二十九
額に、ひんやりとした感触がして目覚めると、心配そうに俺の顔を覗き込んでいる女性と目が合った。
「良かった。目が覚めたのね」
俺は、ベッドに寝かされていて、起き上がろうとすれば、まだ動かない方が良いと止められた。
購買部の前で、後ろから殴られたのは覚えているが、ここは購買部やカフェの建物じゃない。
「ここは、大学部の医療室よ。私は新堂 奏美。貴方を気絶させたのは、東條 拓哉。本当に、ごめんなさいね」
「……あの?」
二人の姿は、迷彩服。どう見ても、自衛官だ。そんな人達が、何故、学院内に居るのか。救助が来たのだろうか? 聞きたい事は山ほどあるが、とりあえず女性の話を聞くことにした。
「私達にも、分からない事ばかりなのよ。一週間前に、ここの近くへ派遣されて、この学院を包囲すること、自衛官以外の人間は、全て抹殺するように辞令が下りたのよ。皆、納得が出来ないまま、ここへ連れて来られて、国民を銃殺するような事は出来ないと上官が反論した途端、上官は政府の高官に撃たれたらしいわ。私は、医療班で離れた場所に居たから騒ぎ自体は見ていなかったのだけど……」
一週間前……。感染が起こる前の時点で、自衛隊が動いていた?
「そこからは、俺が話す。その前に、悪かった。まさか、生きてる人間が居るなんて思いもしなかったんだ」
隣のベッドに座っていた男性――――東條さんが立ち上がり、俺に頭を下げてきた。
「あ、あの頭を上げてください。こんな異常な状況だったら、俺も同じことをしていたと思います。それより、何があったんですか?」
頭を上げた東條さんの顔色は、かなり悪い。
「ああ、本当に済まない。話の続きだったよな? 俺は、上官の斜め後ろに立っていたんだが、その高官が注射器の様な物を上官の首に刺して、直ぐに車へ乗り込んだ。……俺達は、足を撃たれた上官を医療テントへ運ぼうとしたが、その上官が正気を失い、部下の一人に噛み付いたんだ。引き剥がそうとした人間にも噛み付いて――――」
「噛まれた相手も、同じようになった。違いますか?」
俺が先に答えると、驚いた様子で、二人とも凝視してくる。痛みも和らいできたのもあって、起き上がる。
「名乗るのが遅くなり、すみません。高等部生徒会会長の谷崎 澪です。見られた後かもしれませんが、学院内でも同じ事が起こっています」
俺は、この数日で起きた事や体験した事をある程度、二人に聞かせると最後に研究施設の話をした。
「その高官が打った注射器の様な物は、恐らく学院内で感染が拡大しているウイルスと同種の物だと思われます。その高官が単独で行ったのか、国が関与しているのかは分かりませんが、自衛隊まで動いているとなると、俺達がモルモットにされていたのは当たってしまったんですね」
こんな推論、当たって欲しくなかった。こんなことの為に、どれだけの人間が犠牲になって……。悔しくて、でも怒りの矛先を二人へ向けるわけにも行かなくて、俯くしかなかった。
「……噛まれたり、彼等から傷を負わされたり、血液や体液が傷口に付着しても感染すると言ってたわね? その生きた屍になるのに、時間は掛かるのかしら?」
頭上から降ってきた声に顔を上げれば、二人とも困ったような顔で俺を見ている。
「あ……。執行部部長の話では、頸部を噛まれた生徒は、その場で生きた屍になったそうです。血液が傷口から入った生徒は、時間が掛かりました。凶暴性が強く、暴れ回るので俺達は狂乱者と呼んでいましたが、それが足だと発症するまで、若干、時間が掛かりました」
斉藤が、発症するのが遅かったのは、怪我を負わされたのが足首だったからだ。それで、別室へ隔離された。
「それが、どうかしたんですか?」
「それじゃ、谷崎君は早く移動させた方がよさそうね」
どういうことだ? もしかして、気絶している間に噛まれたのか? 慌てて身体を確認しようとすると東條さんに止められた。
「お前は、何ともなってない。感染しているのは、俺達の方だ。俺は、外で仲間を止めようとした時に、新堂は学院に入ってバスの上に居た女子を助けようとした時、怪我を負っている。もう、間に合わないと止めたんだが、止めれなくてな」
