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二十七 周防 彰

 学院内に響きわたった拡声器から聞こえる音は、徐々に小さくなり、今は、偶に唸り声が聞こえるだけだ。

 俺は、呼びかけをしていた女性の声に聞き覚えがあった。……菊野(きくの) 美奈子(みなこ)。前執行部副部長で、女子剣道部の部長だった人だ。

 凛としていて、それでいて慈愛に溢れていて、何時も笑みを絶やさない女性。きっと、生き残っている人間を助けたかったんだろう。正義感の強い女性だったから、あんな無茶をした。

「お辛いのではありませんか?」

「……ああ。流石に、堪えるな」

 史哉も俺と同じなんだろう。若干、顔色が悪い。

 菊野先輩は、執行部の人間から尊敬されていたからな。勿論、俺も尊敬していた。

「どうして……どうして、このようなことになってしまったのでしょうね」

 覇気の無い史哉の言葉。史哉の視線は、昨日の朝まで澪が休んでいたソファに向けられていた。



 昨日、澪は、怯えるように、拒絶するように、走り去っていった。

 そして、あの女の話した内容が、ここまで史哉を追い詰めているんだろう。『薗村 俊夫の甥である澪が、何も知らなかったはずがない。こうなることを知っていた筈だ』と、如何にも、それが真実であるといった顔で、あの女は言い張った。そんなことがあるはずもないのに。俺は、史哉の反対を押し切って、女を寮母室に閉じ込めた。あそこなら、普通に生活できるだけの設備が整ってる。今、顔を見れば、確実に殴り殺す自信がある。例え、女性であってもだ。それを告げると、史哉も反対しなくなった。


 同じようにソファを見つめていると、前に座る史哉が溜息を吐いた。

「彰は、強いですね。揺るがずに、澪を信じてらっしゃるのですから」

 揺るぎようもねえし、揺るぐはずもない。

「……少しだけ、昔話をしてやるよ」

「昔話、ですか?」

 ソファから、俺に視線を向け首を傾げている。

「ああ。そうだ。今は、孤高と呼ばれる生徒会長が、菊野先輩のように笑みを絶やさなかった頃のな」

「っ!」

「中等部に入学した当時、特進クラスの女子生徒から『天使』とあだ名を付けられた男子生徒が居た。入学式で入学生代表を努めたこともあって、過半数の支持を集めて学級委員長を任された。先生たちも、全教科満点で入学した生徒は初めてだと言って、その生徒を持て囃していた。それは、知ってるだろ?」

「ええ。有名でしたからね」

「だが、良く思わない生徒も居た。最初の頃は、ライバル心剥き出しで、皆の心を掴もうとしてたが、相手は澪だ。きっと、勝てないと思ったんだろう。

 親に頼み、澪のことを探らせ、その調査内容を皆に見せた。中身は、昨日話した内容と、義兄の信彦が学院を受験して不合格になったこと。それが、原因で不登校となり、養父母の仲が悪くなったことまで事細かく書かれていた。

 半分の生徒は、澪に同情し、残り半分は蔑んだ。それが、エスカレートして、いじめになった。それでも、凄く優しい両親なんだと必死に笑い続けていたよ。痛々しいほどにな」


 俺は、一度言葉を止め、史哉を見据えていた視線を天井へ向けた。

 目を閉じれば、その頃の澪の姿が浮かぶ。俺は、澪の友人達に『こんな時ほど、支えるべきじゃないのか』と何度も言った。それでも、何も答えなかった。

 今なら見えてくるものもある。奴等は、澪と友人だったんじゃねえ。澪の首席という肩書と友人だったんだ。

「……教えてください。澪は、澪は何故、あそこまで他人を拒絶するようになったんですか」

 史哉に問い掛けられて、視線を戻すと俯いた姿が目に映る。その肩が震えているように見えた。

「その年の夏休みに、養父母からも捨てられちまったんだよ。俺も、この話を聞けたのは、去年の話だ。聞いてて、胸糞悪くなる話だったよ。『孤児を引き取れば、国から結構な額の助成金を受けられる。そのお金があれば、息子を習い事や塾に通わせてやれる。それで引き取ってやったのに、息子が落ちた学院に澪が受かった所為で、自分達の可愛い息子は登校拒否をするようになった。その所為で、自分達の夫婦仲も悪くなった。助成金を受け取る為に、戸籍はおいてやるが、この家に帰って来るな。お前は捨て子だから、誰の子かも分からない。自分達のことを家族だと思うな』……だったか。中一だぜ? そんな子供に言う内容じゃねえだろ」

「そんな…………」

 バッと顔を上げた史哉の顔は、真っ青になっている。

「そして、二学期の始業式の日から澪は、完全に笑わなくなった。否。笑えなくなった。その後のことは、この間、話しただろ」

 澪が逃げ出したのは、きっと怖かったからだ。また、あの時のようになるんじゃないかと、それを恐れて逃げ出した。だからこそ、澪を追い詰めた女が憎かった。薗村 俊夫の甥というのは真実でも、澪が知っているというのは偽りだ。

「僕は、何も知らないのに、澪を疑って……」

「知らなかったからだろ。今も疑ってんのか?」

 真っ青な顔色のまま、史哉が頭を横に振る。

「いいえ。だからこそ、一瞬でも澪を疑ってしまった自分が許せないんです。そんな辛い過去があると知らずに、僕は、今までずっと酷い言葉を澪に言ってきました」

 ああ、そっちか。思わず、失笑する。

「それなら、心配ない。澪は、本当に嫌っている奴とは、絶対喋らねえんだよ。それこそ、近くに居る人間に、これを誰々に伝えろって感じでな。荒田が一番の被害者で、どうにかならないかと俺にまで相談に来たぐらいだ。それに『飯田は厄介な相手だが、仕事に妥協をしない。嘘を吐かない。信頼出来る人間だ』って話してたからな。まあ『あの嫌味、どうにかならないのか』と散々言われたのも、確かだが」

 めんどくさい、しつこいと言いながらも、心のどこかで史哉のことを気にしていたのも事実だ。

 史哉は、俺が笑い出したことで呆けていたが、意味を理解したのか、安堵したように何時もの笑みを浮かべた。

「そんな風に思っていたのですか」

「ああ。嫌味が無ければいい奴なのにって、よく言ってたぞ」

「僕のやっていたことは、逆効果だったわけですね」

「そういうことだ」

 ガックリと肩を落とす史哉に、再び噴き出しそうになり、何とか耐える。史哉が立ち直れたなら、今は、それでいい。

「史哉」

「はい」

 真面目な話だと解ったんだろう。スッと背筋を伸ばし、俺を見る。

「俺は、これから澪を探しに行く。お前は、どうしたい?」

 これだけは、譲れない。目を逸らさずに、史哉の答えを待つ。

「反対しても、探しに行くのでしょう?」

 よく解ってるじゃねえか。片笑みして見せれば、小さく息を吐き出した。

「ああ。行く」

 きっと、今頃、あの頃のように……独りで部屋の隅に縮こまって泣いている。放っておくわけにいかない。史哉は、俺の言葉を聞いて立ち上がった。

「僕も一緒に行きます。但し、彼女も連れてです。置いていけば、澪に叱られそうですからね」

 その回答に、俺は盛大に溜息を吐いた。


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