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EP.36 夜闇より来たる厄災

「他の門は?」

「新しい連絡はありませんが、突破されたという報告もありません」


 魔報手は受音筒を耳へ当て直し、羊皮紙へ視線を戻した。王城の指揮所へ帰還したオズワルドたちは、セオドアとともに長机を囲んでいた。オズワルドが机の脚へ斧を立てかけた、そのときだった。ルナが不意に顔を上げる。


「ぎ、儀式魔法ですかね」


 眼鏡を押し上げかけた手が止まり、彼女の紫色の瞳がエルウィンを捉えた。

 エルウィンはテントの外に意識を向けたまま口を開く。


「こ、こんな魔力のうねり、感じたことがありません……」


 オズワルドには何も感じられず、二人へ訊ねようとした矢先、受音筒を押さえた魔報手が声を張った。


「西門から緊急信号が入りました!」

「突破されたのか?!」

「いえ! 緊急信号のみです!」


 ゼッドが長机へ手をつき、セオドアは続報を待つように片手を上げた。しばらく応答を送っている間も、続きを読み上げる声はない。〈魔報〉は所詮いくつかの決まった信号しか送れない。西門の詳しい状況までは分からない。


「ATHENA、鷹の目(イーグル・アイ)を上げろ」


 ROD(視覚インターフェース)に映る映像が、鷹の目(イーグル・アイ)からのものへ切り替わった。暗闇の中、木々の影が急速に遠ざかっていく。そのまま壁上の篝火を捉えながら王都の外壁に沿って西門まで飛行すると、篝火の届く範囲に巨大な何かが映り込んだ。


 夜闇の向こうで火矢の明かりが一瞬だけその何かを照らし、外壁の外に並べられた柵が音を立てて倒れる。なんだ、魔獣か? 全貌が見えない。鷹の目(イーグル・アイ)の映像を拡大しても、闇の中に浮かぶのは輪郭の一部だけだった。


 壁と比較して何とか大きさを把握する。

 おそらく、昼間に打ち倒したA級よりさらに大きい。


「なんだ、これは」

「リアム殿も感じるのですか?」


 エルウィンの問いに、見えているものを説明しようにもどう言葉にすべきか決めあぐねる。


『ドローンは使い魔ということにしてください。ここで説明に時間を費やすのは非効率です』

「使い魔の目を通して見ているんだが、A級よりもでかい魔獣がいる」

「A級よりも?」


 長机を囲む将校たちが互いに顔を見合わせる。エルウィンは西の方角を見据えたまま、口を開いた。


「厄災級かもしれません……」

「厄災級?」

「ええ、たしか五十年ほど前、北西の北王国(ノルド)と西連邦(ウェスラ)の国境付近に現れ、二か国で対処に当たったと聞いています」


 セオドアが続ける。


「わ、私も聞いたことがあります。突然現れ、周辺の村や街をいくつも灰に変えたと。百日に及ぶ戦いで多大な被害を出し、〈勇者〉が現れてようやく討たれたそうです……もし同じような厄災級だったとしたら……」


 その先の言葉は、言わずもがな、その場にいる全員が容易に想像できた。


「公爵の兵は?」

「おそらく、早くても明日です。兵を西門に集める余裕はありません……」


 セオドアは剣帯を締め直し、


「私も現地へ向かいます。各門の報告は西門にも回してください。〈暁の道標〉の皆さんもお願いします」


 一同が馬車へ分乗する。御者が手綱を打つと、王城を出た馬車の車輪が石畳を激しく叩き、西門へ走った。



     ◇     ◇     ◇



 西門に到着したオズワルドたちが外壁の上から平原を見ると、深い夜闇の中、火矢の光がその輪郭を浮かび上がらせていた。

 四つん這いらしい巨躯。白い。その足元で何かが激しく暴れ、獣の鳴き声が闇を裂いた。次の瞬間には巨影へ呑み込まれ、湿った咀嚼(そしゃく)音と骨の砕ける鈍い破砕音が響く。さらに、太い前肢のようなものが伸び、他の魔獣を地面に押さえ込んだ。


 暗闇に阻まれ、細部までは判然としない。それでも、何をしているのかだけは分かった。

 周囲の魔獣を喰っている。


「なにあれ……」


 キリカが息を漏らすように呟いた。

 白い巨塊は、地へ伏した状態ですらガドルの背丈を凌駕していた。そのとき、前肢が地面を離れ、巨体が緩慢に上体を起こした。徐々に直立していくそれに引かれるように、オズワルドの視線も否応なく上方へ持ち上がる。


