EP.9 見覚えのある大地と未知の世界
「ATHENA……この形はまさか……」
黄ばんだ羊皮紙が大きな額縁に収められ、小さな鋲と革紐で固定されている。古いインクと、乾いた紙の匂い。
『形状照合開始』
>> MAP ANALYSIS: 形状類似度 95%
>> REFERENCE: インド亜大陸 (Earth)
RODに解析表示が浮かぶ。
『照合完了。地形形状は、地球・インド亜大陸と九五パーセント一致』
南へ鋭く伸びるインド亜大陸の輪郭だけではない。南に浮かぶスリランカ島も、さらに南西へ連なるモルディブ諸島も、地球側の地形と酷似している。
そこへ三色の国境線が引かれ、見覚えのある大地の上に、未知の歴史だけが幾重にも上書きされていた。だが、類似は手掛かりであって証拠じゃない。
『地形一致率は高水準です。ただし、重力・一部地形・文明圏には相違があります。現時点では、両者の関係性を特定できません』
「……要するに、似すぎてる。でも、なんで似てるのかは分からないってことか」
南の西と東にそれぞれ大きな湾。北と西側に連なる山脈。内陸に点在する都市群。
「考え得る可能性は?」
『現時点で検討可能な仮説は三つです』
視界に項目が列挙される。
【シミュレーション仮説】
【並行宇宙・異世界転移仮説】
【文明崩壊後の未来地球仮説】
まるでアニメや映画じゃないか。
構築された仮想現実なら、魔法も種族も説明できる。だが、この世界が人工的に構築されたと示す証拠はない。
別宇宙なら、地球と異なる重力にも一定の整合性はある。しかし、転移そのものを裏づける痕跡がない。
文明崩壊後の地球なら、大陸形状は有力な手掛かりとなる。だが、類似した地形だけでは、歴史上の空白までは補完できない。
「決め手なしか」
『はい。現段階での断定は不可能です』
「『マトリックス』に『ナルニア』、『黙示録3174年』か。フィクションなら笑って済ませるところだが……」
言いながら、両手を軽く広げる。
『なお、第三仮説を補強する一致を一件確認しています』
「根拠は?」
『ブトワルの呼称は、地球側ネパールの都市“Butwal”と高い音韻類似を示します。インド亜大陸北縁の内陸交易拠点として機能していた記録を確認』
「ここが、この国――北王国です」
隣に立ったルナが、地図の一角を指し示した。
「王都はここの大きな印のところです。ラクナウと言います。大きな二つの川に挟まれた北の平原の真ん中にあって、このあたり一帯を治めています。ブトワルはそこから北東に伸びる街道と、山のふもとを東西に走る街道が交わる中継の街なんです。だから、いろんな人が集まってきます」
説明に合わせて指先が王都から北へ、そして山裾へと滑っていく。線をなぞるたびに、この街が担う地理的な役割が、少しずつ頭の中で輪郭を帯びた。
「交易の街、って言ってたな」
「はい。農民の方は作物を、鍛冶屋さんは武器や道具を持ち込むんです。この国は鍛冶が盛んなんですよ!」
ルナの指先が今度は地図の西方へ滑っていく。
「ここが、西のウェスラ自由連邦。みんな西連邦って呼んでいます。海沿いの港町が多くて、交易と工芸で栄えている国です」
続いて反対側、東方の大地をなぞり、
「こっちが、東のエストラ皇国。東皇国とも言われていて、軍がとても強い国だって聞きました。昔は――」
そのとき、ホールの方から肉を焼く匂いと、スープの香りが漂ってきた。オズワルドの腹が律儀にぐうと鳴る。
「ふふっ、難しいお話より、まずはお腹ですよね」
世界の分析も進めたい。だが、確かに腹が減った。
『栄養摂取の必要性が高まっています。この状態での世界分析は“非効率”です』
◇ ◇ ◇
卓の中央では、カエルのトマト煮込みが鉄鍋いっぱいに煮込まれ、隣には何かの骨付き肉の炙り焼きと、黒パンが山のように積まれていた。焼けた脂と、トマトの酸味を含んだおいしそうな香りが辺りに漂っている。
「え?! あの白亜の巨人があんただと?!」
ゼッドが木杯を卓へ打ちつけるように置き、身を乗り出した。冬殻酒が縁から跳ね、食堂の隅にいた冒険者まで振り返る。
「ゼッドさん! 声が大きいです!」
ルナは慌てて唇へ指を立てた。まだ一杯目なのにゼッドの頬はもう赤い。そんなことよりも、あれがリアム様? どういうこと? 理解が追いつかない。ただ、好奇心だけは勝手に沸いてくる。知りたい。もっと知りたい。
