三十一 周防 彰
座り込んでいる女は放ったまま、俺は史哉に澪の話を始めた。
「夢の内容までは、俺から話す事は出来ねえ……。それだけ、壮絶な内容だ。その夢を、幼い頃から見続けている。それを見た日は、体調が悪くなる」
その夢と学院でのいじめが、じわじわと澪の精神を蝕んでいった。そして、中一の夏休み、養父母から捨てられた事で、完全に崩壊した。
他人を拒絶する。それが、澪の標準装備になった頃、違和感に気付いた。澪の姿を食堂でも学食でも、見掛けない。疑問を感じ、暫くの間、澪の行動を監視していた。
それで知れたのは、昼食は栄養補助食品。朝夕は、寮母にパンを貰い、部屋へ持ち帰る日々だった。
寮母が不審を抱かないように、昼食を多めに食べているから平気だと、嘘の話までしていた。結局、問い詰めると貰ったパンも、ほとんどがゴミ箱行きだったらしいが。今更だが、その頃の澪は、摂食障害を起こしていたのかもしれない。
夢を見た日は、食事を取っても吐く。それを聞き出せたのは、中二になったゴールデンウィークの最中。
今でも、目を放せば栄養補助食品で済まそうとする。だから、時間が取れる時は、澪と食事を取るようにしていたと話すと史哉は、盛大に溜息を吐いた。
「以前から食が細いと常々思っていたのですが、そんな理由があったのですか」
「他にも理由があるんだが、悪いが勝手に話せる内容じゃねえんだ。それより、この女、どうする気だ? まだ、連れて行くつもりなのか?」
下に目を向け、史哉へ問い掛ける。
「勿論、連れて行きます。どうやら、真相を知る鍵にもなりそうですからね」
史哉の女を見る目が、険しいものへと変わる。事前に知っていたとすれば、この女も共犯者の一人だ。
「最後に、その政府の方から連絡が来たのは何時だったか、覚えていますよね?」
「……一週間前の早朝に、今日から楽しいショータイムが始まると書かれたショートメールが来たの。だけど、何も起こらなかったから、唯の悪戯かと」
一週間前? どういうことだ?
「解せませんね。門が閉まったのは、五日前ですよ?」
史哉が視線を俺へ向け、問いかけてくるが、俺にも理解できない。こういうのは、澪の得意分野で、俺は専門外だ。此処で、考えていても埒が明かない。兎に角、澪を見つけなければ。
「俺達は、先に玄関ホールへ戻る。十分で支度を済ませて出て来い。来なかった場合は、引き摺ってでも連れて行くから覚悟しとけ」
史哉に目配せをして、玄関ホールへと続く廊下を歩き出す。史哉も無言で、後ろを歩いてくる。
何としても、澪の潜伏先を見つける。中等部を除外しても、学院内は広い。闇雲に探しても、見つけるのは難しい。
潜伏先として考えられるのは、高等部の生徒会室。カフェ、購買部の建物。大学部。そして、研究施設。近くから探すしかない。
玄関ホールで、持って出る物を確認する。手荷物は、木刀のみ。残りは、リュックと制服のポケットに詰め込む。史哉も、持ち物の確認を終らせていた。
「……準備、出来たわ」
手にクロスボウを持ち、リュックを背負った女が、玄関ホールへ姿を現す。女へ声を掛けのは、史哉が先だった。
「そのクロスボウは、置いて行っていただけますか? 正直な話、今の貴女を、信用するのは不可能です。共に戦う仲間だろうと、簡単に裏切りそうですしね」
「っ! そんな……、私はっ」
「知らなかったと、貴女は言いましたが、学院内で死に直面するような出来事が起こることは承知していたのですよね? それでも、今回の件で大切な友人を亡くした僕に、信用しろと?」
史哉が女に詰め寄り、その手から引っ手繰るようにクロスボウを取り上げ、壁に投げつける。壁の飾り棚にあった花瓶を直撃したクロスボウは、派手な音を立て、床に転がった。
「澪との約束は守ります。貴女を殺したりしません。ただ、信用もしません。これだけは、知っておいてください」
史哉は、俺の所まで戻って来ると、ソファに置いた木刀を手に取った。
「彼女には、これを持たせます。身を守るだけなら、これで充分出来ますし、万が一、彼女に襲われたとしても容易く避けられますから」
まぁ、妥当な判断だろう。クロスボウを誤射されたら、命に係わる怪我になり兼ねない。軽く頷くと、史哉は彼女を呼び、木刀を手渡した。
「俺が先頭、史哉が最後。てめえは、間に入れ」
女を一瞥して、玄関ホール出入り口を開ける。身体に纏わりつくような生温い空気に、腐臭が混じり何とも言い難い雰囲気を醸し出している。
役員寮から特別等までは、図書館を挟むが、そこまで距離は無い。
だが――――。
「これは……」
史哉も、女も絶句している。この俺でさえ、戸惑った。
壮絶な戦いの跡……。
至る所に、首無し遺体と切り取られた、否、刈り取られたと言う方が相応しい体の一部が転がっている。転がっているのは、頭だけじゃない。脚も多く見られる。脚を刈り取り、転んだ相手の頭を……。そこまで考えて、背筋がゾッとなった。
「これ……彼奴が、やったの? 嘘でしょ?」
確かに、腰に下げていた剣鉈は持って出ているが、怖がりの澪に出来るだろうか?
