二十六
職員棟の三階にあるのは、生徒会室と大会議室。それに、執行部室の三部屋だけだ。俺は、剣鉈を片手に廊下へ出てみた。
廊下にある血塗れの足跡は、きっと俺の物だろう。見回してみるが、生きた屍や狂乱者が近くに居る気配は無い。ホッとして、そのまま真っ直ぐ、隣にある大会議室へ入り、中を確認する。
「……誰も居ないか」
大会議室を一周して、廊下へ出る。その隣の執行部室へ向かったが、鍵が掛かっていて入ることが出来なかった。
二階に下りると、廊下に三体の遺体を発見した。見る限り、首の無い生きた屍の遺体。俺がやったのか? そう考えると、ゾッとした。本当に覚えが無い。その遺体を見ないようにして、前に進む。
この階にあるのは、パソコンルームと音楽室、美術室、家庭科室。そして、其々の教科の準備室だ。しかし、夏休み期間は、使う人間が限られている為、通常は鍵か掛けられている。念の為、扉を確認して回ったが、全て施錠されたままだった。
問題は、一階だ。出入口は一ヶ所だけ。でも、窓が開いていれば、容易く侵入できる。部屋数も多い。
奴らが居る可能性が高い。そう考えるだけで、剣鉈を握る手が震えた。
「……と、戸惑うな。戸惑った時点で、死ぬのは俺だ」
非情になれ。そう、彰に言われた言葉を己に言い聞かせながら、剣鉈を握り直す。
小さく息を吐き出し、用心深く階段を下りる。すると、半分程度の所で唸り声が聞こえてきた。……やはり、奴らが居るのか? 今まで以上に神経を張り詰め、僅かな足音も立てないよう、壁に背中を預けながら進むと、唸り声に混ざって他の音が聞こえてきた。
その音に耳を傾けると……ズ……ズズ……と、何かを引き摺る様な不快な音。廊下に下りる一段前で足を止め、様子を探る。直ぐ側に居る訳じゃなさそうだ。ソッと頭だけを覗かせて、廊下の先を見る。
「……」
カフェの店員らしき女性と、大学部の学生らしき女性の二人。他に、四人居るが動かない。生きた屍の遺体だ。
動いている二人は、どちらも酷い有様で、店員の女性に至っては、膝から先が無い。腕の力だけで、移動している。聞こえてきたのは、体を引き摺る音だったらしい。
学生の方も、腕や足のいたるところに噛み傷があり、そこから剥き出しになった筋肉や骨が見えている。動く度に、その噛み傷から、どす黒い血が床に撒き散らかされた。
正直な話、逃げ出したい。でも、職員棟から逃げたすにしても、彼女たちが出入口を塞いでいる。逃げ出せる状況じゃない。意を決して、廊下へと進み出るが、何故か彼女たちは見向きもしなかった。
「……?」
足音を立てないように、ゆっくりと近づいていく。どうやら、目が見えていない。それでも、三メートル程にまで近づけば、学生の方が何かを探すように、頻りと彼方此方へ歩き出した。
「っ!」
驚いて、少しだけ後退する。すると、また緩慢な動きに戻ってしまう。目が見えていないのに、どうやって人間を見つけてるんだろう? 何度か同じ動作を繰り返してみる。
そして、解ったのは微かな音でも反応すると言うこと。試しに、廊下にあったアンケート用ボックスに付けてある消しゴムを取って、遠くに投げてみると、生きた屍は、消しゴムに向かって歩いて行った。やっぱり、音なのか。
『ちょ、やっぱり、止めようよ』
『何、言ってんの。このままだと、あの化け物になるだけじゃないっ』
突然だった。管理棟にある拡声器のスイッチが入れられ、聞こえてきたのは、女性の声。
「……う……うがぁ……」
廊下に居た二体が、その声に釣られたように外へ出て行くのを見て、ハッとなる。
『まだ、生きてる人、居るわよね? 皆で、門を壊して逃げよう!』
『美奈ちゃん、もう、止めてっ。今すぐ、逃げなきゃ』
そう、駄目だ。今すぐ、そこから逃げてくれ! 俺は、少しでも様子が見たくて、三階まで全速力で駆け上がった。その間も、拡声器の声は続いている。
『どこに逃げるっていうのよっ。私は、管理棟に居る。誰でもいいっ。門を壊すのを手伝って!』
『み、美奈……ちゃ』
『放してっ! 大型バスが鍵付きで停まってる。それを門にぶつければっ』
生徒会室から身を乗り出して外を見る。体育館の所為で、僅かな範囲しか見えないが、駐車場の中央に大型バスが停まっているのが見える。そして、管理棟に建ててある拡声器に奴らが群がっているのも。
「早く……早く、逃げろ。逃げてくれっ」
ここで呟いても意味がないことは、解っている。それでも、呟かずにはいられなかった。
『あ、ああっ。美奈ちゃんっ、逃げてぇっ!』
『……え?』
ガシャンと硝子が割れた音がして、悲鳴と奴らの唸り声が聞こえた。
『嫌っ、止めて! 放してよ。放しなさいってばっ』
機材やマイクが倒れる音と一緒に、叫び声。これ以上、先を聞きたくなくて、生徒会室の中にある仮眠室へ飛び込んだ。鍵を後ろ手で閉めて、剣鉈を放し、両耳を塞ぐ。
「っ! 嫌だ……聞きたくない。聞きたくないっ! 止めてくれっ」
聞こえてくるのは、沢山の唸り声と、彼女たちの悲鳴。
そして、何かを咀嚼するムチャムチャという音。そう、奴らが、人間を貪り食う音。
「い……やだ。聞きたく……ない」
身体がガタガタと震え、俺は、その場に縮こまった。
「……も……止め……」
両腕で塞いでいるのに、聞こえてくる声と音。その中に、彼女たちの声は、もう聞こえない。
「うっ……ううっ…………」
怖くて、苦しくて、耳を塞いでいなきゃ、気が狂いそうだった。




