EP.5 銃声は詠唱より速く
黒い巨獣が地面を蹴った。角を低く構えた巨体がリアムへ一直線に迫る。ルナは杖を握ったまま息を呑んだ。真正面に立つリアムは身を低くし、角が届く寸前で横へ跳ぶ。
巨体の肩が通り過ぎた直後には背後へ回っている。速い。ルナの知っている戦士とはまるで違う。地を蹴るたび、浮いているように跳ぶ。着地した瞬間にはもう次の場所へ移っている。どこか、自分たちの知る理の外にいるように見えた。
「す、すごい……何あの動き……」
「人族の身のこなしではありません」
「獣人族でも無理よ、あんな切り返し。付与魔法?」
「いえ、あんな身体強化見たことがありません。あ、あれは三傑に次ぐ傑物かもしれませんね……」
エルウィンの声に驚きが混じっていた。キリカが緑の瞳を細める。
「三傑……」
魔獣の動きがふいに止まる。
荒れていた戦場から音が一枚剥がれ落ちたように、ルナには一瞬何も聞こえなくなった。巨獣はただ低く身を沈めた。次に何かが来る。そう分かったのに体が動かない。
リアムが黒く短い杖を向けると、乾いた破裂音が二度響き、火花が甲殻の上を滑った。
「短縮詠唱……?」
「い、いえ、詠唱をしているようには見えませんでした」
キリカの問いにエルウィンが目を見開く。でも攻撃が通ってない。魔獣の視線がリアムから負傷者たちへと移ると、口の奥が紫に光った。退きかけた負傷者をまとめて焼き払うつもりなのかもしれない。熱を孕んだ魔力が集まり、膨れ、強大になっていく。
「エルウィンさん!」
「間に合わせます」
魔獣との間には何十歩もの距離がある。それでもルナは肌がちりつくのを感じた。それよりも早く、エルウィンの詠唱が走る。
「トァク・アズェン・ヴェイラ――ザルヴァ・ヘルナ・イェト・グレスク・ラグゼ、ヴェイラ・エス・ディェル・ダルヴェ――ヴァシュケル!」
杖を振ると、見えない壁が負傷者たちの前方へと立ち上がった。直後、魔獣から吐き出された紫焔の狂瀾が風の壁へと叩きつけられる。壁がミシミシと悲鳴を上げるようにきしみ、勢いよく炎がはじけ、衝撃波と熱が辺りを包んだ。
鼓膜を叩くような轟音。視界を焼くような閃光。たまらずルナは目を瞑る。次に目を開いたとき、負傷者を避けるように地面の草が根こそぎ薙ぎ払われ、土と緑の破片が渦を巻いて舞い上がっていた。
「ルナ、合わせて!」
キリカが叫び、流れるような動作で短弓から三本の矢を放つ。
「エジュ・アズェン・イグナ――アルデ・イグナ、ミェラ・ソル・サジル・メレ――ミェザルク!」
リアムの肩越し、角の根元、甲殻の継ぎ目。三本の矢が魔獣へ吸い込まれていくと同時に、ルナの魔力がその軌跡を追った。
付与魔法。
矢は赤い尾を引く流星と化す。
巨獣の露出した関節部や口元に次々と突き刺さり、小さな爆炎を生んだ。倒せてはいない。でも動きは鈍った。
それから何度も攻めては退く攻防が続いた。
「前衛、入るぞ!」
どこからともなく響く怒声。森の木々をかき分けるように重い足音が魔獣に向かって雪崩れ込んだ。戦闘隊だ。魔獣にも引けを取らない巨躯の巨人族がルナの背丈をゆうに超える大盾を構え、魔獣の前へ出る。
「ガドルさん!」
盾の陰から〈暁の道標〉のリーダーが飛び出し、大剣で角の根元を打つ。王国兵たちも槍を並べ、後方の魔導師が一斉に光弾を放った。
崩れかけていた戦線が、かろうじて形を取り戻していく。負傷者のもとへ治療班が駆け寄り、肩を貸して次々と後方へ退避させていく。よかった……。ルナは胸の奥が少し軽くなるのを感じた。
ただ、魔獣は待ってくれない。再びリアムへ突進した。
岩壁のような魔獣をリアムは獣のような跳躍でひらりと躱す。けれど抉れた地面に足を取られ、ほんの一瞬、着地が乱れたのが見えた。「リアム様!」と叫んだ時にはもう遅かった。
◇ ◇ ◇
これまで回避行動を誘導していたATHENAの声音が、突如として調子を変えた。目に装着したコンタクトレンズ型RODに【WARNING】が点灯する。
『警告。左斜め――』
「っ!」
魔獣の後肢の筋肉が爆ぜるように収縮する。
遅い――と、オズワルドは直観した。その刹那、世界が時間伸張する。視界いっぱいに、岩壁じみた蹄の裏が迫った。
思考するより先に身体が動いていた。
