぼくが、あっくんについていきたいなんていったから――――』
『すぐに、おばちゃんをよんでくるから、ぜったい、よんでくるからっ。ぜったいにたすけるから』
……。遠い昔の記憶。意識を取り戻した時、もう、澪は姿を消した後で、お袋に尋ねても答えて貰えなかった。そして、やっと見つけたと思ったのに、澪の記憶は失われていて……。
「悪い。逃げるなら、二人で逃げてくれ。俺は、どうしても澪を置いて行くことは出来ないんだ」
俺に寄りかかっていた女を立たせ、首から鎖付きの鍵を外し、胸ポケットに入れていた図面と共に史哉の手へ、しっかりと握らせる。
「……彰?」
「澪を、奴等側に行かせるぐらいなら、何をしてでも俺が止める。たとえ、俺の命を懸けることになったとしても、あちら側へ行かせたりしねえ」
それからは、階下へ向かいながら、必死で澪を探した。
血塗れの床を辿り続け、漸く見つけた澪は、ボロボロの状態で地面に座り込んで、天を仰ぎ見ていた。澪を挟んで、反対側には史哉と女の姿が見える。二人も探していたんだろうか?
そして、澪の呟きが聞こえてきたんだ。
『東條さん……、俺の伯父さんの所為でこんなことになってるのに、本当に生きてて良いのかな?』
『俺の居場所……。此処にしか、無かったんだ。帰る場所も……もう、無いんだ。斉藤の事、大嫌いだったけど……俺達の知らない色々な情報、沢山知ってて……。荒田は、そんな俺や斉藤を上手く纏めてくれてて…………。史哉が、名前、呼んでくれて嬉しくて…………。彰……、ごめん。やっと、やっと思い出せたよ。けど……もう、無理っぽい……や』
まるで、懺悔するような呟きに、胸が痛くなった。
「……怪我は、無いようです。今すぐ、寮へ運んで身体に付いた血液を洗い流しましょう。そこまでは、僕が澪を運びます。貴女も異存は有りませんよね?」
確認を済ませた史哉が、そのまま澪を抱き上げた。女は、無言で立ち尽くしている。
「此処までの道にいた奴等は、始末してきましたが、万が一と云うことがあります。戦闘は、彰に任せても大丈夫ですよね?」
俯いていた史哉が顔を上げ、俺を見る。その目は、赤くなり涙で濡れている。
「分かった。もし、襲われても指一本触れさせねえ」
「お願いします」
「……待って、飯田君。貴方の武器を貸してちょうだい。私も、援護するわ」
その言葉に、飯田が足を止めた。
「信用できると思いますか? 全ての鍵が揃っている状況で、武器を手渡せば、貴方は、僕たちに武器を向けるかもしれない……と考えるとは思いませんか?」
「そんなの、気付いてるわよ。何もなければ、寮に帰り着いて、ボウガンを返すわ。信用してなんて、今更言わないわ。そいつのことは憎いし、鍵だけ取って置いて行けばいいのにって、今も思ってるもの。只、私は自分の生存確率が下がるのを黙って見ていられないだけよ。周防君は、飯田君とその子は守っても、私は守ってくれないもの。それなのに、私は無防備って、随分と酷いことをするのね。こんな棒を渡されても、使い方なんか知らないわよ」
女の言葉は、辛辣だが本心だと思えた。指摘された部分も、言われるとおりだ。俺は、既に女を護るべき対象として見ていない。
「貴女の言い分は、分かりました。ですが、認めるわけにいきません。貴方は、購買部で彰を試し、僕も大学部で試した。二度あることは三度ある。ああ、貴女には、One loss brings another.と言った方が分かりやすいでしょうか。幾ら、言葉を並べたてられても、信用できないのですよ。彰、進みましょう」
別行動をしている間に何があったのか知らないが、女は俺にしたようなことを仕向けたのだと、史哉の言葉から感じ取れた。
「離れないように、ついて来いよ」
口惜しげに、史哉を見る女を背に、俺達は移動を始めた。




