EP.42 王都の悪臭
オズワルドと〈暁の道標〉が案内されたのは、大広間とは別に設けられた、小さな食堂だった。王が少人数の客を招く際に使う部屋らしい。
中央の長い木机には、大皿料理が所狭しと並んでいる。ところどころに酒壺と燭台が置かれ、揺れる火が銀食器を照らしていた。大広間の宴席ほどの規模ではないが、それでも庶民には縁のない豪華な食事だ。
王はテーブルの奥の中央に座り、その両側にはセオドアや高官、レオンハルト、見覚えのある指揮官たちが並んでいる。王はワインを口に運び、ほっと息を吐くと、蓄えた白い髭を撫でた。
「……すまんな。こういう席は、苦手でな」
笑う王の顔には、疲れが滲んでいた。
エルウィンが、穏やかな声で応じる。
「お疲れのようですね、陛下。ご休息を取るお時間も少ないのでしょうか」
王は苦笑いを浮かべた。
「……最近、どうにも眠れなくてな」
「事後処理が立て込んでいるのですか?」
「それもある。いや、あるのだが……」
王は、ちらりと周囲を見渡し、
「正直に言うと、城中が臭くてかなわんのだ」
ルナが「臭い、ですか?」と聞き返すと、王は首肯した。
「どこから来るのか分からんが、居室にまで入り込んでくる。昼はまだよいが、夜がとくに酷い。窓を開ければ外から入り、閉めれば中にこもる。まったく、かなわんよ……」
オズワルドは心の底から同意だった。この世界の建物の換気はほぼ力任せだ。
セオドアが、横から口をはさんだ。
「陛下。こちらのリアム・オズワルド殿は、今回の一件の立役者でして。陛下の救出作戦を立案したほか、ギルドを利用した輸送網まで考案されたお方です」
「おお、それは心強い」
卓を囲む面々の視線がオズワルドに集まる。
気づかないふりをして、ワインを口に運んだ。芳醇な香りが鼻を抜ける。
『提案。この件を解決できれば、城内の生活環境は改善されるでしょう。加えて、王国中枢との継続的な関係構築も期待できます。長期的に見れば、効率的な投資です』
確かにATHENAの言う通りだ。改善の余地もある。オズワルドは心の中で盛大にため息をつき、椅子から立ち上がった。
「陛下。その臭い、なんとかしてみましょうか」
卓の反対側では、ゼッドが「やっちまえ」と言わんばかりの顔をし、キリカは早くも何かを計算している。ルナは目を輝かせていた。
こうして、王都の臭いをどうにかする地味な戦いが始まった。
◇ ◇ ◇
食事会が終わったあと、ルナたち〈暁の道標〉はいったん解散することになった。
王城の客間へ続く廊下で、ゼッドが「詳しい話は、夜に宿でな」と締めくくった。
今回の論功行賞に招かれた〈暁の道標〉には、城郭のすぐ近くにある豪勢な宿が用意されていた。街中の宿とは違い、一人一部屋で、付き人までつく。ルナが「様」付けで呼ばれることなど、今までほとんどなかった。ちなみに、ベッドはふかふか。
「それで、リアム様はどうされます?」
ルナがリアムへ顔を向けると、彼は肩をすくめた。
「まずは臭い、だな」
「……ですよね!」
ルナは目を輝かせる。やっぱり行くんだ。王様との食事中にあんなことを言い出した時点で、本気なのだろうとは思っていた。だったら――
「あ、あの。でしたら、その……わ、私もご一緒してもいいでしょうか! リアム様お一人では、色々と大変でしょうし……」
ローブの袖を握り、前へ出る。
別に変な意味はない。調査なのだから、人手は多い方がいい。それに、自分だって魔導士として何か役に立てるかもしれない。うん。そういうことだ。
「おや、おやおや~?」
振り向くと、キリカがにやりと口の端を上げながらルナの肘をつつく。
「王都デートぉ?」
「ち、違います! デートではありません! 調査です!」
ルナは慌てて両手を振る。声が少し上ずってしまった。なんでそうなるんですか!
