二十三
目覚めは、午前八時五分。さすがに、寝過ぎて頭が重い。
「おはようございます。早速ですが、熱を測ってくださいね」
「……おはよう」
史哉に体温計を差し出され、腋に挟んで大人しくしている。
こんなに熟睡したのは久々だったが、見張りを三人だけにさせたことが心苦しい。きっと、史哉たちも眠たいはずだ。今夜は、きちんと見張りをしなければ。
ピピッと電子音が鳴り、体温計を取り出せば、近くに居た史哉が手を差し出した。
その手に、体温計を渡す。
「三十五度六分ですか。若干、下がり過ぎのような気もしますが、仕方ないでしょうね」
「元々、低いんだ」
そう答えると、今度はお盆を手渡される。
「雑炊です。冷ましてありますから、もう食べれるはずです」
「……ありがとう」
蓮華で掬い、少しだけ口に入れる。史哉の言ったとおり、食べやすい温度になっていた。
「美味しい、よ」
「それは良かったです。彰も喜ぶと思いますよ」
そう言われて、雑炊へ目を向ける。どうやら、この雑炊は彰が作ってくれたらしい。どうりで、薄味になっている。
御礼を言いたくて、玄関ホールを見渡すが、目に付くところに彰の姿は無い。
「彰なら、彼女と一緒に洗面台へ行っています」
史哉は、医務室から持ってきていた布団を片付けながら、秋月の荷物へ視線をやった。
そういえば、2人とも何故、彼女の名前を呼ばないんだろう? 理由を尋ねようとすれば、史哉の方が先に口を開いた。
「食事が済んだら、僕と洗面台に行きましょうね」
なんだか、保護者が二人になったような気がするのは、俺だけか? 出鼻を挫かれて、小さく溜息を吐く。
「……昨日の話、どうなったんだ?」
食べながら話すのは行儀が悪いと思ったが、気まずくなって話題を変える。すると、史哉は隣に座り、解りやすいように話してくれた。
その内容は、俺の想像を絶するものだったが、矛盾しているようにも思えた。又聞きだからかもしれない。辛い過去を何度も話させるのは酷だろう。
「そういえば、彰は匿った相手と薗村の動機が気になるようでしたね」
「二人の動機?」
人を殺してまでしなければならない研究。そんなものがあるんだろうか? むしろ、俺には逆のように思える。
「何か恨みがあるとか。それも、単体じゃなくて、多数の人間を殺したい程、恨んでいるとしたら……」
こんな研究でも手を出してしまうんじゃないだろうか? 例えば、過疎地区に潜伏している犯罪組織やテロリストを憎んでいるとしたら。家族を奪われて、恨んでいる人間は多いと思う。
「怨恨ですか。それは、考えませんでしたね。ですが、そうなると匿った相手の目的が解らなくなりますよ?」
史哉の言い分は、尤もだ。
「確かに何の利益も無ければ、助けたりしないよな? それだけのリスクを背負ってもいい理由にならないし。同じように誰かを恨んでるなら、有り得なくもないだろうけど」
「……ちょっと待ってください。今、何と?」
いきなり肩を掴まれ、揺すられる。お盆を落としそうになり、若干慌ててしまった。
「え? リスクを背負っていい理由にならないだろうし。同じように誰かを恨んでるなら?」
どうしたというのだろう? 何か気になる様なことを言ったか?