リアムは静かになるのを待ち、声を落として人差し指を一本立てた。
「正確には俺の兵器……甲冑だ」
「魔導鎧かなにかですか?!」
「……ああ。そんなようなものだ。強い力がある」
「それは興味深いですね」
エルウィンはリアムを見ながら木杯に口をつける。
「ひとつ頼みがある。俺が所有していると知られれば、面倒ごとが増える。ここにいる〈暁の道標〉の五人以外には口外しないでほしい」
さっきまで山盛りの肉を食べていたガドルが最後の一切れへ伸ばしかけた手を止め、深く頷いた。
「うむ。誰にも話さん」
つられるようにその場にいた全員が真顔で頷く。ただ、ルナの胸の内側で、知りたいという気持ちが我慢の限界を迎えた。
「教えてください! どうやって動かすんですか? 動力は? 魔力を使っていないなら――」
「ルナ、まず座りなさい。リアム殿にも、話せることと話せないことがあります」
エルウィンの穏やかな声に押し戻され、ルナは鼻先までずれた眼鏡を直しながら腰を下ろした。
「……すみません」
聞きたいことが百個はあるのに。喉元まで出かかった問いをカエルのトマト煮込みと一緒に飲み込む。
「そういえば……」
言って、エルウィンが丸めた紙を卓上に広げた。地図には、森で〈勇者〉が消えた地点から幾つもの街道へ向かって線が引かれている。
「〈勇者〉について、北王国は移動経路を割り出すため、近いうちに国内のギルド各支部へ目撃情報の収集を依頼する予定だと聞きました」
「要するに、依頼のついでに〈勇者〉を探しゃいいんだな?」
「そういうことです」
旅商人の護衛や魔獣討伐で各地を行き来する冒険者なら、街道や村に散らばる目撃情報を拾える。みんなで話し合い、ひとまず〈暁の道標〉も普段の依頼をこなしながら足取りを追うことになった。
ルナが〈勇者〉を見たのは今回が初めてだった。二百年前の英雄は、今も何を求めて歩き続けているのだろう。森で見た黒いローブの人影を思い浮かべると、幼い頃に聞いた物語よりずっと怖かった。でも同時に興味が尽きない。
ゼッドは木杯を掴み、勢いよく席を立った。
「早速だが、明日みんなで依頼受けてみるか!」
傾いた木杯をガドルの大きな手が黙って支える。ルナはため息をつきながらも、明日が待ち遠しかった。
◇ ◇ ◇
夜も更け、ギルド長のヴァレリオにあてがわれた倉庫の寝床で、オズワルドは仰向けになって天井を見上げていた。
「最後にお前の見解をまとめてくれ」
ATHENAが提示したのは、二つの調査方針だった。
一つ目は、〈暁の道標〉と行動を共にし、〈勇者〉やこの世界に関する情報を収集しながら、帰還方法を模索すること。
エルウィンの話では、現在は創環暦三〇三二年、盟約暦では一九八年にあたるという。
〈白き勇者〉は二百年前の戦乱の最中に突如として出現し、現在〈勇者〉と呼ばれる七騎もその時代に姿を現した。それ以前の歴史にも伝承にも、その存在を示す痕跡はないらしい。現在も魔獣と交戦しながら大陸各地を巡っているという。直接話を聞くことが叶えば、帰還につながる手掛かりを得られる可能性はある。
もう一つは、単独で大陸を巡る道だった。
地形、地名、天体、遺跡を調査して回る。帰還のみを目的として行動するなら、自由度はこちらの方が高い。現地の厄介な諍いから距離を置くことができ、退路も自ら設定できる。ただし、土地勘も信用も欠いた状態での単独調査では、得られる情報の質と量に自ずと限界が生じる。
フロストは「選ばなかった道」を詩にした。地球へ帰る意思は変わらないが、帰還以外のすべてを無価値と決める気もない。
答えがないなら、まず足場を固め、信頼できる人間との関係を築く。〈暁の道標〉に同行し、当面はブトワルを活動拠点とする。
「この世界がどこかは分からないが、どうやらしばらく世話になりそうだ」
『賛同します。補足。エルウィン・シルヴァ氏の証言を反映し、仮説評価を更新。「文明崩壊後の未来地球」を暫定最有力とします。ただし、暦と地球史の接続は未確認です』
王国。街道。貨幣。ギルド。地図。断片は少しずつ揃い始めている。だが、そのいずれもいまだ帰路を指し示してはくれない。
当面の目標はシンプルだ。生き延びる。そのために稼ぎ、情報を集める。
「まずは――日銭を稼ぐ」