 二本の脚で完全に起立(きつりつ)すると、その頭部は王都の外壁を上回る高さへ達した。

 全高、十メートルか。

 外壁上の篝火に照らされ、全貌が露わになる。城壁上の弓兵が火矢を射るも、矢は白い表層を虚しく滑り、そのまま脚元へ落下する。全身を覆っているのは、岩石と骨と甲殻を強引に圧着し、一枚の装甲板へ成形したかのような白色の外殻だった。継ぎ目からは蒸気とも霧とも判別しがたい気体が漏出し、胸部を這うように流れ落ちている。


 脚と呼ぶことすら躊躇われる、門柱を幾本も束ねたような支柱が大地を探るように一歩踏み出した。岩塊を継ぎ合わせたような頭部には、鼻も耳もない。ただ二つの黒い孔がこちらへ向けられている。

 A級魔獣は、まだ「巨大な生物」の範疇に収まっていた。こいつは山塊の一部を切り取り、そこへ無理やり脚を生やしたように見える。厄災級魔獣の頭部がわずかに下がった。


「ルナ! 合わせなさい! 我は世界に四つの環を刻む者なり!」


 不意にエルウィンが声を張り上げ、ルナは弓兵の間へ杖を突き出した。


「エジュ(一の)・アズェン(環)・アウナ(水)・イェト(と)・イグナ(炎を)――サルメ(鎮めよ)。トァク(二の)・アズェン(環)・ヴェイラ(風)・イェト(と)・ゼルガ(雷を)――レセ(散らせ)」


 ルナの声にエルウィンの詠唱が重なる。


「シェド(三の)・アズェン(環)・ルミア(光)・イェト(と)・ノクタ(闇を)――クレ(封じよ)。ヌェル(四の)・アズェン(環)・ガイラ(大地)・イェト(と)・グレシア(氷を)――ラグゼ(退けよ)」


 外壁前方に光の輪が次々と顕現し、幾重にも重なっていく。六角形のパネルが隙間なく並び、背後には薄布めいた光の幕が広がった。黒い紋章が浮かぶ面まで重なると、鏡面のリングが全体を囲み、巨大な魔法の壁が立ち上がる。


 厄災級の閉ざされていた口元から赤紫の光が漏れ出し、白い胸部を妖しく照らす。オズワルドの背筋に悪寒が走った。


「「アズェン(環よ)・ラウゼ(重なりて)、ケルム(境界を)・キェナ(ここに結べ)――ヌェラズケルム(四界封環障壁)!」」


 重なった声が響くうちに、視界が閃光に塗り潰された。

 厄災級から放たれた赤紫の奔流が、光線束(レーザービーム)さながらに魔法の壁へ叩きつけられ、光の輪が大きく歪んだ。

 正面で押し止められた赤紫の光は無数の筋に裂け、魔法の壁の表層を縦横に疾走し、外縁へ達した光条が四方へ爆ぜる。

 その一部が外壁を越え、オズワルドの背後へ降り注いだ。遅れて襲来した轟音に胸壁が震撼し、オズワルドは反射的に頭を庇って身を伏せた。


 やがて、身を起こして市街を見下ろすと、屋根が吹き飛び、何本もの火柱が見えた。まるで航空攻撃(エアストライク)を受けた市街地だ。直撃していたら、門も城外の兵も消し飛んでいたんじゃないか。


 隣ではルナが杖を握り締めたまま荒く息をついていた。エルウィンは厄災級魔獣を凝然と見据え、掲げた杖を下ろしていない。


「ATHENA、戦力分析」

『この世界の投射兵器による阻止は困難です。近接武器による攻撃も現実的ではありません。さらに、あの個体が外壁の突破を開始した場合、現状では有効な阻止手段がありません。Exion(エクシオン)の到着予測時間は約三十四分です』


 視界の端に経路と残り時間が表示された。


「……あれを壁に近づけてはなりません。巨人族(ハイ・ジャイアント)の方たちが到着次第、打って出ます」


 セオドアの声に、ゼッドが厄災級魔獣から視線を逸らさず、低く問い返す。


「打って出るって……どうするつもりだ。あんなの」


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