迫る蹄――その分厚い足裏に両足を乗せ、蹴撃の勢いに身を委ねる。次の瞬間、巨獣の後ろ蹴りと自身の跳躍が重なり、身体は一気に空へ放擲された。胃腑がふわりと浮く感覚とともに地面が遠ざかり、視界が一気に高みへ跳ね上がる。
「ひゅ……」
自分の喉から出たとは思えない音だった。おいおいおいおい。
十メートル以上。地球重力下では到底あり得ない高度まで、オズワルドの身体は空中へ放り上げられていた。蒼い空と眼下に繁茂する森。遠方には街か何かの外壁が見える。その光景が、スローモーションのように流れていく。
これ、死んだんじゃないか。走馬灯は見えない。なぜならオズワルドの死の予感に反して血中のナノマシンは彼の心拍数、血圧、アドレナリン濃度を適正域に保ち、こんな状況下でさえ明晰な思考を維持する。
『警告。落下姿勢注意。衝撃および骨折リスク上昇』
「ぐっ」
世界が反転した。両腕で頭を庇い、顎を引く。膝を曲げ、落下に備える。次の瞬間、視界が緑へ吸い込まれた。無数の枝が鞭のように全身を打擲し、乾いた音を立てて次々とへし折れていく。
抵抗と衝撃の連打。
最後は太い幹に背中を激しく打ちつけ、肺腑の空気が強制的に搾り出された。
「……っ、がはっ……!」
視界が白黒に明滅する。辛うじて枝に腕を絡ませ、地面へ叩きつけられる事態だけは回避した。が、その余波がまだ全身を打ちのめし、心臓の鼓動が耳中を支配している。
『生命反応、安定。打撲多数、骨折なし。高所からの落下としては“良好な結果”です。Mr.オズワルド』
良好な結果、ね。確かにその通りだ。危うく本当に死ぬところだった。
体中が痛む。葉と土にまみれた視界の端で、何か白いものが木々の間を滑るように接近してくる。
『報告。到着しました』
「……やっとか」
『貴方が予想外の跳躍軌道を描いたため、経路再計算に三・二秒を要しました。責任配分は五十一対四十九で、貴方側が優勢です』
「はいはい、悪かったよ」
木々の陰から、Exionが姿を現した。光学迷彩を肩に掛けながら歩み寄る白い巨躯は、直前まで森に紛れていたとは思えない威容だった。なんとか立ち上がり、機体に掌をかざす。
『スマートリンク確認――パイロット認証完了。おかえりなさい。Mr.オズワルド』
機体の胸部装甲が静かに開き、コクピットがオズワルドを迎え入れた。
中に入ると、視界にステータス一覧が流れる。
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> > UNIT:XN-04 [Code: REVENANT]
> > ELOA CORE OUTPUT : 47.3% (LIMIT)
> > EXTERNAL ARMAMENT : LOCKED
> > MOBILITY / AUTOPILOT : ONLINE (RESTRICTED)
> > WEAPON SYSTEMS: DETECTED......
> > [1] VX-KR "Aegis Carbine"
> > [2] VX-EM Railgun "Lancea Fulguris"
> > [3] VX-Phase Edge Mk.II
> > [4] VX-Phase Lance "Hasta Caelestis"
> > [5] Halo-Shell System Mk.III
> > STATUS: ALL MODULES LOCKED_OUT (WEAPON_OFFLINE)
> >
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機体を自分の手足として動かすには、パイロットスーツと頸部を囲う神経接続リングが欠かせない。リングとスーツ各部の筋電パッドが本人が動きを意識するよりも早く、神経と筋肉からオズワルドの「動こうとする意図」を拾う。
Exionがオズワルドの思考を滑らかになぞった。
『これより、戦闘モードへ移行します。ELOAコア出力:四七・三パーセントに固定。外部兵装ロック。機動・自律制御、制限モードでオンライン』
「急げ。あいつらに残された時間は長くない」
――グゥン……
重々しい起動音とともに、頭部装甲を横切る細いスリットの奥でカメラアイが鋭い蒼光を灯す。人のような眼を持たない無機質な面貌は、慈悲も情動もなく、ただ敵を殲滅するためだけの冷徹な眼光を放っていた。




