EP.35 北門防衛戦
『予測損耗率は一五~二二パーセント』
つまり、ここにいる二九〇人のうち、何十人かは確実に死ぬということだ。
『近接用の質量兵器としては有効です。ただし、その薪割り斧では非効率です』
オズワルドは軍用拳銃とは別に、薪割り用の斧を手にしていた。手頃な短剣は見当たらず、剣を扱った経験もない。近くにあった得物がこの斧だけだった。斧を握るのは、ボーイスカウトのとき以来だ。
「弓隊、第一撃準備」
後方、外壁の上から将校の号令。
「――放て!」
その声と同時に、一斉に弦の音が響く。無数の矢が空に幾重もの黒い弧を描き、矢雨となってA級魔獣へ降り注ぐ。その巨躯へ次々と突き刺さった。
続けて、後方の魔導士たちによる詠唱が重なると、赤と青の光条が先ほどの矢の軌跡をなぞるように奔った。膨れ上がった炎弾が巨獣を丸ごと呑み込み、地面が爆ぜる。濛々たる煙が一挙に立ち上り、一瞬、その巨体が完全に視界から消えた。
どこからか、一人の兵士の声が聞こえた。
「やったか?」
だが、煙幕の向こうで巨大な影が動いた。
ゆっくりと、一歩。
煙を割った巨体の一部は、黒く煤けていた。その姿を認めた瞬間、オズワルドたちは全速力で駆け出した。一気呵成に巨獣との間合いを詰めていく。
最初に異変を察知したのは、後方から追随する魔導士たちだった。
堰を切ったように、一斉に詠唱を開始する。オズワルドたちの前方に光輪が次々と顕現し、幾重にも重なって一枚の壁を形成していった。
「止まれぇ!」
ゼッドが叫んだ、その次の瞬間。
閃光。
凝縮された魔力の奔流が甲高い音と共に、魔法の壁へ正面から激突した。分断された光線が無数に飛散し、壁の表面を縦横に走る。魔法の壁に守られていても、あまりの熱量と眩しさに、オズワルドは思わず両腕で顔を覆う。
だが、その攻撃は知っている。光線が途切れると同時に切り込む。
しかし、兵士たちはそうはいかなかった。光線が霧散してもなお、その顔には露骨な絶望が浮かび、足が止まり、口を開けたまま凝然と立ち尽くす。
その硬直した意識を叩き起こすように、ゼッドが怒鳴った。
「距離を開けたら死ぬぞ!」
真っ先に動いたのはガドルだった。オズワルドも一度大きく息を吐き、再び地を蹴る。
巨獣の正面へ到達したガドルが重心を低く沈めた。大盾の下端を土へ深く食い込ませる。全身の筋肉が一本の鎖のように連動し、瞬時に緊張していくのが分かった。巨獣が大地を踏みしめ、その巨体ごとガドルへ倒れ込んできた。
「ガドル!」
巨獣の肩が大盾へ激突した。木と金属が、軋みとも悲鳴ともつかない音を上げる。大盾の縁が土を抉り、ガドルの靴底が地面へ深く沈み込んだ。全身の筋肉が今にも断裂しそうなほど膨れ上がる。
それでも、彼は寸毫も退かなかった。
ゼッドと他の兵たちも、その好機に呼応して巨獣の足元へ潜り込む。オズワルドは無我夢中で斧を振るった。その隙を縫うように、ゼッドの大剣と攻撃隊の槍が巨獣の肉へ深々と食い込んでいく。
「ぼ、冒険者ってあんなに強いのか……?」
兵士の一人が、呆然と呟いた。
「巨人族の兄ちゃんといい、赤髪の兄ちゃんといい……」
「あの姉ちゃんも、矢を拾いながら切れ間なしに射てやがる」
「もう一人のは何の魔法だ? 足に羽が生えてるのか?」
キリカが次の矢をつがえ、魔導士が短い詠唱を紡ぐ。ガドルは大盾へ寄りかかるようにして僅かに呼吸を整え、すぐさま再び構え直した。
攻めては退き、受け止めてはまた踏み込む。
戦いは、熾烈な押し引きの反復だった。
◇ ◇ ◇
魔獣の群れの左方に、一本の光柱が立ち上った。
「エルウィンだ」
ゼッドが横たわるでかぶつの頭部へ大剣を突き立てた。刃が深く沈むと太い脚が一度だけ跳ね、地面を掻いていた爪もやがて動きを止める。
