EP.8 冒険者ギルドとギルドカード
湿潤な土と草の香気が、アンモニアや獣脂、煤煙の入り混じった生活臭に覆い尽くされる。ひどい臭いだ。
『環境スキャン実行。大気成分分析』
>>【WARNING】 空気中アンモニア濃度、地球都市平均の約三・五倍・衛生状態に懸念あり
石造りの防壁と木と鉄の門が目前に迫る。門前には農民や商人、冒険者が列をなし、その胸元や腰には小さな金属札が揺れていた。
「あの、認識票は、なんだ?」
「……どっくたぐ?」
オズワルドが自分の認識票を示すと、ルナも銀色の札を取り出した。
「あ、これはギルドの身分札です。名前や等級が刻まれてます」
傍らにいたゼッドが口を開く。
「今さらだが、アンタここいらの人間じゃねぇよな」
「……ああ」
「森の奥にいるなんて、普通の農夫や行商じゃねぇ。危ねぇ方の仕事で稼げる腕があんなら、この街じゃギルドを使った方が早いぞ」
「冒険者ギルドです。依頼はほとんどギルド経由で出されますし……滞在するつもりなら、登録しておいた方が便利だと思います」
「別に入ってなきゃ生きられないってわけじゃねぇがな。ただ、腕っぷしで食ってくなら、ギルドが一番早ぇ」
『情報収集および信用の獲得に有利です。登録を推奨します』
「そうだな」
大通りは人波で溢れていた。荷車を引く商人、樽を担ぐ店員、剣や斧を提げた者。文明水準こそ低いが、都市としての活力は相応に旺盛らしい。すぐそばの露店では、商人が腰の袋から数枚の硬貨を取り出していた。店主が硬貨を一瞥し、舌打ちする。
「……西連邦の刻印か」
土道の両脇には濁水とゴミの流れる溝が続いている。その横を子どもたちが薄い靴で駆けていった。
「いくよー!」
二階の窓が開き、エプロン姿の女が木桶を傾ける。茶褐色の液体が路上へ降り注いだ。飛沫がオズワルドたちの手前に散る。
『飛沫成分解析。大腸菌群、寄生虫卵を確認。付着時は即時洗浄を推奨します』
「この時間は上からいろいろ落ちてくるんです。建物から離れて歩いた方がいいですよ」
ルナがさも当然のことのように告げる。
顔を上げると、通りの突き当たりには、剣と盾と酒杯を掲げた大きな木造建築があった。
「あそこが、ブトワル冒険者ギルドです!」
◇ ◇ ◇
扉をくぐると、酒と油脂と汗の臭気、怒号と笑声が押し寄せた。正面には長いカウンター、壁一面には依頼書らしき紙片が隙間なく掲示され、その端には大陸地図が掲げられている。
『後ほど、あの地図の解析を推奨します』
右手には広いホールが開けていた。鎧姿の男が肉をかじり、その隣では商人風の男二人が価格交渉でもしているのか、声を潜めて言葉を交わしている。
「他の町にも支部はありますけど、北部ではブトワル支部が一番大きいんですよ。冒険者の仕事は、王国の法でほとんどギルド経由って決まってて――」
〈暁の道標〉に続いてカウンターへ向かうと、空いている窓口で茶髪をひとつに結った若い受付嬢が顔を上げた。
「みなさん、お帰りなさい」
「マリエルさん。冒険者登録をお願いしますっ」
ルナが告げると、受付嬢がゆっくりとオズワルドを上から下まで眺め、口元を微妙に引き攣らせる。
「……その全身ぴっちりの方?」
「リアム・オズワルドだ」
受付嬢は一瞬だけ表情を引き締め、それから柔和に微笑んだ。
「でしたら、仮登録の手続きを。名前と年齢、出身地、得意な戦い方、主な武器を教えてください。身分札をお作りします」
カウンターの上に、羊皮紙とペンが置かれる。出身地、ね……。待てよ、文字読めるのか? いつも通り「Liam Oswald 38」と走り書きする。
