EP.46 城を支えるのは名もなき仕事
リアムが陶工房へ出向いている間、ルナは王城の中庭で建設予定地を調べていた。厩舎の藁を見せてもらおうと使用人を探していると、夜壺を抱えた赤髪の少女を見つけた。ルナは「あっ」と声を漏らす。
台所裏で見かけた子だ。少女は井戸脇で壺を洗い始めた。
厩舎のことを知っているかもしれない。でも仕事中に呼び止めるのも悪い。近くで待っていると、少女が振り返った。
「何か御用ですか?」
「あ、すみません。厩舎の藁について聞きたくて……あっ、ルナ・アルストロメリアです」
慌てて頭を下げた。
「ネリッサです。藁なら分かりますよ。何が知りたいのですか?」
「よければ藁とは別に、少しお話を聞かせてもらってもいいですか?」
「……は、はい……」
その後、ネリッサが壺を洗い終えるのを待ってから、二人で石段に腰掛けた。
「毎日、こういうお仕事を?」
「はい。夜壺を集めたり、廊下を掃いたり」
「重そうですよね。臭いも……大変じゃないですか?」
「もう慣れました。臭いより、鼻をつままれる方が嫌ですけど」
一昨日、彼女が通りかかったとき、周囲の使用人たちが鼻を覆っていたのを思い出す。彼女は笑っているのに胸が痛んだ。城をきれいにしてくれている人なのに……。
「藁なら、厩舎の古いものを分けてもらえると思います」
「本当ですか! あと、灰もたくさん欲しいんだけど、どこかにあるかなぁ……」
「灰なら厨房にありますけど……何に使うんです?」
ルナは藁と灰の入手先を手記に書き足した。
「王様の許可をいただいて、新しい厠を造るんです! 夜壺を運ぶ回数も減りますし、城の臭いもずっとよくなるはずです」
「え……夜壺を運ばなくてよくなるんですか?」
「全部じゃないけど、今よりずっと減るはずです!」
「凄いです! 早くできてほしいなぁ……」
なぜだか、自分のことを褒められたような気がして嬉しくなる。
ルナが笑い、ネリッサも笑った。
◇ ◇ ◇
オズワルドが陶工に依頼してから、数日が過ぎた。
城郭の石壁に囲まれた中庭には、杭の間に張られた縄が芝生の上に建物の輪郭を描いている。便器を製作している間も、厠の建設を進める算段だった。
「じゃあ、始めようか」
地面に羊皮紙を広げ、風に飛ばされないように四隅を石で押さえる。
周囲には城付きの大工や石工、それに〈暁の道標〉の面々が集まっていた。
親方たちが図面を覗き込み、低く唸った。
「こ、これは……こんな細けぇ図面、見たことねぇ……」
「最初はよ、噂の〈勇者〉が城ん中で変なもん作るって聞いてな。ただのお遊びなら、ぶん殴ってやろうかと思ってたんだが――」
大工の親方が太い指で羊皮紙を叩き、
「この図面見りゃわかる。本気じゃなきゃ、こんなもんは引けねぇ」
周囲の職人たちの眼差しが変わった。
図面を覗き込み、寸法を指で追い、互いに小声で確認を始める。
……〈勇者〉の噂、職人連中にまで広がってるのか。
横のゼッドが「で、どんな塩梅にするんだ?」とオズワルドに訊ねた。
「まず、厠は高床式にする」
「高床?」
「ああ。地面を腰くらいまで掘って、そこから地上までレンガで槽を組み上げる。さらにその上に床を張って、個室を六つ並べる」
エルウィンが図面を覗き込み、口を挟む。
「なるほど。下に便を溜める、というわけですね」
「そうだ。ただし槽は二つ」
オズワルドは図面中央を走る線を指でなぞり、
「六室を三室ずつ二組に分ける。片側三室を使っている間、もう片方は封鎖して溜めた便を寝かせる。一年経ったら交代だ」
「一年も?」
『赤痢やチフスなどの病原菌は数ヵ月で死滅しますが、回虫やサナダムシの卵は半年以上生き延びることがあります。一年置けば、感染リスクは大きく低下します』
オズワルドはATHENAの回答を、職人にも通じる言葉に置き換えて伝えた。
「だから二つ必要なのですね」
「それから、槽には通気筒を付ける。黒く塗って、陽の熱を吸わせるんだ」
「黒く?」
「温められた空気は上に昇る。その流れを利用して、槽の臭いを外へ追いやる」
大工の親方が図面と建設場所を見比べた。
「……要するに、臭ぇ空気は外に逃がして、中身は一年かけて使えるもんに変えるってわけか」
「そうだ。最後には畑の肥料にする」
大工親方が「そいつが、例の黒い金貨か」と、にやりと笑う。
「面白ぇ。だったら、きっちり作らねぇとな」
オズワルドは親方に向かって親指を立てた。
別の職人が図面を覗き込み、便器から外へ伸びる細い線を指した。
「兄ちゃん。じゃあ、この細い溝はなんだ?」
「尿を流すためのものだ。固形物とは混ぜず、こっちの甕に集める」
「わざわざ分けるのか?」
「混ぜると臭いも強くなるし、処理もしづらい。それに、尿は尿で使い道がある」
「使い道?」
『一ヵ月ほど保管した尿は、適切に希釈すれば肥料として利用できます』
「一ヵ月ほど寝かせてから薄めて畑に撒く。濃ささえ間違えなければ、よく効く肥やしになる」
「ほぉ……臭ぇだけの厄介者だと思ってたが、そっちも金になるってわけか」
「あれですね。家畜小屋の近くの草が、よく伸びるでしょう」
エルウィンが補足すると、何人かの職人が「ああ」と首肯した。
ゼッドが「黒い金貨の次は、金の水だな」と歯を見せて笑う。
「その呼び方はやめろ」
オズワルドが苦笑いすると、周囲から笑いが起きた。
石工が呟く。
「本当にそんな仕組みが回るなら、うちの村にも一つ欲しいくらいだな」
「まずはここで実証実験だ。王様の城で使ってるって実績ができれば、いずれはあちこちに建てられるだろ」
『権威の活用ですね。効率的です』
そのあたりは否定できない。
「細かい使い方は、完成してから説明する。今は作るぞ。まずはこの穴だ。深さは俺の腰くらいまで掘る」
オズワルドは羊皮紙を丸めて脇に挟み、足元に立てかけてあった、この世界の鋤に近いスコップを掴んだ。
「おい、お前ら! 〈勇者〉様の厠だとよ! さっさと掘って、城ん中を少しはマシな匂いにしてやろうじゃねぇか!」
大工の親方の声が中庭に響き渡った。
スコップが一斉に土へ突き刺さる。
ゼッドも黙って一本を取り、ルナは袖をまくった。キリカは盛大にぼやきながらも、しっかり土運びの列に加わっている。
ガドルもスコップを手に取ったが、しばらく眺めて首を傾げた。
「……短いな」
「お前がでかすぎるんだよ!」
親方の声に、周囲から笑いが起きた。
土を掘る音。石を運ぶ音。
こうして、図面の上にしか存在しなかった厠が少しずつ形を得ていった。