そこまで、考えて記憶を失くす直前の澪を思い出した。心、此処に在らず。そんな状態で斉藤たちを始末していた姿を見て、戦慄が走った。そのまま、俺の知っている澪が、消えてしまいそうに思えたからだ。
「……結論を出すのは、後でいい。今は、見つけ出すのが先だ」
口に出して、自分自身も言い聞かせる。勝手に出て行ったことを叱って、殴り飛ばしてやらなきゃ気が済まねえ。
血痕を辿り、行き着いたのは、職員棟。生徒会室のある棟だ。入口を開け、中へ進む。そこにも、首無しの遺体が転がっていた。血痕は、二階へ上がる階段へと続いている。
後ろの二人に目配せをして、階段へ向かう。そっと、音を立てないように上り、角から廊下を見渡せば、四体の首無し遺体が転がっていた。血痕は、更に上へと続いている。三階に在るのは、生徒会室、大会議室、執行部室のみ。
その内の、執行部室は、俺の手元にある。生徒会室の鍵を持っているのは、澪だ。
はたして、血痕は生徒会室へ続いていた。血塗れの鍵が廊下に投げられ、扉も開かれている。しかし、探し人である澪は、姿を消した後のようだった。
「仮眠室のシャワールームに、血を洗い流した跡とゴミ袋に入れられた制服がありました。それと、テーブルに、これが……」
差し出されたのは、携帯無線機。
最早、ここに辿り着くまでの首無し遺体を作り出したのは、澪だということに疑う余地もない。
だが、どうやっても普段の澪と、首無し遺体を作り出した澪が結びつかない。
「血を洗い流す。と、いう行動を取っているのならば、狂乱者になっているわけじゃありません。ベッドを使った形跡もありました。きっと、昨夜は此処で過ごしたのでしょう」
俺の不安を感じ取ったのか、史哉が声を掛けてくる。
「それに、澪の身体の柔軟性を極限まで引き出せれ……。いいえ、もしかすると澪だから出来る倒し方なのかもしれません」
澪だから出来る? 身体の柔軟性?
「どういうことだ?」
「役員寮の屋上で、澪と遣り合いましたよね。その時の動きを思い出してください。武道を嗜んでる彰の動きを、澪は確実に読んで避けていたんです。澪を鍛えたのは、彰ですよね? 気づいてなかったのですか?」
「澪の動体視力が良いのも、動きが素早いのも元からだ。いつも、ちょこまかと逃げ回りやがって……って、それか」
俺の動きで慣らされている所為で、澪にとって生きた屍や狂乱者の動きは、緩慢な動作に見える。だから、避けることは容易いことだと言いたいのか。
「それと、戦っている時の澪の精神状態は、防衛本能で……一番近い言い回しをするなら、通常の意識が失われ、所謂トランス状態になるではないでしょうか。斉藤たちを始末した時、余りに機械的な……感情の無い眼をしていたので、気に掛かっていたのです。それならば、辻褄が合いませんか?」
確かに、辻褄は合うが……。
「フッ、アハハハハハハハ」
生徒会室の入口で、話を聞いていた女が高笑いする。
「そんな都合のいい話が、本当にあると思ってるの? 今頃、彼奴は生きた屍の仲間入りしてるわ。探しても、無駄なだけよ」
「貴女も、本当に余計な減らず口を叩く方ですね。澪の実力を見たこともない貴女が、何を語ると言うのですか? 大体、貴女が追い出したりしなければ、これ程、酷い状況に追い込まれることは無かったのですよ!」
「彼奴が勝手に出て行ったんじゃない! そんなの、私の所為じゃないわ」
二人の言い争いに、頭の筋が切れた。近場にあったパイプ椅子を蹴飛ばし、二人へ視線を遣る。
「……勝手にやってろ」
そのまま、生徒会室を出て、階下へと降りる。下らねえ言い争いに付き合う義理は無い。苛立ちを撒き散らしながら、職員棟を出て運動場へ足を向ける。
慌てて後ろを着いてきた二人は無視した。確認する限り、動いている奴は居ない。そのまま、転がってる首無し遺体を見ながら、今度は高等部の出入り口へと向かった。
