EP.37 厄災を砕く者
「リアム……どうすればいい」
ゼッドの問いに、みんながリアムに顔を向けた。
ルナは杖を握ったまま、みんなの視線を追う。いくらリアムでも、あんなのは無理だ。師匠と二人で張った第四環位の障壁でもぎりぎりだった。
リアムは胸壁の脇へ全員を集めた。
「俺が魔導鎧を持ってくる。戻るまで、あいつを引きつけてくれ」
勇者捕獲作戦のときに見た白亜の巨人。速く、強かった。けれど、目の前の厄災級はあの鎧さえ小さく見えるほど大きい。あの光をもう一度吐かれたら。リアムが来るまで持ち堪えられなかったら、どうすればいいの。ルナは訊きたいことばかりが浮かび、声にならなかった。
「そりゃ、最悪な作戦だな」
「最悪でも、今ある手札の中じゃこれしかない。他に案が出るなら今だ」
ゼッドの苦笑いに、リアムは冗談でも言うように肩をすくめて親指を立てた。
「大丈夫だ」
リアムは笑っていた。とても上手とは言えない不器用な笑みに、誰からともなく笑いが漏れ、気づけばみんな笑っていた。
「くくっ。分かった、分かった。アンタが魔導鎧を持ってくるまで、もたせればいいんだな?」
ゼッドが確かめると、リアムは頷いた。
セオドアが小さく息を吐いて苦笑いを零す。
「あなたは冗談なのか本気なのか分かりません。……ですが、他に頼みの綱はありません。その魔導鎧がどれほど強力かは分かりませんが、信じましょう」
リアムは身を翻し、北門へ向かって外壁の上を駆け出した。兵たちの間を抜ける背中をルナは杖を握り締めて見送った。
◇ ◇ ◇
門の前には北王国の兵と〈暁の道標〉、まだ戦える冒険者たちが集まっていた。通りの奥まで隊列が続き、千人は優に超えている。カーンプルのA級冒険者パーティの姿もある。あの人たちも、きっと初めてだ。あんな怪物と戦うなんて。
隣のエルウィンが口を開く。
「大丈夫です、ルナ。私の後ろで支援に回ってください。攻撃は王国の魔導兵に任せ、いざというときのために魔力を温存しましょう」
「は、はい!」
頷いて師匠の背後へ回ると、前列には大盾を立てたガドルがいた。キリカが矢筒の口を確かめ、ゼッドは門の脇で兵たちと言葉を交わしている。さっき感じた魔獣の魔力を思い出す。ルナは手の震えが抑えられなかった。
「いいですか! もう少しで巨人族の方たちが到着します。それまでは、ガドルさんを先頭にあの魔獣を囲みます!」
セオドアは木箱の上からよく通る声を張り上げる。けれど、脚が震えていた。
あの人も怖いんだ。
見上げる兵たちの間でも、槍先が小刻みに揺れている。逃げ出したいのは自分だけじゃないのかもしれない、とルナが杖を抱え直したとき、セオドアが深く頭を下げた。
「申し訳ない……あなたたちの命を、私に預けてください」
セオドアの謝罪に兵たちは顔を見合わせ、やがて一人が堪えきれないように吹き出した。
「元帥が頭下げるなよ!」
「不死身のセオドアについて行くぜ!」
「足震えてんじゃねーか!」
笑いが隣の列へ広がり、兵の一人が槍を高く突き上げた。つられて武器を掲げる者が増え、セオドアの名を呼ぶ声が重なっていく。
「……みなさん……」
顔を上げたセオドアが、集まった兵と冒険者を見回した。頬の涙を拭うと剣を抜き放って夜空へ掲げる。
「よいか! 門の外にいる魔獣は、北王国を脅かす厄災である! 皆の者、北王国の魂を見せよ!」
千人を超す声が一斉に上がり、ルナは肩を震わせた。すごい。胸の内側まで響いてくる。最前列のガドルも、盾を持ち上げて吼えていた。
「雄叫びを上げよ!」
ゼッドが大剣を掲げ、キリカが声を張り上げる。ルナも杖を持ち上げ、息の続くかぎり叫んでいた。うまく息を吸えずにいた胸に、夜気がいっぱいに入って、冷えていた指先まで熱くなっていく。
