EP.44 黒い金貨
王城の謁見の間は、数日前の論功行賞とは趣を異にしていた。
赤い絨毯こそ同じだが、楽団も華美な飾り付けもない。両脇には貴族や官吏、前列には軍装の男たちと僧衣の神官たちが居並ぶ。最奥の壇上には王が座し、その前にオズワルド、セオドア、王国軍の将校たちが列していた。
「リアム・オズワルド」
名を呼ばれ、一歩前に出る。
「陛下からの『お悩み』について、王城と城下を見て回り、記録を拝見しました。その上で、一つ提案があります」
「うむ。申してみよ」
王は疲労の滲む目で、じっとこちらを見据えていた。
「まず、現状からご説明します」
オズワルドは膝ほどの高さの机に地図を広げた。王の側近たちが集まり、覗き込む。昨日巡った場所には印が付されている。
「城郭と城下の排泄物の行き先です。厠からは、この南側の小さな谷へ。その一部は、雨でこの川筋へ流れ込みます」
オズワルドは棒で指し示し、図書堂で調べた記録の一部を示した。
「街では、各家の粗末な厠や夜の桶の中身が、路地の溝や王都中央の川へそのまま捨てられています。その一方で、至近には井戸がある。悪臭や害虫だけでなく、下痢や熱病が頻発する一因にもなっています。この三十年だけでも、ラクナウで大きな疫病が四度。最も酷い年には、人口の一割近くが倒れている」
周囲にざわめきが生じ、貴族たちの視線が資料とオズワルドの間を往復する。
「つまり、王都の現状は陛下のお悩みに留まらず、国力を損なう危険を孕んでいるということです。では、ここからが本題です」
ルナに支えてもらい、あらかじめ図を描いた薄板を立てた。描かれているのは簡素な建物と、その床下に設けられた大きな穴。公衆トイレだ。ただし、単なるトイレではない。
「本来は、王都全域に下水道を敷設するのが理想です。ですが、今の国力では現実的ではない。そこで、まず城郭と城下の要所に公衆厠を設け、民家や店の汚物を路地や川へ捨てず、そこへ集積する仕組みにします」
板に描かれた穴を指した。
公衆厠の床下には二つの溜め場を設け、一方が満ちれば、もう一方へ切り替える。満ちた側には藁や灰を被せて寝かせ、再利用できる状態にする。オズワルドが説明したのは、二槽式のいわゆる堆肥化便所だった。
官吏の一人が「ま、待て」と手を上げた。
「貴殿の指摘が正しいとしてもだ。王城内の厠や溝は今までも汲み取りや掃除を命じておる。城下に新たな公の厠を建てるとなれば、当然、金もかかる。民や都のことを思えば、魅力的ではある。しかし……」
白髪の官吏が続ける。
「民は裕福ではない。明日食うパンで頭がいっぱいじゃ。新しい厠を作り、ここで用を足せ、集めよと命じても、決まりなど守るまい。建てても使われぬなら無駄金よ」
髭を蓄えた将軍が口を開く。
「兵を増やし、魔族の侵攻に備えるほうが先ではないのか。厠の穴を掘るなど、優先順位を間違えておる」
さらに、僧衣の男が静かに口を開いた。
「それに、穢れを溜め、弄ぶことは環の神々の怒りを買うおそれもある。人の出したものは水とともに流して清める。それが古来より伝わる河環神の教えです」
王が小さく嘆息した。
「……元はわしが言い出したことだ。鼻の不満ごときに、ない金も人手も出せぬ……」
国王の一言に、謁見の間の空気が沈んだ。
『さて、ここからが本番ですね』
オズワルドは薄板を寝かせ、一歩前へ出る。
「陛下、私の提案は決して贅沢ではありません」
王と側近たちの視線がオズワルドに集まる。あらかじめ打ち合わせていたセオドアが続けた。
「どういうことですか?」
「一言で申し上げれば――『三方良し』です」