目の前に荷車が到着すると、負傷者たちが次々と収容されていく。立ち上がれない仲間の前へ膝をつき、涙を流す兵の姿。仲間の肩を揺さぶり、幾度も名を呼ぶ兵士の声が、荷車の軋みに混じっていた。
そういえば、戦場をこうしてまともに見るのは初めてだったな。
火星でも月でも人類は敗北した。
黒に覆い尽くされていく地表を前に、遺体はおろか認識票すら回収する余裕がなく、戦線離脱した。
『鷹の目からの情報。残る四体の巨獣と、後続の友軍部隊が交戦中です。A級個体と交戦している部隊にはただちに援護が必要です。なお、魔獣の群れの大部分がエルウィン氏の展開する魔力場へ集結しています』
周囲へ視線を巡らせると、いつの間にか後続の兵が門の外に出て、戦場の兵力は当初の倍ほどに膨れ上がっていた。新たな盾が他の巨獣と交戦する部隊へ運び込まれる一方で、穂先を失った槍を引きずり、門へ退いていく者もいる。オズワルドは粘つく薄緑色の血を手から拭い、ゼッドへ顔を向けた。
「エルウィンは大丈夫なのか?」
「分からねぇ。初めて見る魔法だ。急いだほうがいいだろう」
ゼッドは大剣を引き抜き、刃にまとわりついた血を振り払うと周囲へ向けて声を張り上げた。
「群れはあの光の柱に向かってる! 残りのA級をやるぞ、急げ!」
地面に突き立った矢を拾い集めていたキリカが顔を上げた。鏃に付着した土を払い、まだ使える矢だけを選別して矢筒へ戻していく。ガドルは革帯を締め直し、腕を通した大盾を再び持ち上げた。
◇ ◇ ◇
もう一頭のA級魔獣を仕留めると、オズワルドたちは間を置かず門内へ引き返した。
「目標の排除は完了だ。狼煙を上げてくれ。巨人族たちと陽動隊を助ける」
将校が部下へ号令を飛ばし、ほどなくして外壁の上から濃密な煙が立ち昇った。
すでに儀式魔法の光柱は消失している。だが、鷹の目から送られてくる映像には百人ほどの巨人族が円陣を組み、その周囲を数千の魔獣が埋め尽くす光景が映し出されていた。
巨人族の棍棒が振り抜かれるたび、飛びかかった魔獣が数体まとめて宙を舞う。その巨躯自体がさながら堅牢な城壁だった。それでも数が違いすぎる。倒しても倒しても後続が押し寄せ、円陣は徐々に圧迫され、その直径を縮めていた。
その中心では、エルウィンと数人の魔導士が傷ついた巨人族から巨人族へと奔走し、休む間もなく治癒魔法を施している。巨人族たちの顔にも、疲労の色が如実に滲んでいた。
「弓隊はこのまま外壁を死守! 私は援軍を救出する!」
将校の号令を受け、まだ動ける兵たちが次々と集結し始めた。
ただし、ガドルだけは傷が深い。本人は当然のようについてこようとしたが、ゼッドがその腕を叩いた。
「お前、そもそも馬に乗れねえだろ」
ガドルは何か言いたげにゼッドを見下ろしたものの、結局は反駁せず、その場へ腰を下ろし、静かに治療師の治癒を受け入れる。
オズワルドたちは将校とともに、なお戦闘可能な兵を率いて北門から飛び出した。馬蹄が大地を激しく叩く。
丘陵に近づくにつれ、前方の景色が次第に黒く染まっていった。
魔獣だ。
将校が剣を高々と掲げた。
「騎兵、前へ!」
重騎兵が一斉に馬腹を蹴り、長大な騎槍を前方へ倒す。幾重もの蹄音が一つの轟音へ収斂し、重騎兵はそのまま魔獣の群れへ鋭く突き刺さった。オズワルドたちも、騎兵が穿った間隙へ飛び込んだ。
「エルウィン!」
巨人族の円陣へ到達すると、救援部隊は即座に隊列を再編する。巨人族を壁として負傷者を内側へ収容し、襲いかかる魔獣を押し返しながら戦闘後退に移る。
やがて、追撃してくる魔獣の数が目に見えて減り始めた。外壁に近づくにつれ、次第に群れとの距離が開いていく。空を見上げると日は西へ傾き、長く伸びた影が城壁へ落ちていた。