「リアム・オズワルドさん、三十八歳……はい、ありがとうございます」
「読めるのか?」
受付嬢が怪訝そうに首をかしげた。
「え? 普通の王国共通文字ですよね?」
「……そうか」
出身地を問われ、オズワルドが曖昧な表情を浮かべると、受付嬢はそれ以上詮索しなかった。
◇ ◇ ◇
「では、魔力適性は『未測定』にしておきます。実際に測定を希望される場合は、奥の部屋で測定できますのでそのときにでも」
受付嬢は薄い刻印板にさらさらと文字を書き写し、真っ新な身分札の上に静かに重ねた。短く何かを唱えた瞬間、銀色の札がじわりと白く発光する。ほどなく、表面に文字が浮かび上がった。
思わず息が止まり、顎を撫でた。……ホログラム投影? いや、媒質もレンズもない。表面そのものを書き換えてる、ってところか。
『微弱な外部エネルギー反応を検知。既知の電磁・熱・重力場とは一致しません。暫定ラベル「魔力場」として登録します』
札の光はすっと収束し、刻印された文字だけが残る。
「はい、こちらがリアムさんのギルドカードです。現在の等級は仮E級です。それと、依頼の報酬は王国通貨で支払われます。銅貨十枚で小銀貨一枚、小銀貨十枚で大銀貨一枚、大銀貨十枚で金貨一枚です」
「……ああ、助かる」
硬貨という馴染み深いワードと、明瞭な交換レートの説明に、奇妙な安堵を覚えた。
「なお、身分札は王国法で身分証として認められています」
「身分証、ね。ありがたい」
「犯罪行為があれば、刻印に『黒印』が付きますので、その点だけはお忘れなく」
「ああ」
ふと顔を上げたとき、階段の上から静かな視線を感じた。
「おお。……おまえら、無事に帰ってきていたか」
「ギルド長!」
銀髪を肩まで伸ばした六十代ほどの男が階段を降りてくる。背筋は端然と伸び、その所作には無駄がない。
「ヴァレリオ・モーデンだ。このブトワル支部のギルド長をしている」
「リアム・オズワルドだ」
ヴァレリオはうなずき、オズワルドを足元から頭まで一瞥した。その視線が腰のホルスターで静止する。
「奇妙な装いだが、立ち方は軍人に近いな」
「……似たようなものだ」
返答を濁すと、ヴァレリオはその含意を見透かしたようにわずかに笑った。
「……なるほど。言葉を選ぶ癖が付いている。良くも悪くも、命令する側の空気だ」
彼は受付嬢に視線を向けた。
「登録は終わったか?」
「はい。仮E級として――」
「なら話は早い。しばらく〈暁の道標〉と動いてもらえると助かる。ゼッド、どうだ」
「……ギルド長がそこまで言うなら、断る理由はねぇがな」
ゼッドが意を決したかのように真正面からオズワルドを見た。
「ただ、決めるのはギルドでも俺でもねぇ。あんただ。しばらく〈暁の道標〉と組んでみるか?」
『単独行動より有利と推定します』
「……世話になる。しばらく、あんたたちと組ませてくれ」
オズワルドの返答にゼッドは満足げに笑い、ヴァレリオはわずかに目を細める。
「宿は、もう決めてあるのか?」
「いや、まだだ」
「なら倉庫の隅を使え。ただし、稼げるようになったら返してもらう」
「ああ。助かる」
甘やかす気はないが、放逐するつもりもない、か。これがこの世界における「ギルド」という組織の流儀なのだろうと思い、親指を立てた。
「古着も探してやれ。ルナ」
「は、はいっ!」
カウンターを離れたところで、再び壁に掲げられた地図に視線が吸い寄せられた。そこに描かれた地形を認識した刹那、オズワルドは言葉を失った。