「その前です」
「何の利益も無ければ?」
「それです! もしかしたら、薗村を匿った相手の死んでもらいたい人物が、この学院に居るのかもしれないということです。後で、彰にも話してみましょう」
死んでもらいたい人物。殺意を抱く程、憎く思う。
それほどのことが、薗村と薗村を匿った人間に起こったということだ。そこまで考えて、ふと自分は薄情な人間なのかもしれないと思った。仲間を殺されたのに、薗村の身に降りかかった何かを考えて、理由を聞いてしまったら、そうだったのかと納得してしまいそうな気がした。
このままだと深みに嵌る気がして、頭を振り思考回路を切り替えた。今は、食事を優先させよう。
雑炊を食べ終わり、史哉と洗面台へ行き、身支度を整える。汗臭いのが嫌で、リュックから着替えも取ってきた。
「相変わらず、細いですね。しっかり食べないと駄目ですよ」
「そう言う史哉だって細いだろ」
「僕は、ちゃんと食べています。それに、筋肉もついていますからね」
隣で着替えている史哉の身体を見て、羨ましくなった。細い身体の癖に、しなやかそうな筋肉がしっかりとついている。
「体脂肪率が低そうで羨ましいよ」
「確かに体脂肪率は低いです。澪は、脂肪も少なさそうですが、筋肉も少ないんじゃありませんか? まぁ、彰の鍛錬についていけるのですから、体力は平均を大きく上回っているのでしょうが」
慰めのつもりだろうが、史哉に言われても納得できない。
「どれだけ鍛錬しても、二人みたいになれない」
身長が高くて、筋肉も隆々。健康的な小麦色の肌で、見目も良い。男子生徒が羨望の眼差しを向ける存在。史哉は、色白だが、彰と同じような視線を向けられていた。勿論、女子からの人気も凄かった。
「その分、僕たちは頭脳で澪に負けていますよ。先程も、僕たちが気づかなかったことに気づいたでしょう? 発想の柔軟性が僕たちには有りません。だから、自分を卑下する必要はないんです」
着替え終わった史哉が片笑みを浮かべる。
「それに、頭脳も良くて、彰のように筋肉隆々だったら、澪じゃなくなってしまいます」
頭脳が良いと言うが、二人とも高等部で五位以内に名前が載る。殆ど、俺と変わらない。まあ、無い物ねだりだということが解って、小さく溜息を吐いた。
俺自身、筋肉隆々な自分が想像できなかったからだ。
着替えを済ませ、脱ぎ捨てていた服を洗濯機に入れて時間をセットする。最短コースにしていたから、早めに終わるはずだ。
玄関ホールへ戻ると、彰がソファに横たわっている。そうだ、御礼を言っておかないと。
「彰、雑炊ありがとう。美味しかった」
「……おう」
短く返事を返してくれたが、様子が変だ。なんだか、苛々している? それに、移動は二人で行うと聞いていたのに、秋月の姿が見当たらない。
「彰。彼女は、どこに置いてきたのですか?」
史哉も同じことを考えていたらしい。ただ、心配して訊いている雰囲気じゃない。言い方が刺々しい。
「あのクソ女、昨夜の話を蒸し返しやがった」
言葉遣いが荒くなっている。かなり機嫌が悪い。
「昨夜って、俺が寝てからのことか? 史哉から彼女の事と薗村の事は聞いた。他にも何かあったのか?」
起き上がった彰の隣に座り、顔を覗き込むと、彰は瞼を閉じて眉間に拳を当てた。
「…………くそっ」
彰の蟀谷に青筋が浮かぶ。本当に何があったのだろうか? 振り返って、史哉を見上げる。昨夜の話なら、史哉も知っているはずだ。
「史――」
「澪には、関係の無い話です。それより、彰に何か飲み物を持ってきてもらえますか? 厨房の冷蔵庫に清涼飲料水が入っていますから、それをお願いします」
俺には、関係ない話? なんで? どうして?
史哉の言葉に、体が強張り、頭が疑問符で埋め尽くされていく。
「わかった。取ってくる」
自分でも意外なほど、簡単に言葉が出た。抑揚の無い無機質な声に、嘲笑が浮かぶ。
どれだけ、弱いんだろう。関係ないと言われただけ。史哉も驚いた顔をしているじゃないか。
立ち上がろうと腰を浮かせれば、彰が俺の腕を掴んで無理やり座らせた。
「澪。お前にも関係ある話だが、今は聞かせられねえ話だ。だから、少し待ってろ。俺の言ってる意味、解るよな?」
言い聞かせるように紡がれる言葉。その言葉が、心の中にストンと入ってきて、素直に頷く。
「……うん。待つ」
「史哉。てめえの言い方も悪い。気を付けろ」
「そうですね。言い方が悪かったようです。僕は、澪を蔑ろにするつもりは無かったんです。次からは、気を付けますね」
史哉は、俺の前に回り込むと片膝を床に付け、視線を合わせて謝罪を述べた。
そうだ。史哉は、奴らと違う。俺のことを考えて、あえて関係ないと言ってくれたんだ。こんなにも臆病になってしまっている自分が情けなかった。
「俺こそ、ごめん。史哉が悪いんじゃ――」
ないと、言おうとして。
「あらあら。飯田君って、そういう風にしていると本物の騎士みたいね」
割り込んできた声に遮られた。いつの間に戻って来たのか、玄関ホールの入口に秋月が立っている。そして、その手には、何故かクロスボウが握られていた。
「何時の間に、飯田君まで騎士様になったのかしら?」
言葉自体は史哉に向けたもの。だが、彼女の視線は俺に向けられている。
「ほんと、苛々するわね」
鋭い視線に睨まれて、戦慄が走る。
「っ! 聞くな!」
「足手纏いの癖に、騎士を侍らせてお姫様気取り。私たち三人だけなら、生き残れる確率がとても高いのに、谷崎君が居る所為で確率は下がる一方。私たちにとって、谷崎君の存在自体が凄く迷惑。足手纏いは、要らないのよ」
彰が、俺の頭を掻き抱くようにして耳を塞いだけど、秋月の言葉は俺に届いていて、心を深く抉った。