「ちょっと、待ちなさいよっ。そんなに早く歩かれたら、着いていけないわ」
後ろで喚き声を上げる女に、思わずため息が漏れる。
「これ以上、邪魔してみろ。てめえから、ぶっ殺してやる。言っておくが、史哉はパートナーであって、ストッパーじゃねえ。俺を止められるのは、澪だけだ」
「っ!」
上から見下すように言ってやれば、女の息を飲む音が聞こえた。史哉は連れて行くと言ったが、俺から見れば、邪魔で仕方がない。
この女の所為で、史哉も冷静になりきれていない。まあ、それは、俺も同じことがいえるか。
「精々、大人しくしてるんだな。史哉、お前も自分を省みろ。辛いのは分かるが、現状で心を乱すな。俺も、気をつけるよう努力する」
「はい。己の至らなさを痛感いたしました。以後、気を引き締めます」
この学院の執行部は、甘くねえ。
生徒会と執行部、普通の学校なら片方しかないところが大概だろう。だが、この学院では両方が共同で運営する。生徒会が表なら、執行部は裏だ。簡単な例え方をすれば、警察だな。その分、厳しさでいけば、執行部の方が厳しい。
史哉が頭を上げるのを見届けると、今度は、史哉の方から声を掛けられた。
「あの三体の遺体ですが、衣服の血液が湿り気を帯びていました。高等部の敷地を出たとしても、まだ遠くには行っていないかもしれません。それと、これは推測ですが、食糧を探していると思います。幾ら澪が小食でも、水だけで一日過ごすとは思えませんからね」
数メートル後ろにある首無し遺体に目を向ける。確かに、乾燥していない。此処まで来て、校内に戻るとも思えない。恐らく、史哉の推測が正しい。
「……と、なると行き先は、カフェと購買部の建物か」
「そうなりますね」
フェンスの先に見える建物。
その辺りに、奴等の蠢く姿は見受けられない。建物の周りにある遺体も、恐らく、首無し遺体だろう。そのまま、視線を駐車場へ向ける。菊野先輩たちが、拡声器で言っていたバスが見えた。詮無いことだと分かっていても、自分の無力さに辟易となる。静まり返る学院内を、無言で進み出せば、二人も動き出した。
五分足らずで、カフェに辿り着いたが、澪の姿は無い。大学部の方も、静まり返っている。但し、見える範囲での話だ。大学部は大学院と大学が同じ敷地内にあり、学院内で一番の敷地面積を取っている。
カフェの店内に張られている学院内見取り図を見てみるが、大まかな説明だけで、役に立ちそうもなかった。他にパンフレットも置いてあるが、それにも詳細は描かれていない。
「史哉。そっちは、どうだ?」
「使えそうな物は、ありませんね。頼まれた物は、幾つか見つけられましたが……。これだけ、荒らされている中から探すのは、流石に難しいです」
肩を竦め、足元へ目を向ける史哉に伴うよう俺の視線も床へ行く。散乱した雑誌や食品、ガラスの破片や遺体……。高等部は、生徒会のお蔭で生活物資に事欠くようなことがなかったが、他は、そうでもなかったらしい。
現に、建物内にある遺体の殆どが、感染者じゃない。物資の取り合いで、命を落としたようだ。
「しかし、携帯の簡易充電器とライター。ソーイングセットは分かるんですが、ビニール袋とビニールロープ等は、何に使うんですか?」
まあ、普通はわからないよなぁ。俺も、子供の頃お袋に叩き込まれたサバイバル術が、こんな所で役に立つとは思いもしなかった。
「外に出てから、使うんだ。使い方は、追々分かる」
「見つからないなら、もういいわね。私、移動する前にトイレを済ませたいの。行っていいわよね?」
購買部の陳列棚を軽く物色していた女が顔を出し、噛み付くように口を開く。腕時計を見れば、三十分程経っていた。
「そうだな。これ以上、探しても意味がねえだろうし。史哉は、見つけた物を纏め……って、勝手に行くんじゃねえっ」
話している間に、女は購買部の奥にあるトイレに向かっている。なんで、此処まで協調性が無いんだ! 壁に立てかけていた木刀を取って、女の後を追うとトイレの入口で立ち止まっている姿が見えた。
