EP.3 勇者を観測せよ
テントの外で《《行為》》が終わるのを待つ間、オズワルドはルナと宿営地の中を巡った。どう見積もっても、この世界の文明水準は自分の世界とは違う。おそらくは中世相当――そんなところか。
しかしかなり大規模な軍事作戦らしい。テントの数から少なく見積もっても千人以上……いや、二千人以上が動員されている。中には明らかに人間ではない者が混じっている。
「ATHENA、あれどう見える」
『暫定解析。形態的特徴は、地球圏の創作物における“獣人”に近似。特殊メイク等の外見的偽装である可能性は低く、地球人類とは異なる生物種であると推定します』
ATHENAの解析に両手を軽く広げる。
だが、それ以上に意識を奪ったのは、辺りに滞留する臭気だった。焚き火の煤煙に馬糞、汗の染み込んだ衣服、長らく洗われていない皮膚の脂臭が渾然と混じり合っている。人間と馬をこれだけ密集させれば、当然こうなる。
すれ違う兵士たちは、オズワルドを珍奇なものでも見るように、まじまじと見た。まあ、こんな格好じゃな……。
「……さっき撃ち倒したのは新型のVirethか?」
『断定はできませんが、否定的です』
二一八〇年。人類は自ら作り出した兵器によって幕を閉じようとしていた。赤い大地の惑星改造が成功しておよそ百年。火星への天体衝突で敵味方識別が故障し、人間を敵性対象と認識するようになった奴らは火星、月、そして地球へと到達した。
Vireth。火星人類が開発した有機戦術生命体の総称。自律し、学習し、増殖する。睡眠も迷いもなく、人間を殺し続けるために人間が作った生物兵器。
『外皮成分、有機素材ほぼ一〇〇パーセント。目視では金属繊維は確認されませんでした。既知のVireth個体との適合率、三パーセント以下。別系統の生物と見なすべきです』
少なくとも、あの怪物とは別物か。
◇ ◇ ◇
「はじめまして。エルウィン・シルヴァと申します」
男は頭部に備わった異様に長い耳を微かに震わせると、静かに右手を差し出した。長耳に色白の肌。鮮やかな青い瞳。特殊メイクとは到底思えない。本やゲーム、映画の住人としてのみ認識されてきた存在――いわゆるエルフそのものに見えた。いよいよ自分が知る世界ではないらしいな。
一旦そのことは棚に上げ、オズワルドはその手を取った。原始的にして簡潔な儀礼が成立する。
「リアム・オズワルドだ」
「エ、エルウィンさん! 服を着てください! 服を!」と、頬を紅潮させたルナが顔を逸らしながら叫ぶ。彼女の紫色の瞳は逸らされる直前、明白にエルウィンの“下”を一瞥していた。
「おっと、これは失礼」
エルウィンには少しの狼狽もない。床へ無造作に放り出されていたズボンを拾い上げ、両脚を通した。腰まで垂れるプラチナブロンドの長髪が優雅な軌跡を描く。
ついさっきまで寝台を共有していた大男は、《《行為》》が終わると、早々にテントの外へ姿を消した。
「それで、何用です。ルナ」
「あ、偵察中にみんなとはぐれてしまって、ミメルに襲われたところをリアム様に助けていただきました」
「それはそれは。不肖の弟子を助けていただき、ありがとうございます」
エルウィンはシャツに腕を通すと、丁寧に頭を下げた。つい先ほどまで全裸だった男とは思えないほど、挙措には品がある。
「師匠、お願いがあるんです。リアム様は街を目指しているらしくて、わたしたちと一緒にブトワルまで――」
「構いませんよ。ただ、出発は数日後になります」
「何か事情があるのか」
オズワルドが訊ねると、エルウィンは床に落ちていたローブを拾い上げ、静かに話し始めた。
彼らは王国の合同作戦に参加するため、この宿営地へ集められたらしい。標的は、世界に残存する七騎の〈勇者〉のうち一騎。
「勇者を捕らえる?」
オズワルドは言いながら、手首を返して先を促した。
エルフが言うに、近頃同じ個体がこの北王国領内に異常な頻度で姿を見せている。本来なら〈勇者〉の性質上、強大な魔力を持つ魔獣を追っているはずだが該当する脅威は一度も確認されていない。
王国は、〈勇者〉だけが未知の脅威を感知している可能性、あるいは二百年に及ぶ活動で行動に異常を来たした可能性を疑っている。呼びかけにも応じず、目的地も不明。人里で戦闘が起きる前に一時保護し、調査する方針――ということだった。
