EP.7 飲んだくれのヤニカスリーダー
白亜の巨人と〈勇者〉が森の奥へ消えると、作戦は打ち切られた。歩ける王国兵が負傷者を背負い、魔獣の死骸は森の外れに残されたまま。赤かった空が藍色に変わるころ、ルナたち〈暁の道標〉はようやく宿営地へ戻った。
焚き火の周りでは誰かが笑い、酒袋を回している。一方、治療用の天幕からは呻き声が漏れていた。勝ったというより、生き延びた。それが一番近い気がする。
焚き火のそばで膝を抱えていると、宿営地の入り口から見張りの声が聞こえた。顔を向ければ、暗がりからリアムが歩いてくる。
「リアム様!」
ルナは思わず立ち上がる。魔獣に蹴り飛ばされた姿を見ていたから、無事な顔を見て肩から力が抜ける。
「ど、どこにいたんですか! お体は大丈夫ですか?」
「ああ。気を失ってな……目を覚ましたら暗くなっていた」
「そ、そうだったんですか……」
あれほどの衝撃を受けたのに、足取りは乱れていない。
焚き火の前に腰を下ろしたリアムを、ルナはあらためて観察した。身体へぴたりと密着した黒い服には、縫い目も継ぎ目も見当たらない。やっぱり普通の人じゃありません。姿の見えない精霊様。詠唱も魔法陣もなしにミメルを倒した黒い短杖。全部知りたい。
「教えてください!」
気づけば身を乗り出していた。
「着ている黒い服は防具ですか? 魔法が付与されているんですか? 精霊様はどこにいらっしゃるのですか? 短い杖は……どうして詠唱なしで魔法が現象化するんですか?」
さらに詰め寄ろうとすると、横のエルウィンが小さく咳払いした。
「ルナ。恩人を尋問する前に、食事をさせてあげなさい」
「あ……はい」
顔が熱い。しかし、気になるものは気になる。
やがて治療を終えたゼッドとガドルが戻ってきた。ゼッドは赤い髪を乱したまま、リアムを見て歩みを止める。
「あ、この方がさっき話したリアム・オズワルド様です」
ああ、と思い出したような表情を浮かべ、リアムの肩を叩くと掌を差し出した。
「〈暁の道標〉リーダー、ゼッド・バーンハードだ。助かったぜ、おっさん。ルナのことも、作戦のことも礼を言う。おかげで仲間が死なずに済んだ」
自分より仲間の無事を喜ぶ。こういう顔を見ると、A級冒険者パーティを率いるリーダーなのだとあらためて思う。普段はリーダーだということを忘れそうになる。なぜなら二十五歳にもなって酒の飲み方がまるで上達しないからだ。
酒には弱いくせに毎晩飲み、千鳥足で歌い始める飲んだくれ。以前、同じ一節を何度も歌い続けた挙げ句、木杯を握ったまま卓の下で眠ってしまった。翌朝には青い顔で「もう一杯飲めば治る」と冬殻酒へ手を伸ばし、エルウィンに叱られていた。それでも説教が終わると、懲りずに木杯を持っていたのだから、ルナはもう呆れるしかなかった。
それでも戦闘となれば別人だった。今日のように、A級冒険者が束になって苦戦する魔獣相手でも迷わず前へ出る。
横のガドルも大盾を脇へ置き、深く頭を下げて手を差し出した。
「ガドル・ギガンテス」
「ああ。よろしく頼む」
深く落ち窪んだ目の奥で、鳶色の瞳が焚き火を反射する。その姿を見ていると、大陸連合自然理学院の正門に立つ巨大な彫刻を思い出した。
「うむ。助かった」
「ああ」
◇ ◇ ◇
ゼッドは巻き葉をくわえ、焚き火へ顔を寄せた。風に煽られた炎が前髪を舐めかける。
「ゼッドさん、危ないです!」
「これくらい平気だって」
火をつけて煙を吐き、そのままリアムへ差し出す。
「アンタもやるか?」
「遠慮する」
ゼッドは巻き葉を口へ戻し、今度はにやりと笑った。
「で、おっさん。あの身のこなし、ただ者じゃねぇだろ。ひとつ力比べしようぜ」
「食事中なんだが」
言いながら、リアムも満更でもない顔をしていた。