「そんな……」
新堂さんへ視線を向けると肩を竦めて、東條さんを見た。二人とも、微笑んで俺へ視線を向けてくる。
「どうして……どうして、笑って居られるですか? 怖くないんですか? 感染したら、死ぬんですよ!」
自分の声が、震えているのが分かる。
「そうね、怖くないと言ったら嘘になるかもしれないわね。でも、私達は、谷崎君を助けられたわ。それにね、仲間たちの所に逝けるなら、それも悪くないと思うの。私、いっぱい殺しちゃったから、謝って回らなくちゃならないわね」
「あいつ等だったら、心配することないと思うが。返って、殺してくれて、助かった。ありがとうって言いそうだしな。それに、間違えて殴ってしまったが、一人は助けられたんだ。良くやったと上官も誉めてくれるさ」
意味が分からなくて、二人の顔を交互に見遣ると、感染した自衛官を死者へ戻す為に、この一週間、たった二人で戦い続けていたのだと答えてくれた。
「俺達の小隊と新堂達の小隊は、合同訓練を結構な頻度で行ってて、みんな仲が良かったんだ。まあ、仲間意識が高いと思ってくれればいい。そんな仲間が、人を襲う側になったら死んでも遣り切れないだろう? だから、民間人に怪我を負わせる前に何としても、俺達で止めてやる必要があった。きっと、俺じゃない仲間たちが生き残っていたとしても同じ行動を取ったはずだ。それに、お前達だって俺達と同じ思いをいてるだろう? お前や、お前の友人達は、仲間を殺したんじゃない。仲間や知人達を救ってやったんだ。だから、自分を責める必要は無いぞ。お前の友人達にも、そう伝えてやれ」
止めど無く頬を伝う涙を、新堂さんが差し出してくれたタオルで拭い、大きく頷いて見せると頭をワシワシと強めに撫でられた。
「必ず、生き残れ。それが、俺達の小隊にとって、一番の手向けになる。きっと、もう別の分隊が派遣されて包囲網が貼られているだろう。上官が教えてくれた情報だと、敷地内にある石造りの建物の地下には、戦後の名残で下水道があるらしい。その下水道を使えば、包囲網の外へ出られる。いいか、一番奥の下水道を使え。間違えるなよ」
「上官らしいわね。逃がすつもりだったのかしら?」
「恐らく、な」
こんなに良い人達なのに、こんなに普通に会話しているのに、感染してるなんて、不条理だ。遣り切れない気持ちで拳に力が入ると、ソッと、その手を握られた。そこに、拳銃を持たされる。
「これは、お守りよ。弾は、一つしか入ってないの。もし、どうしようもない時に使って。逃げ切れた時は、下水道に捨てて行きなさい」
ずっしりと重い塊。魅入られるように見詰めていると、東條さんに扱い方を教えられた。
新堂さんは、医療室の棚や、二人の荷物から使えそうな物を纏め、医務室にあったリュックへ詰めていく。
東條さんの顔色は、益々悪くなり、何かを耐えるように座っている。
「……もう、限界だな。新堂、そいつに仲間達のことを教えてやれ」
「制服を着た男子二人と女子が一人、谷崎君が目を覚ます十分ほど前にカフェへ入っていくのを見たわ。大学には入って来ていないから、カフェに居るか、問題の研究施設へ向かったかは分からない。でも、探す手掛かりになる筈よ」
驚いて目を瞠ると、東條さんが笑い出した。
「言ったら最期、止めても飛び出して行ってただろう? 駐車場の周りに居た連中は片付けてあるが、研究施設とやらは行っていない。カフェや大学の連中は、俺達が来る前に始末されていた。誰がやったのか分からないが、まだ生きた屍や狂乱者が残ってるかもしれん。気をつけろよ。俺たちは、お前が行った後、仲間たちの元へ逝く。お前は、俺たちの為にも必ず、生き残れ」
新堂さんから受け取ったリュックを背負い、医務室の出入り口へ向かう。
「ありがとうございました!」
俺は、精いっぱいの声で挨拶をして頭を深々と下げた。色々と考えても、これだけしか浮かばなかったんだ。涙を堪えて、扉を静かに閉めると、一目散に階下へ駆け降りる。
その途中……、銃声が立て続けに建物内に鳴り響いた。