「なのですが、少し前にこの一帯を調査したところ、強い魔物の魔力を観測したので網を張っている、という訳です」
保護を名目に軍を動員して武力で拘束する。統治機構が好む論法は、世界が変わっても大差ないらしい。二百年生きている〈勇者〉は気になるところだが、今は必要以上に厄介ごとに首を突っ込まない方がいいだろう。それよりも、帰還が最優先だ。
◇ ◇ ◇
『Mr.オズワルド。二つの選択肢があります』
「聞こう」
『ひとつは、この場を離れ、街への出発まで待機することです。戦闘に巻き込まれる可能性を抑えられますが、この数日間、単独で帰還方法を探る手段は限られます。もうひとつは、この作戦に一時的に参加し、〈勇者〉を直接観測することです。この作戦には王国軍、魔導士、冒険者、未知の種族、そして〈勇者〉と呼称される対象が集まります。単なる待機より得られる情報は多いと推定しますが、そのぶん危険性も増加します。ただし、中長期的な危険度に大きな差は認められません』
「で、お前の演算じゃどっちの方がいいんだ?」
わずかな間を置いて、声が返る。
『私の演算は0と1に還元できます。しかし、人間の意思まで同様に扱うべきではありません。私は結果を予測し、選択肢を提示できます。しかし、どちらを選ぶかまで代行すればそれは支援ではなく決定です。たとえそれが、帰還という大きな目的へ至る途中の小さな選択であっても変わりません。何を選び、その結果を引き受けるか。それは人が意思と呼び、尊重すべき領域です。申し訳ありませんが、この件について私は黙秘します』
「沈黙の署名ってやつか……」
それ以上、ATHENAからの応答はなかった。
厄介ごとは避けるべきだ。帰るために死ねば笑い話にもならない。だが、街へ発つまでには数日の猶予がある。無為に待つよりも、この世界の住人が集結する作戦域の近傍に身を置いた方が得られる情報が多いことは分かる。少し考え、オズワルドはエルウィンへ向き直った。
「一時的に協力したい。目的は〈勇者〉の観測だ。作戦の邪魔はしない」
「危険です。そもそもリアム殿は冒険者なのですか?」
「……冒険者? いや、ちがう」
エルウィンは長い耳をわずかに傾けた。
「その姿を見るに、北王国兵ではありませんよね。軍を交えた作戦です。部外者を連れていくには、相応の理由が要ります」
「軍事行動の経験がある。命令には従うし、必要なら戦力にもなる」
身元を証明し得るものは何ひとつない。素性を問われ、正直に告げたところで、頭部を強打した錯乱者と認定されるのが関の山だろう。
「分かりました。指揮官には私から話します。ただし、何かあった場合の責任は取れません」
「いいのか。会ったばかりの男だぞ」
「ええ。ルナを助けてくださった方です。これで貸し借りはなし……とまでは言えませんが、多少は返したことにしてください」
オズワルドは、さっそくエルウィンとともに作戦指揮所へ向かった。人員を管理していた王国兵は当初こそ難色を示したものの、エルウィンの名を聞くや、態度を変えた。どうやら、白い長耳を持つこの魔法使いはただ者ではないらしい。
身元不詳の男を軍事作戦に加える判断としてはあまりに軽い。もっとも、異世界でまで官僚的な書類を求められなかった点は幸運だった。テントに戻る際、エルウィンに問う。
「ところで、仲間は二人だけなのか」
「いいえ。全員で五人パーティです。残りの三人は前線の別地点へ移っています」
「そうか」
ルナがわずかに不安げな面持ちで杖を握り直した。そういえば、仲間とはぐれたと言っていたな。空を仰ぐと陽はすでに傾き始めている。遠方の空には、間もなく赤みが射そうとしていた。
二百年を生きる〈勇者〉が何者であれ、帰還への端緒となる可能性はある。
「そういえば、作戦の内容なのですが――」
そのとき、不意にエルウィンの長耳が微かに震えた。ほぼ時を同じくして、ルナもまた表情を強張らせる。
「師匠、何か――」
言葉を断ち切るように、遥か彼方から魔獣の咆哮が轟き、テントの布地を震わせる。外にいる兵士たちの談声が瞬時にして途絶えた。