◇ ◇ ◇
門を出て、近くで松明に照らされた厄災級を見た瞬間、ルナは息を呑んだ。もう、魔獣なんて呼べるものじゃない。足が震える。こんなの絶対無理。
「突撃!」
セオドアが剣を掲げ、ガドルとゼッドの横へ並ぶように駆けていく。周囲の兵士たちも一斉に前へ出て、松明の光が何本も揺れた。
「必ず後ろを離れないでください!」
エルウィンの声が飛ぶ。キリカが列からそれて矢を放ち、ガドルの大盾の隙間からゼッドが大剣を振るう。けれど、どれも外殻に阻まれ、弾かれてしまう。
「周りの魔獣にも注意してください!」
その後も兵たちは距離を取りながら周囲を囲み、隙を見て槍を突き出した。セオドアの合図で一斉に退くと、入れ替わるように魔法が炸裂する。火と土煙が巨体を包んだ。それでも、厄災級は意にも介さない。わずかに身じろぎしただけで地面が揺れ、近くにいた兵士が何人も宙へ放り上げられた。
「死にたくなければ正面に立つな!」
セオドアの怒鳴り声が聞こえた。あちこちで怒号と悲鳴が重なり、人が入り乱れて、ルナにはもう何が何だか分からない。慌ててエルウィンの背を探す。そのとき、門のほうから低く長い角笛が響いた。
振り返ると門の中から大きな影がいくつも現れる。
巨人族だ。
ガドルより頭ひとつ小さい者もいれば、ほとんど同じ高さの者もいる。木を切り出したような棍棒や、大人ひとり分はありそうな斧を手にした巨人たちは、迷う様子もなく兵士たちの間を進んだ。彼らは厄災級の前まで行くと、大盾を並べて自分たちの体を壁にするように前線へ立った。
◇ ◇ ◇
厄災級がゆっくりと前肢を持ち上げる。白い巨体が起き上がり、月に覆いかぶさるみたいに見えた。
「さがれー!」
前肢が地面へ叩きつけられた。足元から突き上げるような衝撃が走り、巨人族の後ろにいた兵士たちが土砂とともに宙へ浮く。少し離れていたルナの体まで持ち上がり、着地した拍子に膝が崩れかけた。
顔を上げたときには、ガドルが飛び出していた。大盾を掲げたまま前へ踏み込み、巨獣の頭部へ体ごとぶつかっていく。
次の瞬間、白い巨体と大盾が激突した。
厄災級の巨体がわずかに押し戻される。けれど次の瞬間、ガドルの肩ががくりと落ちた。衝撃を受けた片脚も踏ん張れず、体が傾く。近くにいた巨人族のひとりが慌てて腕をつかんで引き戻すと、ガドルは勢いのまま仰向けに倒れた。
「ガドル!」
エルウィンがすぐに駆け寄り、膝をついて治癒を始める。けれど、ガドルの脚は曲がっちゃいけない方向に曲がっていた。見ているだけでルナの喉が詰まる。
なのにガドルは大盾から手を離さなかった。エルウィンが止めるより先に上体を起こし、左手の盾を右手に持ち替える。治りきっていない脚を引きずるようにして、それでもまた立ち上がった。
大盾を前に構えた背中を見た瞬間、ルナにはガドルが昔話に出てくる伝説の巨人と重なって見えた。
そのとき――
「え?」
頭上を何かが飛び越えた。
人影は厄災級の頭部へ飛びつき、白い外殻を片手でつかむと、振り上げた拳を叩き込んだ。轟音とともに亀裂が走り、白い破片が飛び散る。
「う、嘘……」
松明の明かりの中に、擦り切れた黒衣が一瞬だけ浮かび上がる。丈の長い外套に深いフード。裾も袖もぼろぼろに裂け、風を受けて激しくなびいていた。
厄災級が頭を振り回しても離れない。しがみついたまま、狂ったような速さで何度も拳を振り下ろす。槍も魔法も通じなかった相手を素手で殴っている。
その光景に、近くにいた兵や冒険者たちが呆然と目を奪われた。近くの兵士が掠れた声を漏らす。
「……〈勇者〉だ」