「お――――。くそっ!」
声を掛けようとしたが、トイレからボロ布を纏った腕が突き出されているのが目に映り、駆け出す。女の手に木刀は無い。大方、カフェにでも置いてきたんだろう。
「退けっ!カフェまで逃げろっ」
女の手を引き、俺の後ろへ押し遣る。その間にも、生きた屍は俺達に近寄ってきた。相手にしてみれば、俺達は美味しい餌だ。そりゃ、逃がしたくないよな。
「っと、生憎、餌になる気は、更々ねえんだよっ!」
勢いをつけ、思い切り蹴り飛ばす。生きた屍は、女性だったこともあり通路の先へ飛ばされ、起き上がろうと足掻いている。
俯せになったところで、背中を足で踏み付け、木刀を頭へ思い切り振り下ろす。
確かに、この方法なら、澪にも出来ると納得してしまった。背中側なら、腕も届かない。そして、何より相手の顔を見ずに始末が出来る。如何にも、澪らしい方法だ。
「ふーん。やっぱり手際もいいし、上手いものね」
木刀に付いた血肉を近くにあった雑巾でふき取っていると、女がしたり顔で近寄ってくる。この女、態と先に行ったのか?
「てめえ……。何時、アレに気が付いた?」
「何の事? ああ、生きた屍? まさか、トイレに居るなんて思わなかったのよ。我慢してたから、急いでたの。来てくれて助かったわ。誰かさんの所為で、私の使える武器なくしちゃってるしね。じぁ、トイレ済ませてくるわね」
ドアの向こうへ消えていく姿を見届け、振り返ると何時の間に来たのか史哉が立っていた。女は、史哉が居ることを分かっていて、あんな言葉を吐いたのか。とことん、性悪だな。
「女の言ったことは、気にするな。お前が取り上げていなければ、俺がやっていた」
「すみません。僕の――――」
「所為とか言うなよ? 史哉も澪も、自分を責め過ぎだろ。頼りにしてるんだぜ、参謀」
ニッと笑って見せれば、硬くなっていた史哉の表情が何時もの微笑みを湛えて見せた。
「そう……でしたね。参謀の名に恥じないよう務めましょう。頼まれていた物以外に、外へ出た後、使えそうな物を見繕って居たんですが、思った以上に嵩張ったので、登山用のリュックに自分の荷物と一緒に詰め直していました」
何を詰め込んだのか、パンパンに膨らんだリュックを通路の入口から持ち出した。
「そんなに、何を詰め込んだんだ?」
「角砂糖、塩、下着と新品のシャツ、それとレジから現金を失敬してきました。ここから一番近い町まで、徒歩でどれくらいかかると思ってるんですか。今、持っている食糧では、到底足りません。それに、血塗れになった服で町に入れば、警察を呼ばれてしまいます。現金は、幾らでも必要になるでしょうから」
確かに、その通りだが……。
「他にも登山用のリュック、あったのか?」
「ええ、最新式の新品が多々ありましたよ。きっと登山部が注文したのでしょうね。彰も使いますか?」
俺が言い出すのを見越していたのか、空のリュックを取り出す。女がトイレから出てきたのが視界を掠めたが、放置して荷物を移していく。史哉のリュックからも移し入れ、重さを確認する。この程度なら、問題なく動けるだろう。
「これなら、下水道に入る前に役員寮に寄って持ちきれなかった荷物が入れられるな」
「そうですね。だいぶ時間が経ちましたし、大学側を――――」
ガウゥン ガウゥン
「っ!」
立て続けに鳴った音に、慌てて外へ出る。聞こえたのは大学部の方向だ。
「彰。今の音は、銃声ですよね?」
「たぶん、な」
「もしかして、助けが来てるの? 私達、助かるの?」
女が問い掛けるように声を発したが、俺も史哉も答えられなかった。
この国で、銃を扱う人間は限られている。警察、自衛隊、テロリスト。助けるならばいいが、殺害される可能性だってある。
そう、これが国の実験だとすれば……口封じの為に、殺される危険性が極めて高くなるんだろう。