横でエルウィンが困ったように笑う。
「まあまあ、ルナも色々勉強になるでしょうし、悪くないと思いますよ」
ゼッドが「がはは」と笑い、ルナの肩をぽんと叩いた。
「市場! 屋台! 儲かりそうな商売を調査してくるわ!」
キリカはすでに別のことで頭がいっぱいらしい。
エルウィンが「では私も、少し城下の様子を見てきます」と一礼して廊下を去っていく。
ガドルは「……肉の店を、探す」と、岩みたいな背中をゆっくり揺らしながら歩いていく。ゼッドも足早に去っていった。
ルナはみんなの後ろ姿を見送った。リアムの顔を見上げると、視線が合った。ルナは慌てて目を逸らす。
べ、別に変な意味じゃありません……。
◇ ◇ ◇
案内役の衛兵がオズワルドとルナを城内の一角へ導いた。
「こちらが、厠でございます」
扉はなく、アーチ状の入口から糞尿の臭気が漏れ出していた。中へ入ると、小窓から差し込む光が薄暗い室内を朧げに照らしている。石床は湿り、壁には古い染みが幾重にも残っていた。
部屋の奥には腰ほどの高さまで石を積んだ仕切りが並び、一人ずつ使える半個室になっていた。中には、厚い木板の中央に丸い穴を開けただけの便座がある。
オズワルドは衛兵を見やる。
「下はどうなっている?」
「えっと、真下が城外の窪地に繋がっております。窪地に溜まったものを外から掻き出す仕組みです」
「なるほど……掻き出したものは?」
「城壁の外側に谷がございまして……月に一度ほど掻き出して、そこへ運んでおります。ただ、人手が足りず、二ヵ月、三ヵ月そのままになることも……」
衛兵が気まずそうに目を逸らす。
隣ではルナが懸命に平静を保っていた。臭いのだ。とてつもなく。眼鏡の奥の紫の瞳が潤んでいる。
『典型的な落下式です。固形物と尿が混ざったまま堆積し、日光も風も届かない。そのため分解が遅滞し、掻き出しも不定期で臭気が滞留します。尿と固形物を分離し、空気が通りやすくなれば、臭いは軽減できます。現状の処理方式は非効率ですね』
廊下へ出ると、城内の空気さえ清浄に感じられた。
「他にも、台所の裏や召使い用の通路に簡易なものがございますが……ご覧になりますか?」
「ああ、全部見せてくれ」
衛兵が目を丸くし、「……物好きでいらっしゃる」と苦笑した。
三人は次に台所へ向かった。裏手の外通路には溝が掘られ、肉を捌いた際の血や洗い水、それに得体の知れない塊が流れていた。
「ここは、城の外の川へと繋がっております」
『溝は中庭の端を抜け、城壁の下を通って外の小川へ繋がっています。そこから街の中央を流れる川へ合流し、城内の汚水の大半が下流へ運ばれているようです』
「問題は、その下流の水を誰が使ってるかだな」
『洗濯、農業用水、場合によっては飲料水にも。上流の城が汚し、下流の民が使う。典型的な構図です』
そのとき、台所裏の外通路を、夜壺を抱えた若い女が通りかかった。鮮やかな赤髪が目を引く。周囲の使用人たちは顔をしかめて鼻を覆ったが、女は慣れた様子で俯いたまま歩いていく。
オズワルドとルナは、その背中を目で追った。
あれも、城を支える仕事の一つなのだろう。
その後も城壁の上から裏庭を確認し、廃棄場までの経路を辿った。城壁の外側にある窪地には、厠から運び出された糞尿や藁、ごみが堆積し、黒ずんだ山を成していた。その周囲を蝿の群れが飛び交っている。
『内部は低酸素・高湿度で、病原体の温床になりやすい環境です』
オズワルドは臭気に耐えながら、周囲の地形を頭に叩き込んだ。
城郭をひと通り見終えると、衛兵が口を開く。
「本当に、城下まで見て回られるのですか」
「ああ、原因になりそうな場所は見ておきたい」




