EP.6 白き甲冑の勇者
「トァク・アズェン・イグナ――アルデ・イグナ、クェルゼ・セリエ、ヴァルク・アルデ・ペルデ――ザルミェグラシュ!」
ルナは魔力を巡らせながら後衛から炎弾を撃ち込んだ。巨獣の片目をかすめ、目元を焼く。目がくらむ。もう魔力が……。それでも彼女は杖を下ろさない。キリカの矢が数本、その後を追うが決定打には遠い。
一方で、前衛の二人は見事な呼吸で動いていた。ガドルが構える大盾が魔獣の突進の軌道を逸らし、ゼッドがわずかな隙間から大剣で斬りつける。
よく見ると大盾は既に何ヶ所も凹み、削れている。甲冑の継ぎ目からは血が滲み、それでも彼は巨獣の突進を受け続けていた。〈暁の道標〉の盾役。巨人族のガドル。彼が戦場に到着してから一人の死者も出ていない。
二人ともやっぱりすごい。こんな強い魔獣を相手にしてるのに。
ガドルが持ちこたえていられるのは頑丈だからというだけではない。受ける攻撃と避ける攻撃を見極めるのが誰よりもうまいのだ。けれど、それにも限界はある。
ほかの人たちは一人、また一人と前線を離れ、気づけば魔獣の前に立っているのはガドルとパーティリーダーのゼッドだけになっていた。いつの間にか姿を現した王国騎士団長が、片手を上げて指示を出す。傍らに控えていた騎士が、頭上高く白旗を振る。
――撤退の合図。
「ここまで来て撤退なの!」
キリカが叫ぶ。けれど彼女の矢筒にはもう矢は残っていなかった。
「英断です。増援が来てもここまで崩れた戦線を立て直すのは難しい……」
エルウィンが額に汗を滲ませながら言った。
そのとき――
鳥たちが一斉に飛び立ち、木々の間の影が揺れる。
「何……?」
ルナが一瞬だけ目を細めた。
◇ ◇ ◇
森の奥から、腹腔の底を直接殴打するような駆動音が轟いた。
――ヴォォォォォ……ンンンッ……
コンデンサの急速充填を告げる高周波音と、推力機構が発する重低音。異質な二つの音が不協和を成し、大気そのものを震撼させる。
ExionのELOA技術を利用した推力機構は、地表すれすれの浮遊移動を可能にする。その推力は最大出力時には三秒で時速二〇〇キロメートルに達し得る。
森閑とした森を引き裂き、白い影が土砂を噴き上げながら、魔獣の前に姿を現した。
機体が地表すれすれを滑走するようなマニューバを描く。
およそ三トンに及ぶExionが、肩口から全質量を叩き込むように巨獣の側面へ激突した。鈍重な衝撃音とともに、魔獣の巨躯が真横に弾き飛ばされる。
同時に機体をその場に縫い留めるように、足首から姿勢制御アンカーが地面に深々と突き刺さった。
ヴシュゥゥゥッ――
衝撃で生じた回転運動を地盤へ食い込んだアンカーが抑え込み、さらにエア噴射が残る回転を相殺する。Exionは横転寸前の機体を辛うじて立て直し、その場に踏み留まりながら猛烈な土煙を巻き上げた。
『外殻の一部に亀裂。追撃を推奨』
コクピットの中でATHENAの音声が静かに響く。
オズワルドには、Exionから神経接続リングを介し、次に為すべき動作が直観的に理解できた。
巻き上げられた土煙が幕のように広がり、視界を褐色に塗り潰す。次の瞬間、その内奥から煙幕を穿つように、白亜の機体が姿を現した。
ウィィィィィン――
脚部の駆動機構が唸りを上げ、展開されたスパイクが地面へ深く突き立つ。
腰部の旋回が生む勢いと機体の全質量を、右拳の一点へ収斂させる。装甲下の人工筋肉が一斉に収縮し、内骨格を走るカーボンシャフトが軋みを上げた。右腕部の駆動装置が破綻寸前を思わせる異音じみた咆哮を上げる。
次の瞬間、Exionの拳が巨大な杭打ち機さながらに魔獣の頭部へ叩き込まれた。
轟砕。
岩石と鋼鉄を一括して粉砕するかのような乾いた破砕音が鳴り響き、魔獣の頭蓋が砕け、白色の破片が四方へ飛散する。
さっきまでそこにあった山羊を思わせる頭部は、《《文字通り》》見る影もなかった。失われた頭部から黒い体液が噴泉さながらに噴き上がり、巨躯は大きく傾いで崩れ落ちる。霧化した魔獣の体液が機体の半身を漆黒に染め上げた。
「な、なんだ……あれ……」
ゼッドが剣を構えたまま、茫然と呟いた。その場に居合わせた冒険者も王国兵も、あたかも時間そのものから切り離されたように静止する。ただ一人、ルナだけが震える唇から掠れた声音を絞り出した。
「白き勇者、蒼き聖剣を掲ぐ――漆黒の魔王を断ち、世界に静謐をもたらさん」
ゼッドが乾いた笑声を漏らす。
「ははっ、伝説の勇者ってかよ」
やがて風が本来の音を取り戻す。西空には茜と紫が滲み合い、没しつつある陽光が土煙と黒血に穢れた戦場を淡い金色へ染め上げていた。
──────────
「Exionは兵器じゃない。盾だ」
《《鋼鉄の棺桶》》を見上げ、彼は言った。
「人間を守るための機体が、人間を守ろうとして動けなくなる。皮肉な話だな」
「どうにかならないのか」
「これから動的負荷分散モジュールを追加する。それと補助推進機構も組み上げる。次の作戦までには、何とか動けるようにする」
「こいつが俺たちの最後の希望だ。よろしく頼む」
「……分かったよ。そのうち、撃てる盾にしてやる」
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静寂の中、ATHENAの声が淡々と響く。
『人類最強の撃つ盾を伝説の勇者と同列に扱うとは非効率ですね』
「……ああ、そうだな」
オズワルドはExionを介し、微かに震えるルナの姿を見つめた。記憶の底にある誰かの面影が重なる。
「見てるか?」
その問いが誰へ向けられたものなのか、彼自身にも判然とはしなかった。
『高速接近物体を捕捉。予測進路、本機現在位置と交差。警戒を推奨』
◇ ◇ ◇
逆光の中、ルナの瞳に映る白き甲冑の巨人は、黒い血と土に染まりながらも白炎のような輝きを宿して揺らめき立っていた。まるで、大地に降りた伝説の断片のように。
焼けた草と鉄に似た臭いが風に混じった。白亜の巨人の足元で魔獣の巨体はぴくりとも動かない。勝利を叫ぶ声はなかった。あまりにも速く、あまりにも一方的で、ルナの理解が追いつかない。
そのとき森の奥で枝が一本、乾いた音を立てた。
ルナは顔を上げる。夕映えを背に、黒いローブの人影が立っていた。頭から布をかぶっているせいで顔は見えない。喉の奥が凍るのを感じた。
――〈勇者〉。
誰も動けなかった。冒険者も、王国兵も、まるで時間ごと縫い留められたように固まっている。少し離れた場所で、騎士団長がかすれた声をこぼした。
「な、なんで斥候から報告がない!」
黒いローブの人影は迷いなく歩いた。魔獣の体液の溜まりを通り、湿った足音を立てる。〈勇者〉は倒れた魔獣の脇で足を止めた。頭部を失った巨体を確認し、すぐ近くに立つ白亜の巨人には目もくれない。やがて向きを変え、夕映えの中を去っていった。