「……三方?」
「はい。国という観点から、私の策で『民・国防・国庫』の三つを同時に満たしてみせましょう」
小さな囁きが生じ、すぐに消えた。
「続けてよろしいですか」
「……そのまま続けよ」
国王の目に興味が宿るのを、オズワルドは見逃さなかった。あらかじめ用意していた羊皮紙をルナから受け取る。
「――まず、一つ目です」
羊皮紙をゆっくり広げ、正面へ高く掲げた。そこには大きく「the people――民」の文字が記されていた。
「『国を支えるは、城ではなく民の息』です。疫病は人を倒し、商いを止め、税を失わせる。これは悪臭ではなく、国力の問題です。病は身分を選びません。やがて兵にも、役人にも、城内にも広がる。民の息が乱れれば、国の心臓そのものが衰えていきます」
その場にいる全員が顔をしかめ、最後の一言に官吏たちが肩を落とした。
「二つ目は、『国を守るは、城壁ではなく兵の躯』」
二枚目の羊皮紙を広げ、「national defense――国防」と記されたそれを高く掲げた。セオドアを筆頭に、将軍や将校たちが一斉に目を向ける。
「兵が病に倒れれば、敵と戦う前に負けます。悪臭と汚水は『見えない敵』です。公衆厠と堆肥の仕組みは、その侵入を防ぐ、もう一枚の城壁になります」
「……見えない敵、か。まさに先の一件もそうであったな」
髭を蓄えた将軍がゆっくりと髭を撫でた。
セオドアが小さく笑う。
「三つ目は――『国を潤すは、剣ではなく穀と銭』」
オズワルドは官吏たちと神官へ視線を送り、三枚目の羊皮紙を掲げた。「treasury――国庫」と太く記されている。
「……どういう意味だね」
白髪の官吏の一人が訝しげに目を細める。
オズワルドは、別の紙に描いた簡単な図を示した。
「現在垂れ流している厠の汚物は、ただの汚物ではありません。正しい方法で混ぜ、寝かせれば、作物を二倍、三倍に育てる『黒い金貨』に変わります」
「黒い……金貨?」
「はい。見た目はただの黒い土ですが、畑に蒔けば穀物がよく育つ。畑が実れば税収が増え、病が減れば治療にかかる費用も、働き手を失う損失も減る。つまりこの策は――民は楽になり、兵は倒れにくくなり、国庫は潤う。だからこそ、『三方良し』なのです」
どこからか、「さ、三方よし……」と声が漏れた。
官吏の一人が声を上げた。
「……しかしだな。場所や費用、管理はどうする」
「まずは城と城下の一角だけで試します。黒い金貨の箱を設け、汚水の流れを変える。その効果を、病人の数と作物の収穫量で三年、五年と見ていただく」
「三年、五年……そんなにかかるのか」
「城を建てるのと同じです。一晩で城はできません。ですが国政というのは……数十年後を見越して石を積んでいく」
神官はしばし考え込んだ。
「……穢れを、水で流すのではなく、土に還す、か……山環神は、大地の恵みをもって人を養う。人の穢れもまた、正しく土に還すのであれば、大地への返礼とも言えるかもしれません」
白髪の官吏が深く息を吐く。
「……もし、本当に病が減り、穀物が増えるのであれば。長い目で見れば、確かに、カネにはなるな」
「陛下」
視線が国王へ集まった。
王はしばし沈黙し、瞑目した。幾度かゆっくりと呼吸し、静かに口を開く。
「……臭い話で、ここまで真剣に話したのは、生まれて初めてだ」
謁見の間に、かすかな笑いが漏れた。
国王はわずかに口元を緩め、オズワルドを見る。
「よかろう。まずは、試しにやってみるがよい」
「はっ」
「リアム・オズワルド」
「はい」
「お主の黒い金貨とやらが、本当に金を生むのかどうか――この目で確かめさせてもらう」