男の人って、どうしてこんなに力比べが好きなんだろう。以前キリカに訊ねたときは、「男は馬鹿なのよ」と一言で片づけられた。
ガドルが木樽を担いで戻ると、その上で二人の手が組まれる。始まった途端、周囲の冒険者や兵士まで声を上げ、酒の勢いもあって、いつの間にか腕相撲大会になっていた。ガドルは加わらず、大盾に腕を預けたまま静かに眺めている。
勝負が一段落すると、ゼッドが木杯を掲げた。
「ブトワルまで一緒に来るって聞いたぜ。今日のお礼に、街に着いたら一杯奢らせてくれ」
「ああ、そのときにでもこの国のことを色々教えてほしい」
「もちろんだ!」
焚き火の向こうでは、兵士や冒険者が白い巨人を「新たな〈勇者〉」だの「蘇った〈白き勇者〉」だのと騒いでいる。どこかで吟遊詩人の歌が聞こえ、焚き火の煙が夜空へ溶けていった。
◇ ◇ ◇
作戦中止から二日後、オズワルドは〈暁の道標〉とともに交易都市ブトワルへ向かっていた。王国兵と冒険者を合わせ、およそ千人。死傷者は前日に先行移送され、後発隊は回収した装備や物資を積む荷車とともに街道を進んでいる。
『Exion、森林内を自動追従。街北側の林で待機させます』
「気をつけろ。見られたら、また勇者騒ぎだ」
前方ではゼッドが酒袋を片手に歩いていた。身長は百八十センチほど。筋肉質ではあるがあの大剣を扱う者としては細身に映る。低重力のせいで、重量に対する身体感覚そのものが地球とは異なるのだろう。
それ以上に目を引くのは、巨人族のガドルだった。岩を削り出したような巨躯に、厚い胸板。灰褐色の肌と短い灰色の髪まで含め、ファンタジー小説から抜け出してきたように見える。
「ATHENA、やつの身長と体重は分かるか」
『推定身長二・八二メートル。体重四二八キログラム前後』
「そうか……で、この世界、どう思う?」
『重力および気温は地球標準から逸脱していますが、その他の環境条件は地球と酷似しています。一方、複数の知的種族が同一文明圏を構成。魔法と称される現象には再現性が認められますが、既知物理との接続は不明です。現段階で世界像を固定することは非効率です』
オズワルドは両手を軽く広げた。
エルフに巨人。猫耳や犬耳の獣人に魔法や魔獣だ。もう驚く段階はとうに過ぎている。
「〈勇者〉は?」
『話が事実なら、二百年にわたり活動を継続しています。Exionには反応せず、魔獣の死骸のみを確認して撤収しました』
「つまり、何も分からない」
『はい。空白を推測で埋めても判断材料にはなりません』
正論だ。帰還方法を探すにも、まず足場が要る。街で情報を収集するなら、社会的身分か、生計を立てる仕事も必要になる。
◇ ◇ ◇
「ねえ、あの服、形がはっきり分かりすぎじゃない?」
「ち、違います。きっと布地の伸縮と魔力伝導をですね……」
背後から潜めた声が聞こえ、振り返るとルナとキリカが揃って視線を逸らした。前へ向き直れば、再び腰から下へ視線を感じる。オズワルドは僅かに眉を上げた。
『後方二名の視線ログを解析――』
横からエルウィンの咳払いが飛ぶ。
「観察するにしても、もう少し慎みを持ちなさい」
「す、すみません!」
「はいはい、分かったわよ」
どうにも反省の色は薄い。オズワルドとの間隔が僅かに開いただけで、二人は依然として後方にいた。
「見ろ。あそこが北の交易都市ブトワルだ」
ゼッドの声で顔を上げる。森の切れ目の向こうに、石造りの防壁と巨大な木門が見えた。
「ここに城があるのか?」
「城? 城なんてないぞ」
「王国じゃないのか」
「……ああ、北王国の王都なら、ここからさらに南西に七日ほど歩いたところだ」
「そうか……」
いずれにせよ、ここが最初の足場になる。そう考えて門へ近づいた瞬間、オズワルドは強烈な違和感を覚え、足を止めた。




