EP.45 だから面白ぇんだよ
謁見を終え、重い扉がルナの背後で閉まる。窓から差し込む午後の光が敷き詰められた石の床に長い四角形を描いている。
「リアム様、さっきの三方良し……本当によかったです」
リアムは人差し指を一本立てた。
「……あー、あれな、八割くらいは、精霊様が耳打ちしてただけだ」
「でも、耳打ちされた言葉を話したのはリアム様ですから」
ルナは頬を赤くして視線を逸らし、
「汚物、なんて言い方をせずに、『黒い金貨』って言い換えたのも、すごく印象に残りました」
「まぁ、そのまま『うんちが金になる』とは言えないだろ」
ルナが笑いを堪えるように俯き、リアムもつられて笑った。
窓の外に目を向ける。石枠の向こうには、王都の屋根が折り重なっているのが見えた。足を止め、窓辺に寄る。
昨日歩いた、あの臭い路地。記録で見た病で倒れていった、名前も知らない誰か。
全部を救えるわけじゃない。でも、リアムはこの王都を変えようとしている。
「明日から忙しくなるぞ。職人との打ち合わせに、現場の確認……やることが山ほどある」
「なんだなんだ。俺たちは蚊帳の外かぁ?」
背後からゼッドの声がして、振り返ると〈暁の道標〉のみんなが歩み寄ってきた。
「みなさん……」
「なんだよ、お前ら。盗み聞きか」
ゼッドが「堂々と待ってたぞ」と肩をすくめる。
王に進言する間、みんなには謁見の間の外で待ってもらっていた。
……もう少しだけ二人で話していたかったかも。そんなことを思った自分に気づき、ルナは慌てて眼鏡を押し上げた。
その後、一行は宿へ戻り、夕食が運ばれるのを待つ間に卓を囲んだ。ゼッドが椅子へ腰を下ろすなり身を乗り出す。
「で、王様は何て?」
「まず、公の厠を一棟造る許可が出た」
リアムは謁見で使った図を卓上へ広げた。
「おお、通ったのか」
「でも、簡単ではなかったんですよ」
ルナは謁見で交わされた話を興奮気味に伝える。
その話を聞いたキリカが感心したように眉を上げた。
「よくひっくり返したわね」
昨日まで嫌な臭いをどうにかしたいと歩き回っていただけなのに、リアムは疫病の記録を調べ、王や重臣を納得させ、王様の悩みとはいえ、本当に国を動かしてしまった。やっぱり、すごい人だ。
「リアム様、明日は何から始めるんですか? 私にも教えてください!」
◇ ◇ ◇
夕食を終え、オズワルドとルナは宿の一室で机を挟んでいた。
オズワルドの前には設計図。ルナの前には、必要資材と発注先を書き出した羊皮紙が広がっている。
「木材、石材、石灰、藁……甕は六つでいいんですよね?」
「予備込みで八つ頼む。あと、大工と石工にも話を通しておきたい」
「でしたら、明日の朝に城の方から使いを出してもらいましょう」
「頼む」
ルナが資材表へ書き込む傍ら、オズワルドは図面へ視線を戻した。紐と木板を定規代わりにし、拡張現実上に浮かぶ赤線をなぞって羽ペンを走らせる。
『その勾配では、数日で滞留が生じます』
オズワルドの引いた線の上に淡い光の矢印が浮かび上がる。
「またか、どの線の話だ」
『尿を流す溝です。ここからここまでで、指一本分は高低差が必要です』
「そんなに? これでも傾けたつもりなんだが」
『施工精度を勘案し、誤差を見込む必要があります。設計上は指二本分。多少ずれても、最低限、尿は甕へ流れます』
「……はいはい。じゃあここ、指二本分下げる」
『次は、通気筒です』
「今度は何だ」
『その高さでは、風向きによって臭気が中庭へ逆流します。通気筒の先端は、中庭を囲む石壁より少し高くしてください。――そう伝えれば、職人にも通じるでしょう』
「なるほど、見た目の高さで指定しろってわけか」
横で羊皮紙を確認していたルナが羽ペンを止めた。
「リアム様、藁は城の厩舎から回してもらいます。石灰は、明日石工さんに確認してみますね」
「ああ、頼む」
「はい。あと、木材の量も大工さんに聞いておきます」
ルナは再び資材表へ視線を戻した。
まさかトイレ一つ造るのが、これほど煩雑とは……。
「効率がいいんだか悪いんだか、わからなくなるな」
『二一八〇年なら、夜通し設計する前提で作業を続ける時点で、非効率なことこの上ありません。ただし、ここは地球でも二一八〇年でもない。――現地に技術を定着させるための先行投資と考えれば、評価できます』
「確かにな。神は細部に宿る。よし、今日中に仕上げるぞ」
◇ ◇ ◇
翌日、オズワルドは便器の製作を依頼するため、市街の陶工房を訪れた。奥では登り窯が赤々と燃え、焼けた土と灰の匂いが漂っている。
「いらっしゃいまし」
出迎えたのは、腕まくりした中年の陶工だった。煤けた額には薄く汗が滲み、頬や前掛けには乾いた粘土がこびりついている。
「国王からの依頼なんだが……」
「……ああ。話は聞いてる。何だ、皿か? 壺か? 何をつくればいい?」
「皿といえば皿だが、ちょっと変わったやつだ」
オズワルドは丸めていた羊皮紙を広げた。
陶工の視線が図面をなぞる。そこには、尿と便を分離する便器と、尿を甕へ導く管が描かれていた。
陶工が「……なんだこりゃ」と眉をひそめ、口の端をわずかに引きつらせる。
「便所で使う便器だ。厚さは指二本分くらい。人が乗っても割れないようにしてくれ。あと、便所の台にはめ込めるよう、縁を付けてほしい」
オズワルドが指で厚みを示すと、陶工はその指先を一瞥し、ふんと鼻を鳴らした。手の甲で額の汗を拭い、図面上の窪みを爪でこん、と叩く。
「そこまでは普通だな。この変な窪みと穴は?」
「窪みは尿を受ける方だ。そこへ流れた尿は、この半円状の流し管を伝って甕に集める」
「集めるなら、普通の筒でいいじゃねぇか。なんで半分に割る?」
「尿ってのは、時間が経つと石みたいに固まるんだ。筒だと詰まったら終わりだろ? U字にして木の蓋を被せておけば、詰まった時に蓋を開けて、削り落とせる」
「なるほどな。水垢のこびりつきみてぇなもんか」
オズワルドは「そういうことだ」と頷いた。次に図面の反対側を指で叩く。
「で、こっちの大きな穴は、便を落とす方だ。間の出っぱりは、尿が流れ込まないための仕切りだ」
陶工がしばし図面を睨む。
「便器は六つ。排水用の管は、繋いで使うから三十本ほど欲しい」
「六枚と三十本! うちの窯、そんな変なもんでいっぱいにするのかよ」
後ろで若い職人が素っ頓狂な声を上げ、目を剥く。
陶工が「お客の前で、変なもんって言うな」と若い職人の頭をはたいた。
「……まぁ、形だけなら作れんことはねぇ。だが厠なんだろ。素焼きじゃ汚れも水も吸っちまうぞ」
「表面はつるつるにしてほしい。皿も、穴の縁も、座るところも、U字の管も全部だ。水をかけたら、滑って落ちてくれるくらいに」
「つるつる、ねぇ」
「確か、釉薬って言ったか。あれを、惜しまずかけてくれ」
「……釉薬? たく、贅沢な注文しやがる」
陶工は鼻を鳴らし、
「厚く作って、たっぷり釉薬。焼き加減を少しでも誤りゃ、ひびか反りだ」
陶工は図面を睨んだまま、しばらく沈思した。やがて、口端にわずかな笑みを浮かべる。
「……面白ぇな」
「面白い?」
「こんなもん、今まで焼いたことがねぇ。だから面白ぇんだよ」
オズワルドは思わず笑みを漏らした。Exionを弄っていた頃の自分も、きっとこんな顔をしていた。
陶工は羊皮紙をぐっと自分の方へ引き寄せた。
「割れたら土を変える。反ったら厚みを変える。何枚でも焼き直してやる」
「無茶は承知だが、頼めるか」
「おう! 厠の神様に嫌われねぇよう、ちゃんと焼いてやるよ」




